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京都府京都市上京区 本隆寺 

Honryuji,Kamigyoku, Kyoto city,Kyoto

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京都市上京区智恵光院通五辻上る紋屋町330 本隆寺 本堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 明暦3(1657) 桁行七間、梁間七間、入母屋造、正面及び背面向拝付、本瓦葺 棟札1枚、宮殿2基、廊下1棟 20140127

京都市上京区智恵光院通五辻上る紋屋町330 本隆寺 祖師堂 重文 近世以前/寺院 江戸中期 江戸中期 桁行三間、梁間四間、寄棟造、正面及び背面向拝付、本瓦葺 宮殿2基 20140127


Apr.309,2015 中山辰夫

京都市上京区智恵光院五辻上ル紋屋町330

宗派:法華宗真門流 本尊:三宝尊

日蓮門下京都十六本山の一で、法華宗真門流の総本山である。

開山は日真で、1488(長享2)年堂宇を四条大宮に創立したが、四代日映のとき、天文法乱のため諸堂焼失、1542年、現在地に建立した。

十代日遵の時、京都御所の炎上により類焼、1657(明暦3)年名匠坂上作左衛門が再建、以来二度の京都大火は、西陣一帯を焼野原としたが、当寺は、焼失をまぬがれたことから「不焼寺」として有名である。

本堂(国重文)、祖師堂(国重文)、客殿、三光殿、鐘楼、経蔵、宝蔵、南門、塔頭八ヶ院等の諸堂を有し、宝物には、日蓮上人真筆大曼陀羅、法華玄論、十六羅漢絵像、名器三管、法華経七万字版木等がある。

■■「さくら」を主に写した。

土塀

桜で有名な「雨宝院)と通りを挟んで、延々と続く土塀である。寺域の大きさを感じさせる。

案内

東門

南門

本堂

国重要文化財

本堂西面と渡り廊下

祖師堂

国重要文化財

客殿附近

タカオカエデ

番神堂・経蔵・宝蔵

夜泣止松

七代目

千代乃井

本堂の前に井桁が残る。天明の大火から本堂を守ったと伝えられている

「天文法華の乱」

1536年、4世・日映の時、比叡山衆徒による洛中洛外の日蓮宗21寺を襲った事件。この時焼失した。


December 30,2014 大野木康夫 source movie

東門

本堂

南門

再び本堂

祖師堂

本堂西面と渡廊下

本堂、祖師堂


November 9,2013 大野木康夫 source movie

所在地 京都府京都市上京区智恵光院通五辻上る紋屋町330

法華宗真門流総本山本隆寺は西陣の中心に近い智恵光院通五辻に位置しています。

天正12(1584)年に秀吉の命により現在の地に移転してから、享保15(1730)年、天明8(1788)年と二度の大火に罹りましたが、本堂、祖師堂は焼失せずに残ったので、「不焼寺」と呼ばれています。

北隣は御衣黄桜で名高い雨宝院です。

南門

境内

本堂(重要文化財に答申される)

明暦3(1657)年の建築

桁行七間、梁行七間、一重、入母屋造、正面向拝三間、背面向拝一間、本瓦葺

祖師堂(重要文化財に答申される)

江戸中期の建築

桁行三間、梁行四間、一重、寄棟造、正面及び背面向拝一間、本瓦葺

東門


Nov.2013 酒井英樹

本隆寺

京都府京都市上京区

本隆寺は室町時代中期の長享2年(1488)に日真が四条大宮に建立したのが始まり。

天文5年(1536)の天文法華の乱により、伽藍が消失して京を離れたが、天正12年(1584)に現在地に移転した。

承応2年(1653)の火災で本堂は焼失し、5年後に復興されたのが現本堂。それに続き祖師堂も建てられた。

その後京都西陣をおそった亨保の大火[亨保15年(1730)]、天明の大火[天明8年(1788)]に伽藍は焼失したが、本堂と祖師堂は免れた。

本堂は日蓮諸宗本山寺院の中では最古、祖師堂は京都府内の祖師堂では最古となっている。

本堂と祖師堂が並立する配置は日蓮諸宗寺院の代表的配置の一つで、江戸時代前期から中期の一様相を示す貴重なものとして、平成25年11月に重要文化財に答申された。

本堂

祖師堂

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