京都府京都市北区 大徳寺 龍源院
Ryogenin,Kitaku,Kyoto city,Kyoto
Category |
Rating |
Comment |
General |
||
Nature |
||
Water | ||
Flower | ||
Culture | ||
Facility | ||
Food |
京都市北区野大徳寺町82-1 龍源院表門 重文 近世以前/寺院 室町後期 永正14(1517)頃 四脚門、切妻造、檜皮葺 19610607
京都市北区野大徳寺町82-1 龍源院本堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 永正14(1517)頃 桁行14.8m、梁間11.8m、一重、入母屋造、檜皮葺 玄関1棟、棟札5枚 19610607
July 30,2022 大野木康夫 source
movie
表門(重要文化財)
庫裡
玄関(重要文化財の附指定)
本堂(重要文化財)
滹沱底(阿吽の庭)
方丈前庭(一枝旦)
東滴壺
本堂から見える黄梅院本堂・庫裏
大徳寺山門
Feb.17,2020 瀧山幸伸
A camera
B camera
May 7 and 13, 2017 野崎順次 source movie
京都府京都市北区紫野大徳寺町82-1
臨済宗大徳寺派南派
国重文 表門
庫裏まわり
国重文 唐門
庫裏から書院
種子島銃と四方蒔絵碁盤・碁笥など
国重文 方丈
開祖堂
庭園
こ沱底(こだてい)
一枝坦(いっしだん)
龍吟庭(りょうぎんてい)
東滴壺(とうてきこ)
April 20,2016 田中康平
龍源院
室町時代の方丈が完全な形で残されている。
龍源院
■■概説
■■表門
国重要文化財
切妻造・桧皮葺の四脚門で、方丈・唐門と同時代に建立された。
■■参道〜庫裏入口
前庭には桃山型石灯籠が建つ。元大宮御所にあったもの。
■■配置図
■■拝観入口
「庫裏」である。
■■廊下
廊下を挟んで、右側は庫裏、左側は書院と(こだてい)
■■書院
書院のまえに(こだてい)がひろがる。
■■玄関(唐門)
国重要文化財 構造:一重 入母屋造 檜皮葺
本堂(方丈)へと至る切妻造・檜皮葺の玄関で、本堂と同時代に建立された。
■■方丈に斯かる扁額
■■方丈(本堂)→庭園「一枝坦」側
国重要文化財 建築:1517(永正14)年頃 構造:一重、入母屋造、檜皮葺の建物 日本の方丈建築としては古例の一つである。
前面の庭園が一枝担(いっしだん)である。
方丈の棟瓦は、附玄関、表門の瓦と共に、京都八坂神社楼門の棟瓦と同様で、室町時代最古の洋式のものである。
室中(しっちゅう)襖絵の龍図は、作者や制作年代は不明だが,桃山〜江戸時代の作とされる。
■板扉
■部屋配置
■礼の間
■室中(しっちゅう)
方丈で一番重要な部屋。襖絵は「竜の図」
■檀那の間
■方丈→庭園「竜吟庭」側
■■書院の間
■眼蔵
■衣鉢の間
■■開祖堂
開祖・東渓禅師の塔所となっている。一重、入母屋造、檜皮葺
南北朝・鎌倉・室町初期時代の禅宗様の粋を取り入れた昭和の唐様木造建築の代表作である。
■■参雨軒
茶室である。 瑞峯院に向かい合って建つ。
■■庭園
方丈を中心として南庭、北庭、東の壺石庭、開祖洞前庭、及び庫裏南軒先の各種庭園より成立つ。観る者自らが味わい、体得する禅宗庭園である。
■?沱底(こだてい)
庫裏の書院南軒先にある(阿吽の石庭)で、宗祖・臨済禅師が住んだ中国・鎮州城の南を流れる?沱河から名付けられた白砂の庭。
阿吽の石と名付けられた右と左の2つの基礎石は聚楽第の遺構とされる。
■東滴壺(とうてきこ)
1960(昭和35)年に作庭された方丈と庫裏との間の現代壺庭の傑作で、白砂敷きのなかに5つの石が3・2の石組みに分けて配されている。
■一枝坦(いっしだん)
東渓禅師が師である実伝和尚から賜った「霊山一枝之軒(りょうぜんいっしのけん)」という室号から名付けられたもので、丸く象った苔の中に石が立つ
亀島が印象的な斬新な庭である。
■龍吟庭(りょうぎんてい)
方丈北側に広がる三尊石組からなる室町時代の枯山水庭園で、中央の石組は須弥山を表し、青々とした杉苔は洋々たる大海を表す。
約30個ほどの庭石が配置されているようだ。
■■四方蒔絵の碁盤
国指定重要美術品
■■最古の火縄銃
参考資料≪大仙院発行”大仙院”、ウイキペデイア、パンフレット、他≫
龍源院 source movie
Ryogenin
2011.11.27撮影
龍源院は大徳寺山内に4箇所ある常時公開寺院の一つで、山内東側の勅使門の南側にあります。
表門(重要文化財)
永正14(1517)年頃の建築
四脚門、切妻造、檜皮葺
玄関
本堂の附指定で重要文化財です。
正面からはよく見えません。
本堂(重要文化財)
永正14(1517)年頃の建築
桁行14.8m、梁間11.8m、一重、入母屋造、檜皮葺
一枝坦
かつては中国伝来のサザンカ「楊貴妃」が生い茂っていましたが、昭和55(1980)年に枯れてしまったそうです。
塀越しに、南隣りの黄梅院本堂及び庫裏の屋根が覗いています。
竜吟庭
方丈の北庭で、室町時代、相阿弥の作庭と伝わっています。
東滴壺
方丈東側の坪庭です。
境内風景
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中