京都市右京区 法金剛院
Hokongoin Temple, Kyoto, Kyoto
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Mar.21,2020 瀧山幸伸
February 23, 2019 野崎順次 source movie
京都市右京区花園扇野町49
法金剛院
平安時代の初め、右大臣清原夏野の山荘を没後寺とした。1130年(大治5)待賢門院の御願により当院を建立。円覚上人によって再興。丈六の本尊阿弥陀如来坐像(重文)は定朝様、平安時代後期の代表的な仏像である。庭園(特別名勝)は平安末期の池泉回遊式浄土庭園である。律宗。その他重文仏像多数あり。建立:1130(大治5)年
(京都観光Naviサイトより)
パンフレットと現地説明板
双ヶ岡、表門から中門
法金剛院庭園
この法金剛院創建とともに、ここに作庭されたのであるが、このことについて「続古事談」に
「待賢門院法金剛院作り始て御幸ありけるに、人々ここかしこ見興しけり。立石は徳大寺法印せられたり、林賢法師滝の石立て其傍に札を書て立たりける
衣にてなつれとつきぬ石の上に
万代を経よ滝のしらいと
人々見て或は興し、或は無益なりといひあへる程に、二条師長実和せられたり
しれもののよしなしことをする法師
つひにひとやにいるとこそきけ
人々わらひ訇いて上りけり」
とあるのも興味のあることであるが、ともかくこの庭は作庭記流の徳大寺法印静意や、画家の林賢法師が滝その他の石組をしたのであった。そしてこの庭は後に大変な荒廃を示し、近年は滝の石組の一部だけが露出していたに過ぎず、池庭も変化してしまっていた。
最近昭和四十五年に森蘊氏が発掘調査をされた結果、滝石組が土砂に埋まっていて、発掘の結果四・五メートル高のものとなった。さらにまた渓流も発見されたのを機に、池庭も改修された。
(中略)
ともかくこの平安末における作庭記流の人々が作庭した本庭は、貴重な資料であるが、荒廃が甚だしかった。それが近年改修されたので、一応旧観を見ることができるようになった。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」法金剛院庭園より)
特別名勝 青女の滝
大玄関と礼堂
境内その他
紅葉風景
July 13,2017 中山辰夫
法金剛院は関西花の寺第十三番霊場とされる。
境内には、4月上旬〜中旬にかけて「枝垂れ桜」(待賢門院桜)が咲き、終わると6月上旬から中旬にかけて「花菖蒲・菩提樹」が続き、6月中旬から7月中旬には「アジサイ」が咲く。
数少ない平安時代の庭園内の苑池には、7月初めから8月上旬にかけては「蓮」、「蓮の寺」ともいわれ90種類のハスが咲く。
ハスは極楽に咲く花とわれ、清楚・華麗である。手に取るように身近に見られるとして多くの人が訪れ、この期間は「観蓮会」として7時から開門される。
11月中旬から下期にかけては「紅葉」が咲く。桜・紅葉は見事で、既に報告されている。
観蓮会
境内の景観
拝観入口付近
待賢門院桜
礼堂前のシダレザクラはベニシダレザクラの変種、待賢門院桜です。
平安末期、法金剛院を再興した鳥羽天皇の中宮、待賢門院璋子にちなんで名付けられたものです。
本来は早咲きですが、今年は仁和寺の御室桜と同時期に満開になっています。
池越し
浄土式庭園、他の桜
京都市右京区花園扇野町49
蓮の寺として有名。
法金剛院へ行くにはJR山陰線「花園駅≫下車が便利で、歩いてもすぐである。
JR花園駅プラットホームより写した双ヶ丘
駅前の案内
駅から歩いて数分、丸太町通りに面している。
法金剛院は多くの仏様、古い庭園、お花で有名。4月頃の八重桜に始まり、シャクナガ、ボタン、オダマキ、サツキ、に続いてアジサイ、ハナショウブ、ハス、ハギ、ミズヒキソウと続いてモミジ、ツバキ、ナンテンと四季折々に咲き誇り、境内の景色が彩をかえる。
中でも「蓮の寺」ともいわれるほど蓮に人気がある。訪れた日は、その蓮が最盛期で、苑池はハスに覆われていた。
案内と古図
宗派:律宗 本尊:阿弥陀如来坐像 開基:待賢門院璋子(たいけいもんいんたまこ) 開創:1130(大治5)年
縁起
平安時代初め、この地は右大臣清原夏野が山荘を建て、死後双ヶ丘と称した。その頃、珍花奇花を植え、嵯峨〜仁明諸帝の行幸を仰いだ。仁明天皇は内山に登られ、その景勝を愛で、五位の位を授けたことから、内山を五位山と称した。858(天安2)年に大伽藍が建てられ、定額寺に列し天安寺とされた。
1130(大治5)年鳥羽天皇の中宮待賢門院が天安寺を復興、寺号を法金剛院と改め、晩年をこの地で過ごされた。(パンフレットより)
表門 八重枝垂桜が美しいとされる
表門〜中門の周辺 季節を問わず花が咲く
鐘楼 表門の横にある鐘楼と白壁が印象に残る経蔵
中門 Am9:00から開門。30人前後の人が開門待ちでした。庫裏の一部。
書院玄関 車寄せは唐破風屋根で?葺き
礼堂 1617(元和3)年再建 扁額 棟続期に釣殿がある
本堂(仏殿) 礼堂との間に距離がなく全体が写せない。コンクリート製の建物で、宝物殿の感じ。内部の本尊をはじめとした仏像類は堂々とした造形である。
国重要文化財指定の諸仏が一堂に会して並ぶのは圧巻で、必見と言える。
地蔵院 祀っている金目地蔵菩薩坐像と地蔵菩薩立像はいずれも国重要文化財
「池泉回遊式浄土庭園」 国特別名勝
「青女の滝」と背後の五位山などを含めて、1971(昭和46)年に「法金剛院青女滝附五位山」として、国の特別名勝に指定された。
五位山を背後にして広がる庭園
苑池周辺の 散策 ハスの葉で全体が見えない
「青女の滝」
1970年に土砂に覆われて残っていたのが発見され復元された。僧林賢(りんけん)と静意(じょうい)の作で、巨石を並べた雄大な平安時代特有の滝石組
待賢門院璋子の歌碑とその美貌(西行が惚れたともいわれる?) (絵はがきより引用)
「 長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物こそ思ヘ 」
境内には「待賢門院桜」と呼ばれる枝垂桜が多く植わっている。(引用:法金剛院絵はがき)
宝篋印塔と石仏
咲き誇るお花—いろいろ
アジサイはハスにバトンタッチしておほぼ終わり。
ハス
蓮は、鉢と苑内に見られる。 種類も多く、手に取って見れる身近さが人気。
他
帰路は仁和寺へ向かって約25分歩く。
直ぐに地蔵院の門に差し掛かる。
明治になって境内の中央部に現JR山陰線が通じ、寺域は二分されかなり縮小されたようであるが、1968(昭和43)年、丸太町通が拡幅された際に諸殿の移築を行った。現在の寺域はかなりの広さである。
長泉寺の「供養塔」と石柱
鎌倉時代の末頃、双ヶ丘の名を有名にしたのが、「徒然草」の吉田兼好法師である。法師はこの双ヶ丘をこよなく愛しこの地に隠栖された。
双ヶ丘を死に場所ときめて墓所を設けたいと願っていたようだが、晩年は伊賀国(三重県)に住み1350(観応元年)に無くなった。長泉寺には「兼好塚」がある。
石柱が御室小学校傍にある
双ケ丘と仁和寺
パンフレットと絵ハガキから引用した仏像・他 (すべて国重要文化財)
本尊:阿弥陀如来坐像
十一観音坐像 鎌倉時代
僧形文殊菩薩坐像
地蔵菩薩立像
厨子扉十二天の内
伝仁清 蓮華式香爐 江戸時代
法金剛院はJR花園駅の北西すぐ、丸太町通に面しています。
道路や鉄道があって静謐とは言えませんが、訪れる人も少なく、おちついて紅葉や重文指定の仏像を見ることができました。
京都府京都市右京区花園扇野町49
京都十三仏第十番霊場 関西花の寺第十三番
五位山 法金剛院
写真撮影日: 2010年2月6日
平安初期、右大臣清原夏野(きよはらのなつの)の山荘の地を、死後寺とし、双丘寺(そうきゅうじ)、天安寺(てんあんじ)と称された。
平安時代末、鳥羽(とば)上皇の中宮待賢門院璋子(たいけんもんいんしょうし)が法金剛院として復興。
広大な寺地にはりっぱな庭園をもち、数多くの堂舎が建ち並び、西行(さいぎょう)など訪問者も多く、多くの和歌が詠まれている。
その後荒廃したが、鎌倉時代に唐招提寺(とうしょうだいじ)の円覚(えんがく)が復興、融通念仏を広め、1617年(元和3)泉涌寺(せんにゅうじ)の照珍が再建、真言(しんごん)・天台・禅・浄土四宗兼学の寺とされた。
本尊阿弥陀如来坐像(ざぞう)(1130、院覚作)、厨子(ずし)入木造十一面観音坐像、蓮華(れんげ)式香炉(こうろ)など国の重要文化財がある。
平安時代の浄土式庭園を残す寺として知られ、巨岩を並べた「特別名勝 青女の滝(せいじょのたき)」の遺構が発掘復元された。
また、蓮の寺として知られ、夏には、世界中から集められた多数の蓮の花が咲く名所。
6月上旬には、池泉回遊式庭園の池畔に、濃紫、白、薄黄の花菖蒲が咲き誇る紫陽花(あじさい)、沙羅(さら)の名所でもある。
参考資料
京都通り百科事典HP
日本大百科全書、小学館
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