京都府京丹後市 縁城寺
Enjoji, Kyotango city, Kyoto
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京丹後市峰山町橋木873 縁城寺宝篋印塔 重文 近世以前/その他 室町前期 正平6(1351) 石造宝篋印塔、基壇付 正平六年仏子行秀の刻銘がある 19550202
所在地 京都府京丹後市峰山町橋木873
発信貴山縁城寺は、京丹後市の旧峰山町、北近畿タンゴ鉄道峰山駅から府道663号線を北に4㎞ほど行った橋木地区にあります。
養老元年(七一七年)インドの僧、善無畏三藏の創建と伝えられ、桓武天皇から「縁城」の寺号、弘法大師から「発信貴」の山号をいただいて、庶民の信仰も深く、盛時には、七十五坊が並び建っていました。
(現地説明板より)
勅使門
昭和2(1927)年の丹後震災で、背後に建っていた仁王門とともに全壊し、その後勅使門だけが再建されました。
金堂がある場所までは約300mあり、往時の規模が偲ばれます。
勅使門からしばらく進むと、本堂へと続く階段が見えます。
階段には転倒防止のためグリーンシートが敷いてあります。
金堂
嘉永元(1846)に再建されたものです。
存在感がある大きな建物ですが、丹後震災やたびたびの豪雪による痛みがひどく、多数の丸太で屋根を支えている状況です。
倒壊した仁王門にあった仁王像や、重要文化財の千手観音菩薩立像(秘仏、次回は平成29(2017)年御開帳予定)が安置されています。
宝篋印塔(重要文化財)
石造宝篋印塔、基壇付
正平六年佛子行秀の刻銘がある
室町時代、正平6(1351)年の銘があります。
多宝塔初層
天保3(1832)年に建てられましたが、丹後震災で相輪が折れ、さらに昭和38(1963)年のいわゆるサンパチ豪雪により二層目が倒壊しました。
以降処初層に銅板の切妻屋根を載せた応急修理のままになっています。
境内各所
過疎地の小集落で維持する寺院で大規模な修理は望むべくもなく、なんとかならないものかと思いますが、難しいのでしょう。
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