京都府京田辺市 法泉寺
Hosenji, Kyotanabe city, Kyoto
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京田辺市草内南垣内27-1 法泉寺十三重塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 弘安元(1278) 石造十三重塔 弘安元年戊寅十一月廿六日建立の刻銘がある 19160524
February 17, 2024 野崎順次 source movie
京都府京田辺市草内南垣内27-1
真言宗智山派
中島山 法泉寺
創建開基は不明。本尊十一面観音が草むらから現れたため、あたりを草内と呼ぶようになったと伝えられている。また、天長年間(824〜833年)の干ばつの際、この本尊に祈願したところ、清泉が湧き出したので法泉寺と号したという。このため雨乞い祈願の農耕守護仏として今なお信仰されている。本堂は永禄2(1559)年に戦火を浴び、元禄12(1699)年に再建された。その後、昭和34(1959)年にも再建され現在に至る。重要文化財・十三重石塔や室町期様式の枯山水を復元した庭園、三宝荒神玉石塔も有名。十三重石塔
材質は花崗岩。高さ約6m、笠と軸部を一石で彫り、十三重に重ねるという様式です。
各重の笠の軒付が厚く、力強く反り返っている姿は、鎌倉時代中期らしい剛毅さと華やかさが感じられます。
(京田辺市観光協会ウェブサイト)
近鉄京都線興戸駅から徒歩15分、梅の花を愛でつつ、畑の道をたどり、神社の横に草内平和塔があった。
国重文 法泉寺十三重石塔
鎌倉時代中期 弘安元年 1278年 花崗岩 高さ 約600cm
近鉄京都線「興戸」駅の東約一キロ。さびれた境内に、堂々と立っている石塔である。相輪は近年の解体修理の際の新補にかかる。極めて低い基礎上に、幅の広い形の初重軸部を置くので、安定感がある。四方仏は蓮座上の二重光背形ほりくぼめ内に半肉彫され、像容はことに優秀である。各重屋根は勾配ゆるく、軒は厚く、軒反りもゆるやかである。軒裏には一重の垂木型を作り出す。各重の逓減もあり、見事な作であるが、屋根にかなりの欠損がある。基礎の南面に五行にわたり、「弘安元年(1278)戌寅十一月廿六日、起立之、大工猪末行、勧進僧良印」の刻銘があり、北面には元文四年(1739)七月廿三日に再興したことを刻む。作者の猪末行は伊派石大工の一人である。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典」1998.09.30.)
猪末行(いのすえゆき)の作と知られるのは、当尾のみろくの辻弥勒摩崖仏、岩船阿弥陀二尊摩崖仏(わらい仏)がある。
京田辺の未来に継ぐ古木・希木 カイヅカイブキ(貝塚伊吹)ヒノキ科 常緑高木 推定樹齢 200年
三宝荒神碑 室町時代中期 明応七年 1498年 花崗岩 高さ 約100cm
笠塔婆形で、基礎・蓮座・塔身を一石でつくり宝珠(後補)を載せる。塔身上部に三つの宝珠が刻まれ、中に梵字を刻む。塔身の宝珠は、三つとも三宝荒神の種子「ウーン」を刻み、下に「三宝大荒神王」と大きく刻む。その下に四行の銘文がある。
銘文:「大功徳主法口、口氏梵口敬白、明応七戊午(1498)、秋七月十二日」
(河合哲雄「石仏と石塔」ウェブサイト)
その他境内
所在地 京都府京田辺市草内南垣内27-1
2011.8.20撮影
法泉寺は近鉄興戸駅から北東に1㎞ほど行った草内小学校の北側にあります。
重要文化財の十三重塔は道からもよく見えます。
十三重塔(重要文化財)
弘安元(1278)年建立
石造十三重塔
弘安元年戊寅十一月廿六日建立の刻銘がある
西大寺の叡尊によって建てられました。
作者は室生の大野寺の磨崖仏と同じ猪末行です。
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