京都府京都市左京区 旧武徳殿
Kyu Butokuden,Sakyoku,Kyoto city,Kyoto
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京都市左京区聖護院円頓美町46-2 旧武徳殿 重文 近代/文化施設 明治 明治32(1899) 木造、建築面積1,051.57㎡、桟瓦葺 19960709
京都市武道センター(旧武徳殿)
京都区左京区聖護院円頓美町46−2
平安神宮の西北に建つ。遷都1100年を記念して設立された「大日本武徳会」によって、1899(明治32)年に造営された。
設計は、京都ハリストス正教会聖堂(京都市指定文化財)や京都府庁舎本館(国重要文化財)を手掛けた松室重光である。
後年、武術教員養成所(後の武道専門学校)が併設され、数多くの武道家や教育者を輩出するなど、日本武道の聖地として活用されたが
第二次世界大戦後にはアメリカ軍に接収され、武道専門学校を閉鎖した。
摂取解除後は長らく本来の機能を失ったままであったが、1987(昭和62)年に多くの武道愛好家の援助をうけて復讐工事が完了した。
明治初期の大規模な木造建築であり、日本武道の歴史を物語る重要な建造物であるとし、1983年に京都市指定文化財に、1996年には
国指定の重要文化財に指定された。
旧武徳殿
国重要文化財
木造平屋建 床面積1,051㎡
明治32年に完成した日本最古の演武場である。
建築様式は伝統的和風建築をベースにしながらも明治以後の洋風建築の影響を受けた「近代和風建築」である。
裳階(もこし)付きの切妻造の和風外観ながらも洋式の建物構造を採用している。
外観
車寄側 ここが現在の入口である。
1913(大正2)年には車寄が亀岡末吉(京都府技師)によって増改築された。
意匠
武道殿内部
玉座は1913(大正2)年に亀岡末吉(京都府技師)によって増改築された。
西面側
武徳殿南門 現在はほとんど開かない。
京都守護職屋敷にあった高麗門
桜
■武徳殿
平安京大内裏にあった建物のひとつに禁裏の道場があった。桓武天皇はこの道場で武技を奨励していたともいわれており、宮中で競馬や
騎射などを展覧する場として利用されていた。
この平安時代の道場は大内裏の太極殿の北西、宴の松原に隣接したところに建てられていた。現在の武徳殿も太極殿を模した平安神宮の
北西に位置している。このような故事に倣いながら武道の振興・発展を願う思いが、武徳殿の建設に込められているとされる。
所在地 京都府京都市左京区聖護院円頓美町46-2
2011.9.11撮影
明治32年(1899)年、平安神宮の西側に建てられた武道場です。
設計は京都府庁旧本館と同じ松室重光で、木造桟瓦葺、建築面積は1,051.57㎡です。
その後旧制武道専門学校(武専)が置かれ、多くの武道家を輩出しましたが、昭和23(1948)年に廃校処分となり、駐留軍に接収されました。
昭和26(1951)年には接収が解除され、京都市の管理となり、京都市警察学校の道場等として使用されていましたが、現在は京都市武道センターの一施設として武道大会や稽古などに使用されています。
この間、昭和58(1983)年には京都市指定有形文化財に、平成8(1996)年には重要文化財に指定されています。
西側の通りから見た屋根
北側正面から撮影
全体を撮影するのは難しいです。
側面、南側から撮影
細部の撮影。
北側車寄は大正年間の増築だそうです。
内部の撮影
この日は合気道の講習会が開かれていました。
南側の門、東側の煉瓦造の建物
周辺
疏水、平安神宮応天門、京都会館第一ホール
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