京都府京都市北区 大徳寺 黄梅院
Obai in,Kitaku,Kyoto city,Kyoto
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京都市北区紫野大徳寺町83-1 黄梅院 本堂 重文 近世以前/寺院 桃山 天正14(1586) 桁行19.1m、梁間15.3m、一重、入母屋造、本瓦葺 玄関1棟、棟札1枚 19220413
京都市北区紫野大徳寺町83-1 黄梅院 庫裏 重文 近世以前/寺院 桃山 天正17(1589) 桁行12.9m、梁間17.4m、一重、切妻造、妻入、こけら葺 19760520
May 1, 2022 野崎順次
source movie
パンフレット
表門から鐘楼あたり
Feb.17,2020 瀧山幸伸 source movie
May 7, 2017 野崎順次
京都府京都市北区大徳寺町83−1
臨済宗大徳寺派大本山
永禄5年(1562)、当時28歳の織田信長が初めて上洛した際に、父・信秀の追善菩提のために小庵「黄梅庵」を建立したことに始まる。本能寺の変によって信長が急逝すると、羽柴(後の豊臣)秀吉がこれを徐々に増築し、天正17年(1589)に「黄梅院」とする。
庫裡、鐘楼、客殿などは小早川隆景が寄進したもので、鐘楼に使用されている釣鐘は加藤清正が献上したもの、秀吉の軍旗「千成瓢箪」を象った空池を持つ「直中庭」を千利休が作庭するなど、桃山時代の戦国大名、文化人と非常に縁の深い寺院である。
(京都春秋事務局ウェブサイトより)
表門から鐘楼あたり
これより奥は撮影禁止
黄梅院
1588(天正16)年小早川隆景・毛利輝元が春林和尚を開山として建立した。
本堂は豊臣秀吉が大政所のために建てた桃山建築。
本堂襖絵は雲谷等顔の筆と伝え、茶室昨夢軒は武野紹鴎作の四畳半席。本堂前庭は図案的構図で名高く他に書院庭園がある。
隆景夫妻、蒲生氏郷の墓などがある。
参考資料≪引用:パンフレット、大仙院発行”大仙院”他≫
黄梅院 source movie
Oubaiin
2011.11.27撮影
黄梅院は、毎年春秋に公開されます。
境内撮影禁止と表示がありますが、庫裏の前の苔庭までは撮影できます。
庫裏(重要文化財)
天正17(1589)年の建築
桁行12.9m、梁間17.4m、一重、切妻造、妻入、こけら葺
特徴的な急勾配の切妻屋根です。
鐘楼
本堂と同時期に小早川隆景によって建てられたそうです。
苔庭
玄関
本堂の附指定で重要文化財です。
北隣の龍源院方丈から、黄梅院の庫裏の特徴ある屋根を見ることができます。
本堂(重要文化財)
天正14(1586)年の建築
桁行19.1m、梁間15.3m、一重、入母屋造、本瓦葺
庫裏と同じく、龍源院方丈から屋根を見ることができます。
北大路通側の門から見ると、塀越しに庫裏の屋根が覗いていました。
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