京都府京都市上京区 本法寺
Honpoji,Kamigyoku,Kyoto City,Kyoto
Category |
Rating |
Comment |
General |
|
|
Nature |
|
|
Water |
||
Flower |
||
Culture |
|
|
Facility |
||
Food |
December 27,2025 大野木康夫
source movie
裏千家住宅表門(重要文化財裏千家住宅の附)
本法寺
仁王門(京都府指定有形文化財)
寛政9(1797)年の建築
三間一戸楼門、寄棟造、桟瓦葺
【京都の文化財第十三集から引用】
仁王門は三間一戸楼門で、背面両脇間に仁王像を安置している。仁王門としては類例のすくない寄棟造屋根をのせ、優美な姿でまとめられている。持ち送り風の組物や虹梁形の正面飛貫など時代の雰囲気をよく示している。なお、焼失前の二王門は、慶長十一年(一六〇六)に長谷川等伯によって造営されたものである。また、門前に堀があり、そこに石橋がかかっている。その堀は、中世洛中で重要な川の一つで、今も通りに名を残す、小川の名残である。その小川に橋を架け、門を構えている風景は中世をも想起させ、京の景観を語る上で、欠くべからざるものと言えよう。
附 石橋一基
多宝塔(京都府指定有形文化財)
文化5(1808)年の建築
三間多宝塔、本瓦葺
【京都の文化財第十三集から引用】
多宝塔は本堂の東南にたつ三間多宝塔である。内部には四天柱をたて、東面して妙見菩薩等を、西面して多宝如来を祀っているが、当初は東面して多宝如来を祀るだけである。伝統的な手法を堅持しながらも、立ち上がったような縦長のプロポーションや、細部の絵様などに江戸後期の気分が見られる。
本堂(京都府指定有形文化財)
文化3(1806)年の建築
桁行七間、梁行七間、一重、入母屋造、向拝正背面三間、本瓦葺
【京都の文化財第十三集から引用】
本堂は規模の大きな七間堂で、正面及び背面に各三間の向拝を設ける。周囲軒先には庇柱をたて、深い軒を支持する。庇柱をたてる例は、本願寺御影堂はじめ、真宗ではよくみられるが、それ以外の宗派では少ない。本法寺本堂においては庇柱をたて軒を支持することにより、桔木を減らし、合理的な構造としている。柱は四天柱以外角柱とするが、大型本堂は多くの場合、円柱が用いられており、珍しい事例である。組物は四天柱まわりに二手先、側まわりに出三斗を組む程度で、このクラスの堂宇としてはかなり簡略化されている。
平面は正面二間通りの外陣とその奥の内陣からなり、外陣は吹放ちの拭板敷とする。ない神社両脇一間通りの脇陣とその内側の内々陣からなり、内々陣中央後寄りに四天柱をたて、須弥壇を設け、本尊を安置する。来迎壁の後方は後陣である。内・外陣境は両端一間を両開桟唐戸、中央五間を蔀とするが、これらは中敷居を含めて、そべて取外しでき、必要に応じて内・外陣を一体の空間として使うことができる。細部の手法は簡略化されているが、堂の規模や平面形態は、寺格に見合った、典型的なものである。その一方、建立年代が江戸後期と新しいため、間仕切りの厳格さは失われ、また、脇陣の扱いに変化がみられる。さらに天井構成や架構も平明であり、堂全体が静謐で穏やかな空間として創出されている。このような空間は、十七世紀後半頃より萌芽がみられ、その後発展し、江戸後期には宗派を問わず多くの堂でみられるようになる。当本堂はその代表的な遺構といえる。
開山堂(京都府指定有形文化財)
寛政8(1796)年の建築
祖堂及び拝堂からなる
祖堂 桁行四間、梁行正面一間、背面三間、一重、寄棟造、正面拝堂に接続、妻入、桟瓦葺
拝堂 桁行三間、梁行五間、二重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺
【京都の文化財第十三集から引用】
開山堂は、二重屋根の拝堂とその背面に突出する祖堂からなる複合建築で、本堂の東北に南面してたっている。拝堂は一重もこし付の禅宗様仏殿風の外観をもつが、下重の柱は小屋内で止まり、その上に上重の柱をたてるという近世的な構造になる。さらに、組物は舟肘木で、堂内は畳敷、棹縁天井となっており、禅宗様の持つ垂直感や構造美は失われている。
拝堂平面は正面一間通りの吹放ち広縁と後三間の外陣からなる。外陣は、身舎ともこし部分を虹梁と無目敷居で間仕切るものの、機能的に空間としては分かれていない。拝堂背面の中央一間に祖堂が取り付き、その境は中敷居と引違い格子戸で、厳密に結界されている。祖堂には背面に接して須弥壇が設けられ、その上に三間の宮殿が安置され、開山像等が祀られる。
本堂が和様を基調としているのに対し、開山堂は一重もこし付禅宗様仏殿風に外観が造られており、様式の相違が明確に意識されている。立本寺や妙成寺などに多くの日蓮宗寺院では、中世以来、本堂と開山堂でこのように様式の選択がなされている。本法寺では、細部においては和様とか禅宗様とか言い難い様式であるものの、本堂は和様風に、開山堂は禅宗様仏殿風の雰囲気に造営されており、中世以来の伝統が受け継がれていると考えられ、興味深い。
附 鐘楼一棟、経蔵一棟
附 唐門一棟
附 廊下一棟
附 庫裏一棟
附 廊下(客殿書院間)一棟、廊下(居間庫裏間)一棟、廊下(廊下間)一棟
附 書院一棟
庭園(三巴の庭、国指定名勝)
【京都市都市緑化協会ホームページから引用】
堀川紫明の少し東から始まる小川通は、寺之内通までの間に表千家や裏千家、茶道の道具屋さんが軒を連ねており、独特の風情を見せています。昔は小川という川が流れていたのでこの名があり、堀川通との間にある本法寺の門前には名残の空堀が残っています。叡昌山本法寺は日親上人によって開設された日蓮宗の本山で、室町幕府による上人の投獄や建物の破壊などで数度の移転後、豊臣秀吉の命を受け、1587(天正15)年に現在の地に移りました。書院には桃山時代から江戸初期に活躍した芸術家・本阿弥光悦作と伝わる「三巴の庭」が残されており、1972(昭和47)年に修復、1986(昭和61)年には国指定名勝となりました。巴の絵柄は古くから太鼓の模様として使われ、二巴や三巴などの家紋としてもさまざまな形で使われてきました。この形は勾玉や水滴、雷雲や水の渦巻きを表したものなどの諸説があり、向きも「左巴」、「右巴」がありますが、正確なところは分からないようです。この庭は書院の東南隅を中心に、蓬莱、方丈、瀛州の三神仙島を表現した枯山水庭園ですが、デザインの構成が斬新です。さすが稀代の芸術家と思わせる発想で、島の形を巴の紋様に組み合わせて「三巴の庭」と称しています。現在では左端の島の形が失われていますが、江戸時代後期に出版された『都林泉名勝図会』には、当時の深いみどりにつつまれた姿が残されています。本法寺の案内書では、これを利用して三つ巴の形を説明していますので、今の姿と比べてみてください。左と中央は「左巴」、右端は「右巴」になっています。光悦は何を言いたかったのでしょうか。古来の文献と照らし合わせて、想像してみるのも楽しいと思います。島に囲まれた庭の中央には切り石で囲まれた蓮池と中央に切れ目がある円形の板石が目を引きます。「日」と「蓮」を表しており、『都林泉名勝図会』では一人の僧が蓮池の南に立ち、北に向かって礼拝している様子がうかがえます。そこから見ると蓮池の切り石は手のひらで蓮の形を作った姿にも思えてきます。
附 宝蔵一棟
附 大玄関一棟
April 26, 2025 野崎順次 source movie
京都府京都市上京区小川通寺之内上ル本法寺町617
本山 比叡昌山 本法寺
紫明通をそぞろ歩きした帰り、本阿弥光悦の庭と長谷川等伯の涅槃図など寺宝を鑑賞した。
パンフレット
玄関
国名勝 巴の庭
十(つなし)の庭
その他
arch 31, 2018 大野木康夫 source movie
表千家
裏千家
本法寺山門付近
境内
多宝塔付近
本堂付近
本堂北側から
本堂東南から
京都市上京区小川通寺之内上ル本法寺前町
平成27年度 本法寺、初咲きのさくら (27日) 4月9日には大半が散ってました。
宗派:日蓮宗 本尊:三宝尊
配置図
小川通に面した本法寺は本阿弥家の菩提寺であり、一門の墓もある。通りの向かいは裏千家今日庵である。
本堂、開山堂、多宝塔、庫裡、書院、大玄関、唐門、鐘楼、経蔵、宝蔵、石橋、棟札、13枚すべて、京都府有形文化財に指定されている。
庭園「三巴の庭」は本阿弥光悦作、国の名勝。長谷川等伯の釈迦大涅槃図(国重文)など貴重な寺宝がある。
案内
7年に及んだ文禄・慶長の役の戦後処理に派遣された松雲大師惟政という高僧が、家康との会見を待つ間、本法寺に滞在した。
その間文人との交流が盛んに行われた。家康との会見は翌年3月初旬に伏見城で行われた。
仁王門付近
「小川 こがわ」という疏水の水を引いた川が流れていた。その名残の石橋である。
摩利支尊天
多宝塔
寛政年間(1789〜1801)年代の再建
本堂付近
寛政9年(1796)の再建。桁行7間 梁間5間、周囲に軒支えの柱を廻らす、単層、入母屋造、本瓦葺、正面4間の向拝を付設
長谷川等伯像付近
開山堂
開山堂:寛政8年(1795)の再建
経蔵と鐘楼
安土・桃山時代、1588年、10世・日通により建立された。天明の大火(1788)を免れ、宝蔵とともに当山最古の建物となっている。
扁額は、江戸時代、1717年、本覚院宮(宝鏡寺第22代門跡・徳厳禅尼)筆による。
唐門
本坊内に庫裏・書院・大玄関・宝蔵などがある。
江戸時代、1829年に紀州家の寄進による。上段の間をはじめ18畳が三間ある。
西門 堀川通に面している。
涅槃会館 仏涅槃図
国重要文化財 長谷川等伯筆 (1599)慶長4年 縦10m、横6mの大画面 等伯61才時の作
写真は複製である。通常は複製を展示しているが、春期特別寺宝展の一か月限定で等伯の正筆が見られる。
布地でなく紙に描かれているためか鮮明で、彩色豊か。400余年を経た図とは思えず、大きさも手伝って圧倒される。やや高い入場料であるが値打は十分ある。
波龍図屏風
今回始めて公開された。ダイナミックな画面構成とされる。長谷川等伯作 桃山時代 六曲一隻 縦 159cm、横 351・8cm
庭園へは廊下でつながる
十(つなし)の庭
講堂南にある。十の数字を数える際に「十(とう)」のみは「つ」をいわないため「つなし」と洒落ている。
石は実際には9つしかなく、見る者の心中にもう一つの石はあるという。
蹲踞の庭
書院南にあって光悦作庭とされる。光悦作の蓮弁模様の蹲踞が据えられている。
三つ巴の庭
国名勝
書院の東側から南へ曲がる鍵形で、広さはおよそ200坪。東南隅に石組の枯滝が配され、手前に置かれた縦縞模様の青石で流れ落ちる水を表現している。
書院近くには、半円形を二つ合わせて円形とした板石を「日」とよみ、10本の葛石を十角形に並べて縁取りした蓮池を「「蓮」とよむ。
低い築山が三つ、これを巴形模様にかたどった所から「三つ巴」の名がおこった。
宝蔵、その他スポット
参考資料≪パンフレット、京都の社寺、他≫
京都府京都市上京区小川通寺之内上ル本法寺前町617
日蓮宗本山
叡昌山 本法寺
(Honpoji Temple, Kamigyoku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
撮影日: February 24, 2013
本法寺は、日蓮宗京都十六本山の一つ。開基は信仰規範の不受不施を唱えた日親上人で、一条戻り橋の袂の立って辻説法を始めてから9年目の永享8年間(1436)、東洞院綾小路(四条烏丸の東南辺り)に建立されたのに始まる。
天文5年(1536)、本法寺は、「天文法華の乱」で他の法華宗寺院と同じく、一時期和泉(大阪)の堺へ避難するが、法華(日蓮)宗本山の帰洛が許され一条堀川(現晴明神社あたり)に再建。更に天正15年(1587)、豊臣秀吉の聚楽第造営にあたり、強制的に替地として与えられた現在地へ移転している。このとき、移転工事を監督したのが本阿弥光悦。その後の天明8年の大火により堂宇の殆どを焼失したが、暫時再建され現在の堂宇となっている。
(京の名所旧跡巡りHP「本法寺」より)
本堂、開山堂、多宝塔、仁王門、鐘楼、経蔵、庫裏、書院、大玄関、唐門、宝蔵、石橋、棟札十三枚が京都府指定有形文化財である。
現地説明板
府文 仁王門
摩利支尊天
府文 多宝塔
府文 本堂
長谷川等伯像
府文 開山堂
府文 経蔵と鐘楼
境内
府文 唐門
府文 庫裡と書院と大玄関
西門
近くの百々橋礎石
京都府京都市上京区小川通寺之内上ル本法寺前町617
叡昌山 本法寺
撮影日: February 3, 2013
永享8(1436)年日親上人の創建。日蓮宗。本阿弥家の菩提寺。もとは四条高倉にあり一条戻橋辺に移ったが、天正15(1587)年にこの地に移った。光悦の寄進状を添えた紫紙金字法華経(重文)、長谷川等伯の釈迦大涅槃図(同)など貴重な寺宝がある。
庭園「三巴の庭」は光悦作、国の名勝。涅槃会館にて宝物展示あり。境内諸堂のうち、本堂、開山堂、多宝塔、庫裡、書院、大玄関、唐門、鐘楼、経蔵、宝蔵、石橋、棟札、13枚すべて、京都府有形文化財に指定されている。
(京都観光NAVIより)
今回は庫裡、涅槃会館、書院にて、庭と寺宝を鑑賞した。
十(つなし)の庭、一つ、二つと十まで数えていくと、十だけが「つ」がつかない。だから十と書いて「つなし」と読むそうだ。
国名勝 本法寺庭園 三つ巴の庭 本阿弥光悦の作
室町期の書院風枯山水の影響を強く残しながらも、桃山時代の息吹を感じさせる名庭である。東南隅の奥深い部分に枯瀧石組があり、その枯瀧の中核には、大小の立石を用いた三尊石組の形式がみられる。また、ほぼ中央の分断された円形石(日を表わす)と十角形に縁どられた蓮池があり、「日蓮」と読める。
参考資料
本法寺HP
All rights reserved 無断転用禁止 通信員募集中