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京都府京都市右京区 神護寺

Jingoji,Ukyoku,Kyoto city,Kyoto

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京都市右京区梅ケ畑高雄町5 神護寺大師堂 重文 近世以前/寺院 桃山 桃山 桁行左側面四間、右側面五間、梁間三間、一重、入母屋造、こけら葺 19020417


November 12,2020 大野木康夫 source movie

高雄観光ホテル付近
                 


神護寺参道
                 


楼門は修理中
   


神護寺境内
         


金堂の石段
                                


大師堂、毘沙門堂付近の撮影
            


石段を登りながら
                                     


日が照ってきたのでもう一度石段の下から撮影
               


明王堂付近
        


和気公霊廟付近
                        


本坊
   


帰路
               


西明寺へ
          


June 20, 2020  野崎順次 source movie

槇ノ尾バス停から清滝川河畔の道を進む。
                          

神護寺のパンフレットと現地説明板
   


高雄橋を渡る。
   


神護寺下乗笠塔婆 鎌倉時代後期 高224cm、花崗岩
紅葉で知られる京都高雄の、清滝川にかかる朱塗りの橋を渡ったところに神護寺の登り口がある。そこに下乗笠塔婆が、四角な基礎の上に立っている。塔身高さ194cm、幅正面31cm、側面24.3cmのもので、今は笠を失っているが塔身の頂上に柄穴が作られているから、もと笠のあったことは確かである。正面上方には金剛界大日の種子を薬研彫し、下方に特色のある「下乗」の二字を大きく彫る。下乗石は近世に至るまで各地で作られているは神護寺のものと似たものが多い。下乗の文字の下に次の刻銘がある。「正安元年(1296)十月日造立之 権大僧都乗瑜敬白」下乗石の在銘遺品ではこれが最古である。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典、1998年」より)
       


参道の石段を上がる。途中に硯石がある。「空海弘法大師が神護寺に在山の時、勅額の依頼を受けられたが、急な五月雨で橋が流されたため、この石を硯として対岸に立てかけた額に向けて筆を投げられたところ見事に『金剛定寺』の四文字を書かれたという。但しこの寺は現存していない。」(現地説明板より)
          


楼門(正門)は工事中。両脇に二天像を安置する。毘沙門堂などと同様、元和9年(1623年)の建立とされる。境内に入ると、書院、宝蔵、和気公霊廟、鐘楼、明王堂と並ぶ。
           


金堂で重たいザックを預かってもらい、小型カメラとステッキだけを持って、文覚上人御墓に登る。けっこうな山道である。
    


神護寺露盤 鎌倉時代後期 高90cm 花崗岩
金堂の後、0.6kmの山上に文覚上人廟があって、鎌倉時代の古調を示す五輪塔を安置する。その廟の、壇の右手地上にこの石造露盤はおかれている。露盤は普通は瓦か金属で作り、宝形造の四角な屋根の中心にのせるものであるが、鎌倉時代前後に石で作ったものが何点か知られている。方形の露盤の側面には立派な格狭間を二つずつ刻み、その上に饅頭型の伏鉢を作り、上に形の良い宝珠を置く。伏鉢と宝珠の間のくびれに複弁を上下に飾り、鎌倉後期の見事な様式を見せる。文覚廟は、もと木造建築があってその内に五輪塔が納められ、その建築の上にこの石の露盤がのせられたものと思われる。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典、1998年」より)

文覚上人御墓
       


露盤
                 


隣接する後深草天皇皇子性仁親王墓と眺望(京都タワーが見える)。
       


金堂の上の多宝塔、金堂と同様、昭和9年(1934年)、実業家山口玄洞の寄進で建てられたものである。内部に国宝の五大虚空蔵菩薩像を安置する(毎年5月と10月に各3日間ほど公開)。
        

金堂 - 入母屋造、本瓦葺きの本格的な密教仏堂であるが、建築年代は新しく、昭和9年(1934年)に実業家山口玄洞の寄進で建てられたものである。須弥壇中央の厨子に本尊薬師如来立像(国宝)を安置し、左右に日光・月光(がっこう)菩薩立像(重要文化財)と十二神将立像、左右端に四天王立像を安置する。
             


五大堂 - 金堂へと上る石段の下に建つ。入母屋造の三間堂。元和9年(1623年)の建築。
    


毘沙門堂 - 五大堂の南に建つ。入母屋造の五間堂。金堂が建つ前はこの堂が金堂であり、本尊の薬師如来像もここに安置されていた。元和9年(1623年)の建築。内部の厨子に平安時代の毘沙門天立像(重文)を安置する。
      


国重文 大師堂
入母屋造、こけら葺きの住宅風の仏堂。空海の住房であった「納涼房」を復興したもので、現存するものは近世初期の再建である。内部の厨子に正安4年(1302年)作の板彫弘法大師像(重文)を安置する(大師像は秘仏で、11月1日 - 15日のみ開帳)。
      


帰途、参道の石段を下り、高雄橋を戻り、かなりの石段と急坂を上ると、山城高雄のバス停である。

         

参考資料
ウィキペディア「神護寺」

 


November 12,2017 大野木康夫 source movie

紅葉ライトアップ

山城高雄バス停から参道入り口へ

           

参道

     

仁王門前

       

境内

       

金堂前石段

                                                       

石段の上から

           

再び石段下から

            

境内各所

       

人が少なくなってきたので石段下へ

      

無人の時間帯前後

                  

帰路

                    

槙ノ尾から帰る

        


Nov.10,2017 瀧山幸伸

Edited Movie Download YouTube

source movie

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       

西明寺方面へ

                         


Nov.2012 大野木康夫 source movie

神護寺とその周辺

2012.11.16撮影

早朝6時45分にJR保津峡駅を出発し、清滝川沿いに歩いて2時間弱で高雄に到着しました。

神護寺の門前風景

           

参道の坂道

          

仁王門

      

拝観は9時からということでしたが、少し早く入れました。

       

鎧坂

           

大師堂

   

日が差してきたので再度鎧坂を撮影しました。

        

金堂付近と鎧坂の上からの眺め

                   

金堂から多宝塔

        

かわらけ投げへの道

   

かわらけ投げ、錦雲峡

     

伽藍方面に戻る

       

再び大師堂

        

伽藍風景

          

仁王門へ戻る道筋

         

仁王門付近

     

参道(帰路)

     

西明寺方面への道

     


Oct.2012 中山辰夫

曲流する高雄川の西南部一帯で、高尾町のほとんどが神護寺の寺域で約20万㎡とされる。

天長元年(824)和気氏の氏神が河内国神護寺と合併した。空海・最澄も一時ここに住持した。一時荒廃したが、後白河法皇・源頼朝の保護で再興された。

寺へ登る石段の道は長い。青々とした清滝川の流れがずっと下で、キラキラ光をはねかえしている。

一歩一歩ずつ坂道をたどることがこの寺の佇まいにマッチしている。

長〜い石段。およそ350段、結構荒々しい。

      

休憩所 硯石亭

紅葉のシーズンまではお休み。空海が硯に使ったとされる岩がある。

  

楼門まで後わずか

    

楼門外観

持国天と増長天が立つ。

      

楼門細部

三間一戸、屋根は入母屋造、もとは?葺き、組物は三手先、和様系の建物。下層中に蟇股が入る。江戸初期様式を示す。

          

蟇股の内部彫刻は、正面が「雲に輪宝」、背面は「雲に五鈷である。いずれも密教法具で、これを彫ったのが真言宗らしいとされる。

本坊

     

鐘楼 京都府指定文化財 江戸時代建立

袴腰付きの均整のとれた建築で、元和年間に他の諸堂と共に造営されたもの。上重軒は扇垂木、雲支輪で、縁下には蟇股を入れている。

楼上の鐘は古来「三絶の鐘」といい姿美しく、当時一流の書家・撰者・治工などで完成され、書道・金工方面でも最も重要な名鐘とされる。

        

明王堂

 

五大堂

毘沙門堂と同時の造建でやや小型である。内部には、五大尊(不動・降三世・大威徳・軍茶利・金剛夜叉の各明王)が安置され、講堂ともいう。

       

毘沙門堂

現在の金堂が出来るまでは本尊である薬師如来立像が祀られていた。元和9年(1623)の再建で、五間五間、一重、入母屋造、銅瓦葺、向拝付

            

大師堂 国重要文化財

毘沙門堂の南西に当面して建つ瀟洒な建築。空海の納涼房ともいうように、作りもそれにふさわしく住宅風で、軽快にして気の利いた建築とされる。

      

桁行左側面四間、右側面五間、梁間三間、一重、入母屋造、こけら葺

ひっそりとした佇まいである。入母屋造の質素な姿に気品が感じられる。

金堂

約130段の石段を登る。どっしりした壮大な石段である。映画にも再々登場している。

    

神護寺中心伽藍中の最大の建築。 紅葉や新緑、季節ごとの風景で彩られる。

七間六間 入母屋造 本瓦葺 昭和10(1935)年建立 京都の豪商・山口玄洞氏の寄進によるが、その堂々とした姿は昭和の仏堂建築の傑作とされる。

正面中央三間板扉 両脇二間ずつの連子窓 組物は和様三手先。 軒深く、木部の彩色に白壁で、仰ぎ見る姿ははなやか。

安置仏 本尊 木造薬師如来立像(国宝) 脇侍 日光菩薩立像 月光菩薩立像(重要文化財)

       

内・外陣

外陣は小組格天井、内陣は折り上げ。組物の見付には極彩色を施す。本尊の左右には、日光・月光菩薩や十二神将、四天王が並ぶ。

   

木鼻は朱・緑・黄色の極彩色である。

  

三面に、内部彫刻に極彩色を施した大きい蟇股がズラリと並んでいる。2種類に見えるのだが・・・・。

    

釘隠し・鋲金具・他

       

閼伽井

  

かわらけ投げ

清滝川が神護寺を囲む。その川沿い約4㎞の渓谷が錦雲峡とされる。

   


Nov.2011 大野木康夫 source movie

所在地 京都府京都市右京区梅ヶ畑高雄町

2011.11.19撮影 

神護寺の紅葉です。

雨の日の早朝で、撮影はしにくかったですが、その分空いていました。

といっても、早朝からツアーの観光バスの団体客が何組か来ておられましたが。

好天ならもっと多くの人が詰めかけると思いますので、雨でもなければ訪問できなかったかもしれません。

                                                        


Jan.2007 瀧山幸伸 source movie

   

         

            

  

鐘楼

     

  

五大堂

  

毘沙門堂

              

大師堂

      

金堂

          


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