京都市上京区 本満寺
Honmanji, Kamigyo-ku, Kyoto city
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July 19, 2020 野崎順次 source movie
京都府京都市上京区寺町通今出川上る2丁目鶴山町16
日蓮宗本山
廣布山 本満寺
1410年(応永17)近衛関白道嗣の嫡子、玉洞妙院日秀が今出川新町に朝廷より敷地三万坪を与えられて創建。広宣流布山、本願満足寺と号す。1536年(天文5)の天文法華の乱後、12世日重の代、1539年(天文8)関白近衛尚道の外護により現在の地に移り、後奈良天皇の勅願所となる。1751年(宝暦1)35世日鳳が8代将軍徳川吉宗の病気平癒を祈り、以来、将軍家の祈願所ともなった。本尊は十界大曼陀羅。又、尚道奉安の祖師像は、芹生村山麓より発見されたものでその山中より法華経読誦の声が上がったという有名な説がある。境内墓地には山中鹿之介の墓、本堂脇には徳川家康二男秀康の正室、蓮乗院の石廟がある。伝太子筆紺紙 金泥一字宝塔法華経並普賢経は重要文化財。宗祖日蓮大聖人真蹟十界大曼荼羅御本尊ニ幅、狩野元信筆の祖師像はじめ寺宝多数。尚、重要文化財は京都博物館 預け。
(京都観光Naviより)
墓地へ
本満寺開山宝塔(室町前期 宝徳二年 1450年、花崗岩、高さ 166cm)
笠は頂部に露盤、四隅に降棟、軒下に垂木型を刻出する。塔身上部は、上に二段の段形、下に円板状をつくる。塔身軸部は扉を開いた形をつくり、三面はその内に「南無妙法蓮華経・南無多宝如来・南無釈迦牟尼仏」と刻む塔身軸部背面は、「日秀聖人
宝徳二(1450)正月八」と刻む。相輪は六輪を残し、それ以上は欠けている。基礎側面は輪郭を巻き、内に室町時代形状の格狭間をつくっている。
(河合哲雄「石仏と石塔!」ウェブサイトより)
松平秀康夫人 石廟(江戸前期 元和七年 1621年、笏谷石製)
石廟側面、上部の蟇股と天女の彫刻。正面下部、檀上積基壇の羽目石には格狭間が刻まれている。松平秀康、秀康の母(長勝院)の石廟(重要文化財)も笏谷石でつくられ高野山にある
(河合哲雄「石仏と石塔!」ウェブサイトより)
その他石造物
Mar.20,2020 瀧山幸伸
April 4,2019 大野木康夫
早朝、満開のシダレザクラ。
所在地 京都府京都市上京区寺町通今出川上る2丁目鶴山町16
広布山本満寺は正式名称「広宣流布山 本願満足寺」、日蓮宗由緒寺院であり、本山の称号を用いることができます。
出町の桝形商店街のすぐ北側に位置しています。
妙見宮の桜
方丈前のシダレザクラ、手水屋前のソメイヨシノ
シダレザクラは円山公園の祇園枝垂桜(二代目)と姉妹樹ということです。
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