京都府京都市右京区 為因寺
Iinji, Ukyoku, Kyoto city,Kyoto
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京都市右京区梅ケ畑奥殿町46 為因寺宝篋印塔 重文 近世以前/その他 鎌倉前期 文永2(1265) 石造宝篋印塔(覆鉢及び九輪上部を欠く) 文永二年乙丑八月八日造立の刻銘がある 19550202
May 4, 2020 野崎順次 source movie
京都市右京区梅ヶ畑奥殿町46
浄土宗知恩院派
十方山 為因寺
元々は善妙寺という高山寺の別院があったらしいです。善妙寺は鎌倉時代、承久の乱で敗北した公卿の妻が明恵上人を頼って逃れてきたのを救済収容した尼寺だったそうです。その後廃寺になったのですが、安土・桃山時代に浄土宗の為因寺が再興されたそうです。
1868年頃、善妙寺の阿難塔(現在の宝篋印塔)は神仏分離令後の廃仏毀釈の波を逃れるべく、境内(現在の高雄小学校)に埋められたそうです。
それが1956年、小学校の建設工事に伴い、土中より発見され為因寺に遷されたそうです。
(Amadeusの「京都のおすすめ」ブログ版より)
国重文 為因寺宝筐印塔
鎌倉時代中期 高210cm 花崗岩
附近にあった善妙尼寺の古石塔で、寺は栂尾高山寺に属した。塔身正面に「阿難塔」背面に「文永二年(1265)己丑八月八日建之」と刻む。基礎を失い、相輪も半ばを欠損するが、重厚感のあふれる塔形である。笠の隅飾は一弧で無地、かつ長大な馬耳状からのべ作りにする形式を見せる。これと同式の遺品は高山寺にも二基あり、高山寺式とよぶべき特色を持つ。なお尼寺に阿難を供養する石塔を建てたのは、釈迦の弟子阿難の請いによりて、釈迦の嬢母大愛通が女人としてはじめて出家を許された縁による。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典、1998年」より)
帰途
周山街道、高尾学校前バス停の急カーブ
所在地 京都市右京区梅ヶ畑奥殿町48
2011.5.14撮影
為因寺は梅ヶ畑の集落のやや高台、国道162号線の高雄小中学校前を少し北に行き、小さな階段を下りると見える小さなお寺です。
宝篋印塔(重要文化財)
文永2(1265)年のもの
石造宝篋印塔(覆鉢及び九輪上部を欠く)
文永二年乙丑八月八日造立の刻銘がある
文永二年(鎌倉中期)の建立。笠石の隅飾り突起の形式特異で、單純にして巨大感がある。阿難塔と呼ばれて有名なものである。
(国指定文化財等データベースより)
山門を入って右手に廻り込んだところに安置されています。
日本に現存する宝篋印塔の中では早い時期のものだそうです。
釈迦に女の人の出家を認めさせた阿難陀の供養塔として尼寺であった善妙寺(高山寺別院)に建てられたもので、正面に「阿難塔」と刻まれています。
昭和31(1956)年、善妙寺跡地の高雄小学校の建設工事に伴い地中から出土し、為因寺に移されたそうです。
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