京都府京都市左京区 永観堂
Eikando,Sakyoku,Kyoto City,Kyoto
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November 30,2024 大野木康夫
source movie
野村碧雲荘東門
混雑する鹿ケ谷通
境内に入ると昼時だからかあまり混んでいませんでした。
拝観入口から撮影
拝観受付
拝観入口付近(入口は混雑防止のため撮影禁止)
放生池北側の夢庵が閉鎖されてコインロッカーになっていました。
放生池
大玄関前、参道
大玄関から入って釈迦堂前の庭園を撮影
古方丈付近
釈迦堂から勅使門、前庭
南庭
アジア系外国人の方が業者撮影をしていました。
釈迦堂から御影堂に行く渡廊下
御影堂廊下
阿弥陀堂付近から
阿弥陀堂から
阿弥陀堂前の石段
鐘楼付近
御影堂前
放生池の石橋は、以前は立ち止まっての撮影禁止でしたが、禁止が解除されて多くの人が撮影していました。
弁天社
画仙堂南側からの紅葉風景
画仙堂前
放生池周辺
弁天社
放生池北側から
帰路
午後2時過ぎには拝観受付に長い列ができていました。
出口へ
出口
帰りの鹿ケ谷通も混雑していました。
January 15 and 21, 2023 野崎順次 source movie(Jan.15) source movie(Jan.21)
京都府京都市左京区永観堂町48
浄土宗西山禅林寺派
総本山 永観堂 禅林寺
紅葉の季節を避けて永観堂に来るのもいいもんだ。数棟の府指定文化財建造物やちょっといい庭園があるし、襖絵や見返り阿弥陀像を静かにゆっくり拝観でき、頑張って多宝塔まで登ると京都市街の絶景が見える。
パンフレットと現地説明板
総門 江戸時代後期(1840)、高麗門
福智院を過ぎて中門へ
府文 中門 江戸時代前期(1713年あるいは1744年)、薬医門
獅子孔座像
勧学門、宗務所(聖峯閣)、浴室、鶴寿台など
まず、伽藍の内部を拝観する。大玄関から入ると、古方丈と釈迦堂の間に池泉庭園がある。
古方丈西の中庭
古方丈(書院)は、六室からなる。
古方丈西の小さな池泉鑑賞式庭園から瑞紫殿南の枯山水
再び、古方丈と釈迦堂の間の池泉庭園
府文 勅使門(唐門) 江戸時代後期(1830)
四脚の向唐門、入母屋造、檜皮葺、大唐破風造
現在は当寺の住職が亡くなった際にのみ使われる。盛砂は勅使が踏み、身を清めて入った。夜は、砂壇に月明かりを受けて明かりとりにしていた。
府文 釈迦堂(方丈) 室町時代後期、永正年間(1504-1511)
入母屋造、桟瓦葺、六間取りの方丈形式、六室あり、正面左右に三室、前後に三室
正面中央の間奥に釈迦三尊像を安置し、釈迦堂と呼ばれている。
釈迦堂南庭、向かって右が池泉庭園、左が枯山水
千佛堂、白壁の土蔵造り
渡り廊下
御影堂(みえどう、祖師堂、大殿) 近代(1912)建立
境内最大の総欅造の和様、禅宗様の折衷建物、七間七間に一間の付だし
三鈷の松、葉が長く三本だそうだ。帰りに丸めたのを二つもらった。
臥龍廊
室町時代後期、永正年間(1504-1521)に建立された。ただ、部材は近代、昭和期(1926-1989)に改修されている。
渡り廊下の端に開山堂(開山・真紹、2世・宗叡を祀る)
戻って、位牌堂から阿弥陀堂へ
府文 阿弥陀堂 安土・桃山時代(1597)建立の四天王寺曼奈羅堂を江戸時代前期(1607)移築、元禄・宝永年間(1660頃)改修
七間六間、一重入母屋造、本瓦屋、正面に三間の向拝
西面、正面と側面に半蔀(はじとみ)式戸、貴族の邸宅風建築
大玄関に戻り、今度は伽藍の外部を回る。
放生池を見下ろす。放生池には中島があり、弁財天が祀られている。
府文 勅使門(唐門) 江戸時代後期(1830)
四脚の向唐門、入母屋造、檜皮葺、大唐破風造
木鼻に獏の意匠がある。雲竜、唐草の彫刻がある。
連理の楓
御影堂(みえどう、祖師堂、大殿) 近代、1912年に建立
境内最大の総欅造の和様、禅宗様の折衷建物、七間七間に一間の付だし
龍吐水、今様碑、當山七十六世超空耆山大和尚胸像
歩道沿いの石組、獅子門句碑のある滝石組、やすらぎ観音
府文 阿弥陀堂 安土・桃山時代(1597)建立の四天王寺曼奈羅堂を江戸時代前期(1607)移築、元禄・宝永年間(1660頃)改修
七間六間、一重入母屋造、本瓦屋、正面に三間の向拝
西面、正面と側面に半蔀(はじとみ)式戸、貴族の邸宅風建築
井戸、石仏など
府文 鐘楼 江戸時代前期(1707)建立
桁行一間、本瓦葺、方一間吹き放ち
府文 御廟(納骨堂)江戸後期 明和三年(1766)
正面一間背面三間側面二間、一重、宝形造、本瓦葺
墓地
最後に多宝塔まで登る。御影堂と千佛堂の間を奥へ
石段を上る。御影堂より高くなり、開山堂がすぐ横である。釈迦堂の屋根も見える。
鎮守社からさらに上って、多宝塔の下に出た。
京都の市街を眺望する。
下に降りて、多宝塔を遠望する。京都の実業家・六鹿清治の寄進により近代(1928)に建立した。
画仙堂 近代、1914年に建立 重層、寄棟造
日本画家・鈴木松倦(1848-1918)の発願により建立された。
放生池と山麓の伽藍を遠望する。
三鈷の松の松葉
帰りは総門の手前を左に曲がり、図書館の右の和(なごみ)の道を南門まで
帰途、野村碧雲荘東門、野村美術館、南禅寺を経て
参考資料
永観堂パンフレット
京都風光ウェブサイト
庭園ガイドウェブサイト
Nov.17,2020 瀧山幸伸
A camera
B camera
ライトアップ、平日でもまあまあの人出
参道
大玄関付近
阿弥陀堂付近
一番景色がいい石橋の上は撮影禁止
放生池周辺
池の西側
再び放生池周辺
夢庵から
人が少なくなってきた大玄関付近
夢庵
帰路
青もみじの永観堂
紅葉の永観堂も、天候不順で盛りが遅れ気味、境内は赤、オレンジ、黄色、緑の競演となっていました。
ほぼ朝一番の参拝でも境内は人があふれる盛況でした。
南門から覗いた境内
総門付近
中門へ
鶴寿台付近
夢庵から放生池の眺め
夢庵は朝から混み合っています。
放生池の西側から南側へ
画仙堂付近からの眺め
多くの人が先に建物内へ行くので少し空いていました。
放生池から極楽橋を通って御影堂前へ
御影堂北側の道
開山堂付近の眺め
多宝塔付近からの眺め
開山堂から御影堂前への帰路
唐門前、大玄関付近
人が増えてきました。
建物内へ
古方丈、釈迦堂前の庭園
釈迦堂庭園
釈迦堂から御影堂へ
御影堂廻廊から開山堂の眺め
御影堂廻廊
極楽橋方面の眺め
御影堂南側からの眺め
色とりどりの紅葉
御影堂東側
位牌堂付近からの眺め
阿弥陀堂北側廻廊からの眺め
阿弥陀堂正面
阿弥陀堂南側
阿弥陀堂から外に出て参道付近
御影堂前から放生池へ
放生池付近
再び夢庵から
人がさらに多くなっていました。
帰路
京都府京都市左京区永観堂町48
浄土宗西山禅林寺派
総本山 永観堂 禅林寺
(Eikando Temple, Sakyo-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
紅葉のシーズンですごい人混みである。その人混みも風物詩の一つと思って、入山したが、堂内の行列に並ぶのはさすがに気が重く、境内の散策だけにした。
総門あたり
境内に入って右手の庭園が良い。
中門へ
中門の中へ
放生池と弁天島を見下ろす。
さらに進む。
御影堂あたり
阿弥陀堂下から永観堂幼稚園あたり
放生池の極楽橋とそこからの景色
茶店とそこからの景色
総門右手の庭園を中から見る。
中門を出て、南門に回る。入場希望者の長蛇の列。
京都市左京区永観堂町48宗派:浄土宗西山禅林派 本尊:阿弥陀如来(国重文 見返り阿弥陀)永観堂「正式には無量鷲院禅林寺)は、若王寺山(にゃくおうじざん)山腹の傾斜地の建てられており、寺域の広さが約1万坪の西山禅林派の総本山である。
「もみじの寺」と称され、3000本の楓が境内に植えられ、紅葉の名所として知られている。
カエデ科のタカオカエデ「岩垣もみじ」が弁天島のほとり、他の急傾斜の岩壁に生えることで有名である。永観堂で外せないのが、境内の中ほどから聞こえる幼稚園生の元気な声と疏水の流れの音。快い響きである。
秋の素晴らしい美観を想像させる紅葉の樹木が林立する。伽藍を見渡すには、桜が終わり紅葉の新芽がふき出した頃合いが丁度いい。総門と中門
総門は高麗門、江戸時代末期、1840年建立 中門は江戸時代、1713年(1744年とも)建立、薬医門様式、他に南門がある。
この辺りの景色もいい。
参道わき周辺の佇まいもよく見とれるうちに境内へ。教学門・聖峯閣・浴室・本坊に導かれる。聖峯閣は京都3勧学院の一つ。
庫裏(鶴寿台)と大玄関
大玄関
古方丈 「孔雀の間」
廊下に従って進む。
古方丈の孔雀の間の欄間には雀が描かれている。向って右端の欄間には五羽の雀が描かれているはずなのに、実際は四羽で一羽少ない。
余りに見事な出来栄えなので、一羽抜け出して飛び去ったと伝える。狩野探幽筆「抜け雀」−七不思議の一つ唐門 「勅使門」
京都府指定文化財
江戸時代、1830(天保元)年建立。四脚の向唐門、入母屋造、檜皮葺、大唐破風造、木鼻に獏の意匠がある。各所に雲龍、唐草の彫刻がある。
現在は当寺の住職が亡くなった際にのみ使われる。盛砂は勅使が踏み、身を清めて入った。夜は、砂壇に月明かりを受けて明かり取りとした。瑞紫院
釈迦堂(方丈)
京都府指定文化財
本堂に次いで古い建物。1627年建立。入母屋造、桟瓦葺、六間取りの方丈形式。
各室の襖絵は長谷川等伯筆と伝える松の風(松の間)、竹に虎の図(虎の間)などがあり、襖絵の方が建物より古い。
松の間の三十六歌仙図は伝土佐光信筆とされる。方丈西庭(唐門前庭)
唐門前庭の砂盛、小判型の頂上部は平らになっており、市松文様が描かれている。周囲には砂紋が引かれている。盛砂は夜に月光を反射させるという。
方丈南庭
高麗灯籠は400年以上前のもの、悲田梅は七不思議の一つ。
千佛洞
釈迦堂と御影堂を結ぶ廊下ちかくにある白亜の建物が千佛洞 。この付近の岩垣紅葉が素晴らしい。
臥龍廊(がりゅうろう)
山野斜面に沿って、巧みに木を組み合せて作られた廊下。起伏が激しく、龍の体内を歩いているような錯覚に陥る。この周辺の紅葉は最高!
開山堂へ続く。
多宝塔
若王子山に1928年建立。開山堂より上にある。御影堂脇からは約140段の石段が続く。
上部は円形、下部は方形の二重塔。五重塔のように屋根の上に伸びる心柱に九輪と水煙が付いているのが珍しいとされる。和様である。
ここから京都の町並みが一望できる。
御影堂(みえどう 大殿 祖師殿)
1912年(大正元)年に完成した総ケヤキ造の仏堂。七間七間に一間の付けだし。境内最大の建物、間口八間半、奥行七間、48本の丸柱が使われている。
宗祖法然を祀る堂で、本尊を安置する阿弥陀堂よりも規模が大きい。三鈷(さんこ)の松
御影堂から位牌堂、阿弥陀堂へ行く階段付近にある。葉先が三つに分かれている松の古木。三鈷は「智恵」「慈悲」「まごころ」を表わす。
位牌堂から阿弥陀堂へ
阿弥陀堂(本堂)
京都府指定文化財
1607年に豊臣秀頼が、1597年に建立された大坂・四天王寺の曼荼羅堂を移築した。
桁行七間、梁間六間、一重入母屋造、本瓦葺、三間の向拝付き、正面と側面に半蔀(はじとみ)式戸、など、貴族の邸宅風建築である。
内陣に本尊・見返り阿弥陀像(国重文)が安置され、天井に「百花図」「散り蓮華」など極彩色に彩色されている。襖絵も多くある。鐘楼
江戸時代、1701年の建立。桁行一間、本瓦葺、方一間吹き抜き、梵鐘は1743鋳造。手水舎付近
放生池周辺と境内
琵琶湖疏水—扇ダム
墓地から見る。流れの音が境内に響く。疏水を分水して寺社や別荘等に供給する。
南禅寺水路閣を過ぎて地下に潜った疏水が顔を出す扇ダム跡。現在は機能していない。又地下に潜る。
拝観料も大人600円(紅葉シーズンの寺宝特別展は1,000円)です。
参道
夢庵からの放生池の眺め
玄関から釈迦堂
千佛洞から御影堂
臥龍廊から開山堂
位牌堂から阿弥陀堂
玄関に戻る
唐門から多宝塔へ
多宝塔からの眺め
開山堂付近
御影堂正面へ
放生池周辺
帰路
2012.11.20撮影 紅葉の永観堂として知られ、シーズンには多くの人でにぎわいます。
参道
境内入り口付近
夢庵から放生池の岩垣紅葉
諸堂拝観口付近
方丈庭園
釈迦堂庭園
釈迦堂裏側から開山堂、多宝塔方面の眺め
御影堂付近
阿弥陀堂付近
御影堂前
放生池付近
から諸堂付近への眺めなど
弁財天、御茶屋付近
イチョウとモミジ
放生池西側
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