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京都府京田辺市 澤井家住宅

Sawaike, Kyotanabe city, Kyoto

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京田辺市大住岡村55 澤井家住宅 重文 近世以前/民家 江戸中期 元文5-6(1740-1741) 桁行20.2m、梁間12.6m、入母屋造、茅葺、四面庇付、本瓦及び桟瓦葺、西面突出部 桁行9.0m、梁間6.0m、入母屋造、茅葺、西面及び北面庇付、本瓦及び桟瓦葺 棟札1枚 19750623


July 12,2014 大野木康夫 source movie

所在地 京都府京田辺市大住岡村55

元文5〜6(1740〜1741)年の建築

桁行20.2m、梁間12.6m、入母屋造、茅葺、四面庇付、本瓦及び桟瓦葺、

西面突出部 桁行9.0m、梁間6.0m、入母屋造、茅葺、

西面及び北面庇付、本瓦及び桟瓦葺

澤井家は門跡曇華院宮の所領を治めていた代官であったという。

この住宅は普請文書により元文五年から翌六年にかけて建て替えたもので、正面に土間入口、玄関、式台が並び、奥に座敷があり、一般農家とは異なった形式をもち、洗練された意匠になる。

(国指定文化財等データベースより)

大住は尼門跡寺院曇華院の所領で、澤井家は代々代官を務めた家です。

三条東洞院にあった曇華院が1864年の蛤御門の変で焼失した後5年間は仮御所となりました。

高麗門(黒門)はその時設けられたものです。

主屋は元文年間の建築で、吉宗の倹約令による三間梁規制のため、茅葺の主構造は梁間三間とし、その外側に瓦葺の二間を付けた特殊な構造となっています。

また、門跡が立ち寄ることを想定して式台玄関が設けられるなど、特殊な構造を持つことなどにより、昭和50(1975)年に重要文化財に指定されました。

現在は毎月第二、第四土日の午前10時から午後4時まで公開されていますが、通常は閉門されているため予約した方が無難です。

外側道路から

黒門

主屋

主屋細部

内部

すぐ北側に史跡大住車塚古墳があります。

南山城、木津川西岸のゆるやかに傾斜する水田地帯にある前方後方墳。

全長約65メートル、後方部の幅約35メートル、西北に向いた前方部の幅約18メートル。

周囲には、濠のめぐった痕跡があり、その外周は幅約60メートル、長さ約100メートルの長方形を呈している。

墳丘部には、葺石が確認されている。

主体部は未調査である。

(国指定文化財等データベースより)

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