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京都府京都市西京区 願徳寺

Gantokuji,Nishikyoku,Kyoto city,Kyoto

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August 22, 2021  野崎順次

 

京都府京都市西京区大原野南春日町1223−2
天台宗
仏華林山 宝菩提院 願徳寺



この寺は、寺伝によれば持統天皇(天武天皇の皇后)が夢で啓示を受け、薬師如来を本尊として679年に現在の向日市寺戸町古城(古城3-6、願徳寺宝菩提院跡)に創建された。一時衰退するが、東山三条の宝菩提院に住した忠快(平安時代後期の武士平教盛の子)がこの寺に入って中興したと伝えられる。台密の中心的な寺院として隆盛したが、応仁の乱などの兵火により一時焼失する。江戸時代に入って再興されるも往時の勢いはなく、近代に入ってさらに荒廃。
1962年には本尊の観音像などが「花の寺」として知られる勝持寺に移された。1973年には本堂と庫裏を勝持寺に隣接する現在地に移転、更に1996年には本尊などが願徳寺に戻され、34年の年月をかけてようやく再興が完了した。向日市寺戸の旧寺地は住宅地となり、その一部である例慶公園に願徳寺があったことを記した説明板が設置されている。
(ウィキペディア「願徳寺」より)

ご本尊は絶世の美仏、国宝 如意輪観世音菩薩半跏像である。奈良国立博物館で初めて展示され2006年に東京国立博物館で展示されると、多くの仏像ファン必見の名作といわれる様になりました。しかし、その後は博物館などでの展示は行わない意向とされ、現地での拝観が基本となっています。
(見仏入門サイトより)

  

山門、庫裏、鉄筋コンクリート造本堂

       

国宝 木造菩薩半跏像(伝如意輪観音) 平安初期
平安時代初期(8-9世紀)の等身大「菩薩半跏像」(国宝)(88.2㎝)は、如意輪観音、月光菩薩ともいわれる。端正面長な漆黒の美仏で知られる。頭の宝髻(ほうけい)は高く開いて中央で束ねる。額に水晶が嵌め込まれた白毫がある。正側背4か所に髪飾りがある。蓮華座(後補)に坐り右足を踏み下ろす。この半跏踏み下げ像(遊戯坐)は、本来、三尊像の左脇侍像のもので、独尊像としては特異なものという。左手は臂を曲げ施無畏(せむい)印、右手は膝頭で掌を前に向ける与願印も通例とは反対になる。素木に髪、唇、眼にわずかな彩色が残る。眼は二重瞼、瞳には黒曜石が嵌入されている。衣紋は複雑で華やか、背面で天衣と条帛(じょうはく、左肩から右脇腹に斜めに垂らした布)が交叉する特徴がある。条帛の腹前に懸かる部分は、腹下を横切る天衣の下をかいくぐり左足前まで延びる。座面下方に蓮肉を共木で刻み、上方に蕊(ずい)、底中心にほぞ孔がある。内刳りはない。この時代の類例はなく、唐代の渡来仏か、渡来人の作によるともいう。秦氏との関わりがあるともいう。渡来人であれば、奈良時代、778年か781年作ともいう。(『京都の佛像』)。空海が乙訓寺別当時代に、虚空蔵求聞持法の本尊として造らせたともいう。蓮肉後方に光背用の条溝が2つが縦にある。木造、本体から台座の蓮肉部まではカヤ材の一木造(一部突起部の小部分は剝ぎ寄せ)、素地。
(京都風光・京都寺社案内サイトより)

向日市文化資料館展示のポスター

  

宝菩提院と刻銘された石灯篭、阪神大震災で動いた。

   

播磨産の凝灰岩を刳り抜いたという棺、6世紀後半(古墳後期)

     

その他境内

    

勝持寺への路

 


Nov.9,2017 瀧山幸伸 source movie

            


事務局用

 

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