京都府京都市右京区 直指庵
(Jikishi-an Temple, Ukyo-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
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November 16, 2014 野崎順次 source movie
京都府京都市右京区北嵯峨北ノ段町3
祥鳳山 直指庵
(Jikishi-an Temple, Ukyo-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
江戸時代の1646年(正保3年)に独照性円が没蹤庵を建てたのに始まる。名前の由来は独昭禅師が黄檗禅の正統さを「直指伝心」することを旨としたことによる。その後荒廃し、幕末に近衛家の老女津崎村岡局が浄土宗の寺として再興したのが現在の直指庵である。再興時の建物は明治年間に消失し、現在の建物は1899年(明治32年)に再建されたものである。
(ウィキペディア「直指庵」より)
アプローチ、渡月橋あたりからJR嵯峨線踏切まではすごい人混みである。大徳寺方面のバスは遅れ遅れで、歩くのが一番である。
清凉寺前から大徳寺まではバスに乗り、さらに北に歩く。
直指庵に着いた。ここまで来るとさすがに人影が少ない。
本堂前の庭園
本堂から開山堂へ
それから
思い出草観音像あたり
道場あたり
本堂へ
本堂の小さな庭
本堂からの眺め
帰り道の花々
April 13, 2014 野崎順次 source movie
京都府京都市右京区北嵯峨北ノ段町3
祥鳳山 直指庵
江戸時代の1646年(正保3年)に独照性円が没蹤庵を建てたのに始まる。名前の由来は独昭禅師が黄檗禅の正統さを「直指伝心」することを旨としたことによる。その後荒廃し、幕末に近衛家の老女津崎村岡局が浄土宗の寺として再興したのが現在の直指庵である。再興時の建物は明治年間に消失し、現在の建物は1899年(明治32年)に再建されたものである。(ウィキペディア「直指庵」より)
来訪者が想いを綴る「想い出草」というノートがあります。1965年頃から始まったとされ、現在では5000冊以上に。秋の特別公開時には寺宝とともにノートが公開されてます。ノートには、「そっとその意地を私の心(ノート)にすててください。苦しむあなたをみているのがつらいのです。」と記されています。(「キョウトデザイン」ウェブサイトより)
当寺ご住職の小田芳隆さんの法話が素晴らしいと聞いた。全国に出かけられることが多いので、あまり、お寺におられない。そのお寺が嵯峨野の奥にあり、春夏秋冬趣があり、実によい雰囲気をしているとのことである。着いたのが、午後3時40分で閉門が4時、あわただしくお参りをした。
大覚寺から北へ1kmほど歩く。
パンフレットと現地説明板
山門と前庭
本堂と庭、内部は撮影禁止
境内の奥へ
一本の木に紅白の桃
さらに奥へ、想い出草観音像など
道場のあたり
帰途
Mar. 2006 瀧山幸伸 source movie
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