京都府京丹後市 神谷神社
(Kamitanijinja Shrine, Kyotango City, Kyoto Pref.)
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荘厳な磐座 | |
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January 3, 2021 野崎順次 source movie
京都府京丹後市久美浜町小谷
神名帳にも記録されている由緒深い神社。四道将軍、丹波道主命を近畿で唯一お祀りしています。丹波道主命が身につけていたという宝剣【国見の剣】をお祀りしてあることから【太刀宮】と呼ばれています。本殿は京都府の文化財に指定されています。神谷神社の一角には巨大な磐座(いわくら)があり、東方のかぶと山から昇る朝日の射す角度によって農作業の適期を知ることができることから天体を神として祀っていた古代太陽祭祀の跡と考えられています。
(京丹後ナビより)
雪と磐座に惹かれて久美浜に行きたくなった。豊岡から京都丹後鉄道で15分、久美浜に着く。
神谷神社説明板
駅から徒歩数分で南東から境内に入る。
剣岩
神谷神社の創建の折、丹波道主命は臣下に銘じて八千矛神を勧請するのに良い場所を探させたが、地相を観た臣下は後に自分が住むために適地を隠し、良地は無いと報告した。このため神谷神社は山中の神谷に創られた。後に嘘が露見し、怒った丹波道主命に追われた臣下は大岩の陰に隠れ、丹波道主命が振り下ろした刀は誤って大岩を真っ二つにした。臣下は和睦を申し出、大根を捧げて宴をひらいたという。
(ウィキペディア「神谷太刀宮神社」より)
府文 本殿
1781年(天明元年)建造。入母屋造で妻入、桁行2間、梁行2間、向拝1間、正面軒唐破風付、檜皮葺。四周に縁を設ける。
府登文 神門
虹梁絵様に波形を用いた装飾の流行年代から、本殿よりやや新しく、江戸時代後期建造とみられる四脚門である。本殿の正面に位置し、内装は格天井である。
本殿、祝詞殿、拝殿、神門がほぼ一体化されていて、全体に雪覆いがあるため、外側はよく分からない。
その他境内、
府登文 石鳥居 1707年(宝永4年)建造
神谷神社境内社八幡神社本殿
神門よりさらに少し後年の建造で、江戸時代末期の作とみられる。社殿は、梁行3尺で桁行3尺5寸。上屋は梁行1間半で桁行2間。小規模なこけら葺一間社流造。軒唐破風が正面に付いており、全体的に軽快ながら華麗な印象をはなつ独創性に富んだ意匠の社となっている。
(ウィキペディア「神谷太刀宮神社」より)
神谷磐座
神谷磐座は、神谷神社本殿に近接する八幡山麓にあるいくつかの巨岩の集まりである。もっとも大きい岩が、高さ約5メートル、周径10メートル以上あり、古来より清浄の地として注連縄をかけて祀る[27]。この中央部には縦にざっくりと割いたような隙間が南北方向にあり、2020年(令和2年)には『鬼滅の刃』の主人公が斬った岩に似ているとして注目を集めた。もとは1つであった岩が割れたものなのか、2つの岩が合わさってこのような形状をしているのかは明らかでない。北を向いた割れ目の先には北極星があることから、郷土史家の間では社殿が創建されるより以前の自然崇拝、巨岩信仰の名残りであると考えられている。
(ウィキペディア「神谷太刀宮神社」より)
府文 神谷神社参考館(旧久美浜県庁舎御玄関棟)
切妻造で、一部が入母屋造、桟瓦葺。1870年(明治3年)、21世紀現在は京丹後市立久美浜小学校となっている旧久美浜代官所跡地に建造された。大工棟梁は丹後国与佐郡大原村(現岩滝町)の高岡豊助義為[25]。久美浜県解体後、一旦移築されて豊岡県庁として使用され、1923年(大正12年)に再びの移築で神谷神社境内に移され現在に至る。玄関周囲と左側3室続きの部分は、旧県庁舎の「御玄関棟」の外周部を一部除去したものとほぼ合致するが、内部の間仕切り位置は全面的に変更されている。
(ウィキペディア「神谷太刀宮神社」より)
周辺
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