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京都府京都市東山区 粟田神社

Awatajinja, Kyoto city,Kyoto

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October 24, 2021 野崎順次 source movie


京都府京都市東山区東姉小路町・石泉院町
粟田祭(粟田神社大祭)
神幸祭巡行
(Street Procession of Awatajinja Shrine Festival, Higashi-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)


10月に行われる当社最大の祭礼行事です。体育の日前々日の「出御祭(おいでまつり)」体育の日前日の「夜渡り神事」、体育の日の「神幸祭(しんこうさい)」「還幸祭(かんこうさい)」、そして15日の「例大祭(れいたいさい)」までの神事・行事を総称して粟田祭(粟田神社大祭)と呼んでいます。この粟田祭は一千年の歴史を持ち、室町時代には祇園祭が齋行できなかった時には、当社の祭りを以て代わりとしたと云われています。
粟田祭のはじまりは、長保3年(1001)の旧暦9月9日の夜、一人の神童が祇園社に現れて神人に「今日より7日後に祇園社の東北の地に瑞祥が現れる。そこに神幸すべし」と告げられました。7日後の9月15日にお告げのとおり瑞光が現れたため御神幸が為されました。その瑞光が現れた場所が当社であり、これが粟田祭の始まりとされています。
(粟田神社公式ウェブサイトより)

今年は」新型コロナ禍のため規模を縮小して次の日程で執り行われた。
10月15日 例大祭11:00頃、10月22日 出御祭(おいでまつり)19:00頃、10月23日 夜渡り神事18:00頃 、10月24日 神幸祭12:30頃

私は最終日、岡崎公園から河原町三条に戻る途中、最後の神幸祭の巡行に東姉小路町・石泉院町あたりで出会った。犬も歩けば棒に当たるという感じだった。巡行の男たちは、最初、剣鉾を横にして運んでいたが、突如、電線の間に差し上げ始め、見物客(ほとんど氏子さん)の注目を集めた。

剣鉾とは祭礼の神輿渡御の先導を勤め、神様のお渡りになる道筋を祓い清め、悪霊を鎮める祭具です。剣先は真鍮の鋼で造られ、額には御神号や神社名・年号などが記されています。当社の場合「南無天王八大王子」「感神院新宮」「粟田社」等、更には梵字なども書かれています。
剣鉾は剣差しと呼ばれる人によって重さ40~60kg、長さ7~8メートルのものが1人で指されます。剣差しは腰に差し袋という棹受けを付け、独特の歩行法で剣先をしならせ、その揺れで鈴が棹に当たり涼やかな音色をたてます。
(粟田神社公式ウェブサイトより)

      

天狗様がお通りになる。性的意味があるのかな。

        

再び、剣鉾の男たち

              

神輿を引く氏子さん、その後に続く宮司さんたちは立ち止まり、剣鉾を注視している。

             

巡行に後ろ髪をひかれながら帰途についた。

     


Nov.2010 瀧山幸伸 source movie

A camera

                   

B camera

              


粟田大祭

Oct.2010 撮影/文 大野木康夫 source movie

10月は多くの秋祭が行われます。京都では、時代祭や鞍馬の火祭が有名ですが、平日で行くことができませんでした。

10月11日に行われた粟田神社(東山区)の粟田大祭に行きました。

応仁の乱で祇園会が途絶えたときに、その代わりになった由緒ある祭りです。

神輿の先導をする剣鉾は、祇園祭の山鉾の原型といわれており、京都各所の祭で見られます。

40〜60㎏の剣鉾を差し手(鉾差)が差しながら歩くと、鉾の先がしなって、鈴がチロリンと鳴り響きます。

神輿は、神社の急坂を下り、町内を回って青蓮院の急な石段を上って勅使門から境内に入り、門跡の加持を受けます。

京都の神輿の掛け声は「ホイット ホイット」ですが、坂の上り下りの際には「ヨーサ ヨーサ」になります。

来年取材できれば、動画と一緒に投稿したいと思います。道が狭いので良い場所は確保できないと思いますが。

               

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