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京都市上京区 京都御所・御苑 

Kyoto Gosho/Gyoen Kamigyoku,Kyoto


July 27,2019 野崎順次 source movie

京都御苑の北西寄り、築地塀で囲まれた面積約11万平方メートルの区域が京都御所である。御所の敷地は東西約250メートル、南北約450メートルの南北に長い長方形で、そこにはかつての内裏に属していた多くの建物と庭園が残っている。御所の建物は近世を通じ、天正(1591年)、慶長(1613年)、寛永(1642年)、承応(1655年)、寛文(1662年)、延宝(1675年)、宝永(1709年)、寛政(1790年)、安政(1855年)の9度にわたり造営が行われている。うち、天正度、慶長度、寛永度の造営は焼失に伴うものではなく、時の為政者(豊臣秀吉および徳川家)の威勢を示す目的のものであったが、それ以降の6度の造営はすべて火災焼失に伴うものであり、現存する御所の建物は安政度造営のものである。建物群は大きく3つのブロックに分けられる。南寄りには内裏の正殿であった紫宸殿、天皇が政務を執った清涼殿をはじめ、儀式や政務のために用いられた表向きの建物が残る。その北側、敷地のほぼ中央のブロックは、天皇の日常生活や内向きの行事、対面などに使用された内向きの建物群で、小御所、御学問所、御常御殿などがここにある。御所敷地のもっとも北寄りのブロックはかつての後宮だった場所で、多くの建物が取り払われているが、皇后御常御殿、飛香舎(ひぎょうしゃ)をはじめ、皇后や皇子皇女などの住まいだった建物が残っている。

(ウィキペディア「京都御所」より)

雨の日である。御所の建物をさっと見て、庭園をゆっくり鑑賞しようと思う。

パンフレット

       

乾御門から京都御所へ

       

入口の清所門から宜秋門、御車寄、新御車寄

            

月華門と紫宸殿

        

建礼門

   

承明門と紫宸殿

   

日華門、建春門、春興殿

     

御池庭(小御所庭園) 江戸初期 池泉回遊式

いま小御所の御庭を一覧すると、本庭は小御所の本庭であって、小御所とその北の学問所から東にあたって二千四百三十坪の広大な庭となり、池は七百二十坪の面積をもっている。

北部から三島が南に続き、北島には石橋二橋が東西に架かっている。さらにまた、南島にも木橋二橋が架かっていて、全庭が回遊できるようにされている。北東部には、御常御殿の方から流れた水が、一応滝となって落ちている。この付近の石組は最初のままで、豪華な手法を見せている。

本庭には、西部に栗石敷の浜があって、この浜は仙洞御所のものとやや似ている。そしてその中に飛石が打たれている。栗石の浜の南から木橋付近の護岸の石組もまた豪華で美しい。そして中島の石組も、たびたび改造された関係で、新しい手法もまじっているが北島のものは強い。山畔にかけては回遊道があり、多数の古木老樹が繁茂していて、いかにも御所の庭らしい美しさを見せている。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」京都御所小御所庭園より)

                         

御内庭(御常御殿庭園)

この庭の北部に御常御殿があって、この付近の東庭は曲水式となっているが、この曲水庭は、未だ延宝期造営の時にはなく、寛政造営の古図に見られるから、比較的新しい庭である。しかしこの入り口付近の石組手法には慶長期の手法も見られるので、御所の中にあったどこかの古い庭を、そのまま移したのであろう。

土橋を渡って北に向かって流れに沿って一覧すると、そこに中島があり、石橋が架かっている。流れは御涼所の方から来ているが、この間には石橋が二ヶ所もあり、中島には石橋三橋が見られる。ずっと奥の聴雪付近を基にした流れは、そこから東西に分かれて流れている。東の流れは泉殿の方へ永く流れていて、御涼所の南東で合流している。これらの奥部の流れの庭は、安政造営以降に完成したものだけに、いかにも女性的である。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」京都御所小御所庭園より)

                                         

御常御殿と御涼所(これより奥には行けない)

     

外人観光客たち

        

帰途

           



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