JAPAN GEOGRAPHIC

京都府亀岡市/京都市右京区 保津峡

Hozukyo, Kameoka city/Ukyoku,Kyoto city,Kyoto

Category
Rating
Comment
 General
 
 
 Nature
 
 
 Water
 
 
 Flower
 
 Culture
 
 
 Facility
 
 Food
 


水尾は別ページ
Mizuo


November 12,2020 大野木康夫 source movie

JR保津峡駅から
               


駅前の紅葉
    


府道を落合方面へ
         


トロッコ保津峡駅近辺
           


落合へ
     


落合周辺
               


July 28,2016 中山辰夫

保津川下り

京都府亀岡市保津町

保津川は京都府西部を南東に流れる川で、京都市左京区広河原付近を源流とする桂川の中流部にあたり、保津川下り乗船場から、京都嵐山・渡月橋までおよそ13㎞の峡谷を中心とした部分をいう。

保津川下りはこの区間のスリリングな瀬とゆったりした淵の廻遊が楽しめる。巨大な巨岩や四季の眺めに満足できる。

  

「瀬」とは、川の水面を見たとき、白く波立つように見えたり、しわのような波が立っている場所で、水の流れは速いが水深は浅いところ。

「淵」とは、瀬の早い流れは地面をえぐりつつ岩盤などに当たって流速を弱める。瀬の下流には水深が深く、水面が穏やかで流れがよどむ所が出来る。これが淵。

大まかな歴史

794(延暦13)年に始まる平安京造営に必要な木材は、丸太を組んだ筏(いかだ)で保津川上流の山国地域(現・京都市右京区京北町の一部)から運ばれてきたとされる。水運の手段、筏流しは平安時代に始まり、昭和初期まで続いていた。十数連に及ぶ長い筏が川を下った。

 

その後も材木運搬の重要性は変わらず、近世に入ると京都・伏見・大坂で城郭や都市の建設が盛んとなり、材木の需要が急増した。

豊臣秀吉は筏を流す筏師保護政策を取り亀山藩も継承した。材木や薪を運ぶ手段が筏に限られていたのは渓谷が深く舟による輸送をこばみ続けたことによる。

この保津川の水運を角倉了以が一変させた。1606(慶長11)年、保津峡谷に舟の水路開削を5ケ月で完成させた。その資金は今の約75億円相当とされる。

 

明治に入って、1869(明治2)年保津川の水運の支配権が、嵯峨角倉家から明治政府に移った。

明治・大正期に入り京都鉄道(現・JR山陰本線)の開通やトラック輸送の開始で主役の座を奪われた筏は、1970年頃には姿を消した。

遊舟として観光客を乗せた川下りが始まったのは1895(明治25)年ころとされる。現在の保津川下りはトロッコ電車とセットにした観光が中心である。

角倉了以が保津峡を開削して410年(平成28年)、地元亀岡では「保津峡の世界遺産登録をめざす会」も発足し、市民共有の財産という意識が高揚している。

乗船場

JR亀岡駅北出口側から徒歩。乗り場は新保津大橋の橋桁下にある。

      

新保津大橋の完成は平成13年、全長368m。保津川下りの棹をイメージした斜張橋の形と世界で始めての一つの電球が五色に変色するイルミネーションが特徴

 

【お断り】舟の座席は船頭さんが指定する。今回は左舷に座ったため左側面の画像が多い。加えて舟に取り付けてある半円状のプラスチック棒が邪魔した。

案内パンフレットとコース (引用 配布パンフレットより)

    

乗船したら船頭さんに命を預ける覚悟が要る? 舟の最大搭載人員:30人

船頭さんは3人。前で棹指しと櫂引きが漕ぎ、後方の舵取りが舟を操る。各々途中で持ち場を交代する。 棹の長さは約3m(二尋ふたひろ)、これを自由に操る。

   

【お断り】 これから先、画像と説明とが不一致な個所が含まれますこと承知ください

コース概略図−1 保津新橋周辺〜請田神社周辺まで

  

請田神社下から始まる宮の瀬までの間は川幅も広く穏やかな流れが続く。保津小橋(沈下橋)を写し損ねた。

乗船場を出発してすぐに川が大きく東へ曲がる「大曲がり」を過ぎる。このあたりの流れは穏やか。前方の高い山は愛宕さん、前に見えたり後ろに見えたりする。

      

請田神社(うけた) 

  

左岸に見える。祭神:大山咋。保津町の氏神で、峡谷を切り開いて肥沃な土地を築いた神(大山咋)と川の安全を守る神を祀る。保津川下りと縁が深い。

10月20日が祭礼で、昔から「火祭り」として知られる。 右岸には桑田神社がある。

コース概略図−2 請田神社から小鮎の滝〜三ツ岩周辺まで

 

神社下辺りから始まる「宮の下の瀬 約3km」は最初の瀬、烏帽子岩、鏡岩、不動明王、次いで「金岐の瀬」を過ぎると、突堤(水寄せ)があり、小鮎の滝に至る。

右側にトロッコ電車の亀岡駅が見えてくる。対岸は請田神社

  

最初の急流である宮の下の瀬がはじまる

    

その日の流れ具合や川の状態を見る瀬である。

左岸に烏帽子岩、右岸に鏡岩・ほか (約20分程度経過)

    

右岸の岩肌に見える大きな岩は鏡岩、昔の手鏡に似た岩。今の鏡とは形が違うので、観光客は説明を聞いても理解しにくいようだ。

この辺りから大小の岩が右・左に次々とあらわれる。竿(棹)が大活躍である。シャッターが次々と現れる岩に追いつけず、たまたま写った岩は名前が分からない。

不動尊 (保津川の守り本尊)

  

1899(明治32)年、山陰線開通の祝賀会に参加した米軍音楽隊が遭難、その捜索をしている際に川中で見つかった不動さんを祀る。

不動尊の下の流れ辺りから「金岐の瀬」に入る。

    

小鮎の滝

保津川下りで最も落差(2m)が激しい急流の場所で、棹、櫂、舵を担当する船頭全員が呼吸を合わせて下る。

水寄が並ぶ

    

舟の水路を形成し、急流の入口である。川の大きな湾曲によって外側へ広がろうとする流れを、内側の岸へ向けて作られている。

川底から40〜50cmほどの高さの山型をしている。野面積みが多い。角倉了以による水路開削が行われてから現在まで度々手が加えられている。

      

三ツ岩近辺

   

コース概略図−3 三ツ岩から大高瀬〜殿の漁場〜猪ケ口〜女淵〜二股の瀬〜曲り瀬〜朝日のだま〜朝日ケ瀬周辺まで

 

大坪の瀬、旗鉾の回り、いりくり浜を経て大高瀬、カエル岩、小高瀬、狸岩、などを経て殿の漁場へ向かう。

三ツ岩周辺〜大高瀬周辺

    

三つの石が流れに沿うように並ぶ。この石に沿って船を寄せるとうまく流れるという舵取りの目安になる石とされる。

大高潮近辺は保津川で一番長い激流が続き、瀬の落差が大きなところ。長い突堤が続く。

スリル満点。舟を引き上げていた頃は、ここが最大の難関だった。船頭さんも真剣である。

カエル岩

 

数々の巨岩、奇石は遥か昔の海水の侵食で数億年前に堆積した地層の古生層がむき出しの状態になっている。堆積岩の一種である。

トロッコ電車とミートして喚声 JR山陰線鉄橋が見える

   

小高瀬周辺

         

殿の漁場

    

流れが殆ど無く、水深が10m以上もあるプールになっている。様々な言い伝えがあるようだ。

ここから先は、猪ケ口、二股の淵、曲がり淵、女淵、朝日の瀬、などと名付けられた景勝の場を通るが、とてもカメラが追い付かず、写ったものを順に並べる。

猪ケ口(約5㎞の地点)は急流の細い水路を舟が通る難所の一つとされる

      

女淵付近 鉄橋は山陰線 5回くぐるとか。 いのしし岩

      

北山杉が林立 釣り人発見 進路方向に愛宕さんが見える。

    

二股の瀬〜朝日の瀬付近

      

了以が開削した時に築かれた水寄。水が横へ逃げないように、流れに沿って築かれた水中堤防で舟を浮かべる水位を保つ。400年以上経過の今も残る。

朝日の瀬は水路開削時の石積みを残す貴重な場所とされる。水寄せの役割は、水の方向を変える、水深を確保する、流れを早くすることである。

コース概略図−4 朝日だま〜孫六岩〜落合周辺まで

  

孫六岩付近 乗船場より約8kmの地点

     

角倉了以が保津川を開削した時にこの大岩が通舟の邪魔であった。了以はこの岩を崩すことは至難の業であるが、神が与えた試練と受け止め崩す決意をした。

解体を命じられたのが石工・孫六親子で、死に衣装で作業に取っ組んだ。石の目に沿って穴を開け、タガネを打込んで崩していった。崩すと同時に孫六親子は川に落ちて無くなったとされる。船頭衆は「徳住(とくずみ)の大岩」とよんでいるとか。

竿の跡

    

竿(棹)の跡は何カ所もある。舟が下るときに突く跡と曳きあげる時に突く跡がある。

綱の跡 舟で嵐山まで下がった後、曳き綱で舟を曳き上げていた。その時の跡である。

  

舟で嵐山まで下がった後、曳き綱で舟を曳き上げていた。その時の跡である。

鵜飼の浜〜鵜飼橋〜蓬莱山〜赤水〜火打ちの瀬〜船戸の瀬辺りの光景

                 

鵜飼の浜は、水尾川との合流点 青和天皇が鵜飼をしたところといわれる

屏風岩

 

左岸にあって、上の方まで絶壁となっている。 壁岩ともいわれる

千枚岩と月世界

      

薄い岩を何枚見重ねたように見える岩と、月面のクレーターをおもわせる岩

獅子舞岩〜時雨岩〜鹿の子岩一束岩〜鵜飼橋〜トロッコ電車「保津峡駅」

          

黒瀬周辺

        

水位測定カ所も見える。吊り橋はトロッコ電車用

落合周辺

     

落合は乗船場より約13㎞にある。清滝川との合流点。両側の岩が白く立ちはだかっていることから「落合の石門」といわれる。

これより下流から嵐山までは扇形に似た流れになっている。

コース概略図−5 落合〜ライオン岩周辺

  

書物岩と竿の跡

    

猿飛岩〜かじか岩〜蓮華岩

    

トロッコ電車保津川鉄橋周辺 その下の流れは「奥の段」へ入る。

       

JR山陰線の鉄橋周辺 

        

ライオン島岩・オットセイ岩〜大悲閣周辺 最後の急流

      

最後の急流

          

現れました・・・物売船

    

コース概略図−6大悲閣〜渡月橋周辺

 

角倉了以を祀る大悲閣(千光寺)と了以のもと本宅跡とされる「星のや京都」

      

渡月橋も見え、保津川下り着船場到着

      

所要時間:約1時間40分 船頭さん、ご苦労さんと思わず声を掛けたくなる。

参考資料≪ふるさと保津・保津川下りの今昔・京都府の歴史散歩・他≫


September 26,2015 大野木康夫 source movie

保津峡駅から見た保津川下りの船

     


Nov.2012 大野木康夫 source movie

2012.11.16撮影 

雨交じりの早朝、JR保津峡駅から落合までの風景

                              


Apr.2012 中山辰夫

保津川散策

京都府亀岡市保津町保津山3−1434

4月12日、京都トレイルの西山コース通りに散策する。

JR保津峡駅

今日のハイキングのスタート場である。

京都市西京区と亀岡市にまたがるJR西日本山陰本線の駅で、「嵯峨野線」の愛称区間に含まれる。

ホームや中央の直下を市境界の保津川「桂川」が流れている。

駅と駅前からの遠景

      

嵯峨野トロッコ電車

嵐山より上流の保津峡に沿って走るトロッコ電車で、旧山陰線の線路を利用している。

     

川沿いを歩く。さくらはまだチラホラの咲き様、少し早かった。三つ葉ツツジが咲き出していた。

保津峡と川下り

亀岡市から嵐山の渡月橋に至る保津川(桂川)の渓谷で、景勝地である。

    

川下りは、「保津峡下り」と称され亀岡から嵐山までの約16kmの清流を約2時間かけて下る。

スリル満点の舟下りであるが、昨日の雨で水量が増し、濁っていたが、舟くだりは行っていた。

   

落合トンネルを過ぎると落合峡。水の色合いが透明な清滝からの流れと合流する。

    

清滝の金鈴橋がみえる。途中に嵯峨天皇、嘉智子皇后の嵯峨陵がある。

   

六丁峠へ向かう。落合からは約1.1kmの距離である。六丁峠は標高171m。ここを下りると0.8kmで嵯峨鳥居本である。

途中に嵯峨天皇、嘉智子皇后の嵯峨陵がある。

 

 


July 2010 瀧山幸伸 source movie

保津峡

Hozukyo

                  

All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中