京都府京都市左京区 石座神社
(Iwakurajinja Shrine、Sakyoku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
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古い形を伝える神社、石座・岩倉・磐座、いずれもイワクラ | |
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February 16, 2020 野崎順次 source movie
京都府京都市左京区岩倉上蔵町30
創建については明らかでないが、日本三代実録に
「元慶四年十月十三日癸巳、山城国正六位上石坐神、授従五位下」
とあり、元慶4年(880年)時点で既に岩倉の地に石座明神社として鎮座していたとされ、この地の名称の由来となった。なお、当時の鎮座地は、現在の岩倉西河原町にある石座神社の御旅所である山住神社の地である。山住神社は社殿を持たず、御神体の磐座を崇める古神道の形が今に残っている。
天禄2年(971年)に行われた大雲寺の造営に伴い、石座明神がその鎮守神として、現在地である大雲寺の当時の境内に勧請される。長徳3年(997年)4月18日に神殿が新築され、石座明神と共に、新羅・八幡・山王・春日・住吉・松尾・賀茂の七明神が勧請、合祀され「八所明神」と称した。それに伴い旧来の石座明神社は、八所明神社の御旅所となった。
後に西社が建造されると東社の八所明神に加え、伊勢・平野・貴船・稲荷の四明神が祀られ「十二所明神」と称した。
天文15年(1546年)、細川国慶と当時の岩倉領主山本尚則が大雲寺近辺で交戦し、大雲寺も兵火を被った。その際、鎮守社であった八所・十二所明神の社殿及び古文書を焼失する。その後、天文22年(1553年)に両社が再興され、天正2年(1574年)に両社の社殿も再建される。この社殿は明和3年(1766年)にも改造築され、この時作り変えられた社殿が現存している。
明治以降、旧来の石座明神社が「山住神社(やまずみじんじゃ)」、八所明神社・十二所明神社が「石座神社」と改称される。1877年(明治10年)、現在の岩倉村松町にあたる「正水山」の一言神社が石座神社境内に合祀される。1878年(明治11年)には石座神社裏の「万年岡」にあった福善社が石座神社境内に合祀される。
(ウィキペディア「石座神社(京都市)」より)
境内は、鳥居・拝殿・両本殿(京都市指定有形文化財)がほぼ一軸上に並び、また拝殿の手前に軸線をはさんで対称的に仮屋がおかれています。敷地の高低差を利用し、また軸線を強調した配置はみごとで、石垣や石段とあいまって優れた境内環境を形成しています。
(京都通百科事典より)
現地説明板
境内は上下三段になっている。鳥居から石段の上がり、拝殿へ。
さらに石段を登ると、東西本殿がある。
国登文 東殿(八所明神)石座明神と共に、新羅・八幡・山王・春日・住吉・松尾・賀茂
国登文 西殿(十二所明神)東社の八所明神に加え、伊勢・平野・貴船・稲荷の四明神
一言神社
山住神社へ下る途中の祠など
山住神社
石座神社の御旅所であるが、もともとここが石座神社であった。山住神社は社殿を持たず、御神体の磐座を崇める古神道の形が今に残っている。
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