JAPAN GEOGRAPHIC

京都府京都市北区 大徳寺 真珠庵

Shinjuan,Kitaku,Kyoto city,Kyoto

Category
Rating
Comment
 General
 
 
 Nature
 
 
 Water
 
 
 Flower
 
 
 Culture
 
 
 Facility
 
 Food
 


京都市北区紫野大徳寺町52 真珠庵庫裏 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長14(1609) 桁行13.5m、梁間12.2m、一重、切妻造、妻入、南面、北面、西面庇附属、こけら葺 19620621

京都市北区紫野大徳寺町52 真珠庵通仙院 重文 近世以前/住宅 江戸前期 江戸前期 桁行12.2m、梁間12.1m、一重、南面入母屋造、北面切妻造、北面、西面庇付、庭玉軒 二畳台目茶室、水屋の間、土間より成る、こけら葺 廊下1棟 19000407

京都市北区紫野大徳寺町52 真珠庵本堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永15(1638) 桁行19.0m、梁間14.1m、一重、入母屋造、西面廊下附属、檜皮葺 玄関1棟、表門1棟、東門1棟 19000407


Feb.17,2020 瀧山幸伸 source movie

   


June 2013 中山辰夫

■■■■真珠庵

一休禅師を開祖として文明年間(1469〜87)に創建された。方丈は江戸時代の建築で襖絵には曽我蛇足、長谷川等伯の名画を有する。

書院通僊院は正親町天皇女御の化粧殿を移したもの、庭玉軒茶室は金森和好みの席。

方丈庭園は村田珠光又は連歌師宗長の作という。書院庭園は金森宗和の作邸。

■■概説

  

型破りの禅僧として著名な一休宗純ゆかりの寺院。特別公開日を除き通常は非公開である。

内部へのカメラの持込は禁止で、写せるのが外観のみである。

           

公開日も全室の拝観はできない。今回はゆっくりと全室の拝観ができた。

3〜400年を経過する建屋、什器、意匠、絵画などすべてが丁寧に維持されており。カメラに写せないことが残念である。

各部屋の襖絵は勿論、建築の細部にわたる意匠が特にすばらしく、吸い付けられる魅力一杯で圧倒された。何時までも去りがたき気持ちにさせる。

厳しすぎる制約が、文化財を維持する条件でもあると自分に言い聞かせて去る

■■真珠庵命名について

日本臨済宗の祖の一人となった楊岐方会(ようぎほうえ)が雪の夜に楊岐山の破れ寺で座禅をしていた時に風が舞い、部屋の中へ雪が降り込んできた。

その時、床に積もった雪が月に照らされて真珠のように輝いたという故事にちなんで一休が名付けたとされる。

■■方丈

国重要文化財(書院・通僊院(つうせんいん) - 茶室・庭玉軒(ていぎょくけん)を含む。)

入母屋造、檜皮葺。1638(寛永15)年に京の豪商・後藤益勝の寄進により造営されたもので、曽我蛇足(そがだそく)や長谷川等伯の障壁画が伝わる。

■重文 方丈室内 一休和尚墨蹟(一行双幅)と襖絵:四季花鳥図「夏・冬」 曽我蛇足筆 1491年

   

■重文 方丈室中襖絵 商山四皓図「部分」 長谷川等伯筆 ( 1601 )

  

■■書院・通僊院(つうせんいん)

入母屋造、こけら葺。正親町(おおぎまち)天皇の女御の化粧殿を移築したものといわれる。書院に接続して茶室庭玉軒が建つ。

■■茶室・庭玉軒(ていぎょくけん)

茶道・宗和流の祖である金森重近(宗和)好みと伝える二畳台目下座床の席。

内露地の一部を庇屋根で覆い内部空間化した巧みな意匠で知られている。庇屋根と壁で囲まれた土間には手水鉢や飛石がある。

庭玉軒内部 金森宗和好と庭玉軒蹲踞8つくばい)

  

■■庫裏

切妻造妻入、こけら葺。1609(慶長14)年の建立

■■庭園

■方丈東庭(史跡・名勝)

真珠庵で最も古いとされ、侘び茶の祖である村田珠光または連歌師宗長の作と伝わる枯山水の庭園。

7・5・3と合わせて15個の石が配してあることから「七五三の庭」とも呼ばれる

史蹟名勝 七五三庭園 村田珠光作

写真35

■方丈南庭

村田珠光、または連歌師の柴屋宗長の作とされている。

村田珠光遺愛の手水舎(手前)と伝紫式部産湯の井戸(奥)

  

■通僊院庭園(史跡・名勝)

通僊院から庭玉軒へ至る露地庭で、数個の石と灯籠が配されている。

 

■■文化財

国宝・重文を含め多数を有する。

重文 一休宗純禅師頂相 室町中期

 

参考資料≪引用:説明文 ウイキベデイア 写真:パンフレット・絵葉書、他≫


 


事務局用

   All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中