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京都府京都市北区 原谷苑
Haradanien,Kitaku,Kyoto city,Kyoto

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見事なしだれ桜
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April 13, 2019 野崎順次 source movie


京都市北区大北山原谷乾町36


数多い京都の桜名所の中でもここが一番だと推薦する地元人も多い「原谷苑(はらだにえん)」。京都市内でありながら容易にはたどりつけない穴場で、桜の隠れ里としても知られています。そんな「原谷苑」には枝垂れ桜のジャングルとも形容される、桃源郷のような世界が待っています。
(中略)
山中の小さな集落に4万坪という広大な敷地を誇る「原谷苑」。敷地内は、桜・桜・桜・・・人口密度ならぬ、樹木密度?がこれほど高い桜の名所もなかなかお目にかかれないでしょう。ここを訪れば原谷苑が「桜のジャングル」と形容されることを納得していただけると思います。

メインとなるのは紅枝垂れ桜です。満開の頃になるとまさに百花繚乱の世界!視界が悪くなる程の咲き方をします。それゆえに原谷苑で撮る写真は本当にジャングルのようなショットばかりになってしまいます!
原谷苑の桜は、メインとなる紅枝垂れ桜以外にも多種多様!ソメイヨシノはもちろん、枝垂れ桜も一種類だけではなく、一重桜もあれば八重桜もあり、色も紅もあれば白もあります。

また、黄桜や御室桜など珍しい桜も植えられています。桜以外にもボケや雪柳なども同じ時期に綺麗に咲いていて、頭の上から足元まで花だらけになっています。本当に見事な花の園。これだけの庭園を造り上げるのに、どれほどの苦労があったか。そしてこの庭園を維持されているということもまた特筆すべき点なのだろうと思います。
(LINEトラベルjp ウェブサイト)

平野神社からタクシーで東門に着いた。入場料は1500円で三脚一脚使用禁止である。天気は快晴で青空のもと、無数のシダレザクラが満開だった。まこと絢爛たる花園である。

                                                                                                                       


Apr.4,2018 瀧山幸伸

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Apr.2011 撮影/文:中山辰夫


京都市北区大北山原谷乾町36

金閣寺の裏山にあたる一角、洛北の原谷にある個人所有の約4,000坪の桜の山である。
ここは戦後、満州から引揚げてきた人たちによって開拓された地区で、入植者によって植えられたシダレザクラが半世紀を過ぎたいま、見事な桜の名園となっている。
毎年、桜の時期だけ一般公開されているが、宣伝しないのに年々口コミで入苑者が増え続けている。
マイカ−の乗り入れは禁止。入場料は桜の咲き具合で料金は変わるようだ。咲き始め600円、五分咲き1200円、満開1500円である。

    

入門と同時に、あたり一面桜、桜、桜…で、見応えたっぷり。
    

特に樹齢50年の紅枝垂れ桜が百本以上あるようで、桜のトンネルになっていてまるで桜の国にきたようだ。
ここにはいろいろな種類の桜があり、4月上旬〜下旬辺りまで十分に桜を堪能することができると聞く。 
    

ここのしだれ桜は、繊細な枝が何条にも垂れ下がって、その美しさは写し切れない。
    

桜に混じってボケや雪柳も咲き誇っている。
    

他にも沢山の花木が咲き、桜とコラボレーションして、苑内を豪華絢爛に演出している。
               



この苑の成り立ちと維持の苦労については「原谷苑の歴史」を参照ください。

原谷苑の歴史 (HPより)

【江戸時代】
北山杉の里中川において、山林業の高畑家の房次郎の五男として、高畑岩次郎生まれる。

【明治 初め】
材木商《柴定》村瀬家に婿養子に入るが、跡取娘の先妻をなくしたのがきっかけで、生家の職に戻りたく思い、村瀬の姓を頂戴し、村瀬岩次郎として鷹峯に居を構え、山林業の《村岩》を起こす。

【明治37年】
村岩二代目常太郎生まれる。

【大正14年】
村岩三代目 巌 生まれる。

【昭和 初め】
花の好きな二代目が、鷹峯土天井町(松野醤油店の北側)に梅・桜・紅葉などの樹木を植え農園を創めるが、加賀前田公爵の別荘を建てたいとの要望によりその地をお譲りしたため、何処かに花を植える場所が無いかと探していたところ、原谷開拓団の方からお話があり現在の村岩農園の所在地を得ることとなった。

【原谷開拓団】
終戦後、満州から引き上げてこられた方々が国より山林とは言え京のゴミ捨て場状態の荒地の開墾を命じられ、開拓団として入植されたが、火葬場の裏山でもあり余りの辺境さに一夜にして逃げ出された家族もおられたし、残って開拓に一心不乱に取り組まれた方々も果樹園や農園、牛の放牧や養鶏等にも取り組まれたのですが中々開拓の成果も上がらず、困り果てた方よりお話が有り原谷乾町の一角を譲り受ける事と相成りました。
その際に、阪急電鉄から原谷全地域を譲り受け第二の宝塚化計画のお話も持上がっていたのですが、開拓団の都合により立ち消えになりました。

【昭和28年】
村岩四代目浩司生まれる。

【昭和32年】
開拓団員の堀井氏より農地開拓途中の現村岩農園が開拓を続行することを条件に譲り受ける事となる。

【昭和33年〜】
譲り受けた土地が、養分も無く、がらくたゴミ捨て場だった事もあり、農作物がまったく育たないので、色々な種類の樹木を植え込みました。
桜・紅葉・つつじ等の観賞木、梅・桃・柿・栗・林檎・サクランボ・柚子等の果樹木、数十種類の樹木を植え込みました。また、土を入れてサツマイモやスイカ等の耕作も試みましたが上手く出来ず、沈丁花等全滅した花もあり、紅葉や果樹木等はほとんど根つかない中、桜の種類は順調に育ちつつありました。
当初は、親戚・友人等の身内だけで、花見を銘打った食事会で自家製の鶏肉・野菜ですき焼き鍋を楽しんでました。

【昭和40年頃〜】
二代目常太郎が、農園内の桜苑の真ん中に隠居し、農園内の木や花の手入れを日々楽しみながら過ごして居りました。
其の内、人伝に評判が広がり,桜の時期だけ一般公開するようになりました。
桜苑を原谷苑と命名し、その後、苑内の料理旅館を青山荘と名づける。

【昭和60年頃〜】
三代目巌が、山で手入れし育てていた北山台杉を植木販売用に園内に植え込みました。
この頃は、台杉の販売も順調でしたが、スギ花粉症の影響で売れ行きが落ち込みます。
実際は、差し穂で育てた白杉の台杉は、花が付かないし花粉も出ないのですが。
又、この頃から八重紅枝垂れ桜が弱ってきたので、大きくなり過ぎた関山等の一重桜を切る。
台風や干ばつで枯死した木の植え替えを順次行う。

【平成元年頃〜】
四代目浩司が中心になり、土壌の養分が無くなって来ているので土の入れ替えを順次始める。



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