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京都府京都市上京区 上品蓮台寺

Jobonrendaiji,Kamigyoku,Kyoto city, Kyoto

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Mar.21,2020 瀧山幸伸 

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京都府京都市北区紫野十二坊町33−1

寺伝によれば、聖徳太子が母の菩提寺として建立し、宇多法皇が中興したという(『山州名跡志』)。

天徳4年(960年)9月9日付の蓮台寺供養願文(『本朝文集』所収)に、東寺長者寛空が北山に一堂を建立し、亡き父母の供養をしたとあり、『日本紀略』同日条にも同様の記載があるが、これが上品蓮台寺の実質的な創建を伝えるものと推測される。当寺は一名香隆寺とも呼ばれたが、これは寛空が隣接する香隆寺(後に上品蓮台寺に合併)を兼帯していたためである。寛空は宇多法皇の弟子にあたり、大覚寺で法皇から灌頂を受けている。宇多法皇の孫(敦実親王の子)にあたる寛朝僧正も当寺の住持になっている。

嵯峨清凉寺の本尊で、「三国伝来の霊像」として広く信仰を集めてきた釈迦如来像は、一時期、上品蓮台寺に安置されていた。『扶桑略記』によれば、寛和3年(永延元年・987年)に奝然が同釈迦像を宋から日本へ請来した際、一時この寺に安置し、後に清涼寺に移したという。

寺は応仁の乱で焼けたが、文禄年間(1592 - 1596年)、豊臣秀吉の援助のもと、紀州根来寺の性盛によって復興された。

現在の境内は千本通りの西側に位置するが、かつては、千本通りを挟んで塔頭が12院あったことから「十二坊」とも称され、これが町名(紫野十二坊町)の由来となっている。境内には仏師定朝墓があり、境内北側の真言院には源頼光の蜘蛛退治にまつわる頼光塚がある。

(wikipedia)

A camera

                         

B camera

                                                                                            

 

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