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京都府京都市東山区 今熊野観音寺

Imakumano Kannonji,Higashiyamaku,Kyoto city,Kyoto

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Nov.21,2022 柚原君子

今熊野観音寺(いまくまのかんのんじ)
所在地:京都市東山区泉涌寺山内町
泉涌寺の楊貴妃観音堂のあと駅に戻る途中、右側に赤い太鼓橋と燃えるような紅葉。かなりの下り坂。帰りの登りをためらっていたら、下から上がってきた女性がとにかくきれいだから、人もあまりいないし行ってみる価値ありよ、と教えて戴きました。ほんときれいでした。
今熊野観音寺は泉涌寺の塔頭で山号は新那智山。今熊野という地名は平安時代後期に紀伊国熊野の熊野三山に対してこの地を今熊野と称したもの。現在の本堂は正徳2年(1712年)に、宗恕祖元によって建立されたもので元々は奥の院の順礼堂が建っていた。
説明板には
『御本尊は大師が熊野権現より授かった一寸八分の観音像を体内仏として自ら彫刻された十一面観世音菩薩であります。 後白河上皇は、当山を深く信仰されて新那智山と号し、今熊野観音寺と称されました。』とあります。
本堂はですが、本堂右にそびえる多宝塔は昭和59年に建立されたものでまだ新しい感じがします。
ウキィペディアより

 

                            


March 20, 2020 野崎順次 source movie

京都府京都市東山区泉涌寺山内町32
真言宗泉涌寺派
真那智山 今熊野観音寺


御本尊は大師が熊野権現より授かった一寸八分の観音像を体内仏として自ら彫刻された十一面観世音菩薩であります。 後白河上皇は、当山を深く信仰されて新那智山と号し、今熊野観音寺と称されました。
(「西国三十三ヶ所巡礼の旅」サイトより)
平安時代、嵯峨天皇の勅願により弘法大師が開創され、御本尊は十一面観世音菩薩である。西国三十三所第十五番霊場・厄除、開運の寺として知られ、特に頭痛、智恵授け、ぼけ封じ、の観音様として信仰されている。境内は四季山の緑が美しく、春の梅、桜、秋の紅葉は訪れる人の心をとらえて見事である。
建立:825(平安時代)年頃
(「京都観光Navi」サイトより)

今回は特に石造物を拝観に来た。特に墓地の山裾に並ぶ三基の宝塔をめざす。

泉涌寺参道から少し下り、赤い橋を渡って、石段を上がると本堂である。

        

創建当時(平安時代)の三重石塔

        

本堂横の石仏群(新しい)

   

目的の三基の宝塔は、本堂裏の墓地の山裾にあるとしか知らなかったが、その墓地が実に広大であった。見つけるのはとても無理と思いながら、左手の奥に進み、試行錯誤を繰り返したら、意外に早く見つかった。仏様のご加護でしょうか。

今熊野宝塔 鎌倉時代後期 高210cm 花崗岩
今熊野観音寺背後の山裾にある墓地の中に、古くから慈円僧正・藤原忠通・長家の塔といい伝える三基の宝塔が立っている。
向って左のは基礎を失っているが、中央と右のはほぼ同じ大きさで相輪失う他は主体部はよく保存されている。基礎側面は低平で安定し、大ぶりの格挟間が四方とも入っており、塔身軸部は無地で素僕な円筒形とし、上刃に縁板状の円盤を作り、首部は二段に作る。笠の背は高からず、降棟と稚子棟を刻出し、軒は厚くて両端に向かって力強く反り、軒裏は二段の垂木型と隅木を作るなど、全ての点に本格的手法を示し、中央作品の典型を見せる。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典」1998年より)

      

南側の宝塔

      

中央の宝塔

       

北側の宝塔

      


Apr.3,2016  中山辰夫

観音寺は、初め東山観音寺と称したが、後白河上皇が1160(永暦元)年、新熊野社を勧請創建された時から今熊野観音寺と称した。

寺伝で弘法大師の作といわれる本尊十一面観音像は、脇士不動明王、毘沙門天像とともに篤い信仰をあつめ、参詣者は絶えることがない。

       


Feb.2012 中山辰夫

撮影:2011年12月19日

宗派:真言宗 本尊:十一面観世音菩薩

泉涌(せんにゅう)寺の塔頭で、正しくは新那智山今熊野観音寺。

西国33箇所観音霊場第15番目の札所。

弘法大師が熊野権現の化身から観音霊地の霊示を受け、観音像を刻んで本尊とし草堂に安置したのが

始まりとされる。

後白河法皇が霊験により持病の頭痛が治癒し治癒したので、本寺に「新那智山・今熊野」の名称を与え

以来、頭痛中風、厄除の観音として繁栄してきた。

伽藍は応仁の兵火で焼失したが、その後、復興されて現在に至っている。

本堂には空海作と伝える十一面観音像を安置する。

寺域は幽静で、郭公(かっこう)鳥の名所として名高く、本堂背後の墓地には慈円僧正・藤原忠通・同長家の墓

と称せられる見事な石造宝塔3基がある。

境内全体

 

開創以来千二百年近くにわたって数々の歴史を秘めて並び立つ諸堂。

境内は四季、山の緑が美しく、梅・桜・モミジが見事である。

泉涌寺から約10分で歩くと、今熊野観音寺への入口となる朱色の鳥居橋付近に着く。

      

境内までの参道はモミジの絶好の場。モミジのシーズンは終わっていたが、まだまだ十分に楽しませてくれた。

       

境内

        

本堂

    

空海が熊野権現と尾出会いになった最も神聖なる場所とされる。正徳2年(1712)、宗恕祖元律師によって建立された。

    

秘仏:本尊十一面観世音菩薩の胎内仏の十一面観世音菩薩≪身丈・一寸八分≫が祀られている。

脇仏は智証大師円珍作と伝えられる不動明王と、運慶作と伝えられる毘沙門天である。

ほかに、本堂には京都七福神の祭祀として恵比寿神をお祀りしている。

大師堂

    

弘法大師をお祀りしている。

    

近辺のモミジも美しい

医聖堂

    

祠が立ち並ぶ小道を登る。

    

本堂東側の山上にひときわ高くそびえ立つ平安様式の多宝塔。

堂内には医界に貢献された多くの方々ご祭祀されている。境内には≪武見太郎≫の像も立っている。

鐘楼

   

休憩所から見るモミジも見ごたえがあるようだ。

    

藤原三代の供養塔

 

境内北側の山裾に建つ。

藤原忠通、苦情兼実、慈円僧正の供養塔

ご本尊御前立

 

行法大師作と伝えられる十一面観世音菩薩≪身丈:一尺八寸≫は秘仏とされ、直接拝むことは出来ない。

その代わりに同じお姿をされた御前立さまが本堂に立たれている。


Nov. 2007 瀧山幸伸 source movie

                    

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