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京都府京都市北区 常照寺

Joshojii,Kitaku,Kyoto city,Kyoto

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Nature
 
Water
 
Flower
春:さくら、初夏:サツキ・アジサイ・ハス、秋:もみじ
Culture
 
Facility
 
Food
 


Aug. 2012 中山辰夫

 

北区鷹ケ峰北鷹峰町45

源光庵から数分歩いたところにある。

常照寺のある鷹ケ峰の地名は、毎年鷹が飛来し多くの雛を育てたことによるという。

宗派:日蓮宗

本尊:十界大曼荼羅

江戸時代(1615)、徳川家康より鷹ケ峰の地に屋敷を与えられた本阿弥光悦が、一族、工匠、豪商らと共に移り住んだ。

1627年、光悦の養子・光瑳の発願により、日蓮宗中興の祖と敬仰される日乾上人を招じて開創された鷹峰檀林(学寮)の

旧地で、それ以来連綿と続いた。

配置図

山門

吉野太夫寄進の山門(赤門)

吉野門(吉野の赤門)と呼ばれる朱塗りの山門は、島原の二代目吉野太夫が帰依し、江戸時代に寄進した。

かつては二階造りの楼門になっていた。1917年に再建されている。

日乾は、檀家に借財して太夫の座敷に上がったという。それに心打たれた太夫が寄進したものという。

帯 塚

女性の心の象徴“帯”に感謝し祈りを捧げる全国初の帯塚が在洛の各界名士の発起で昭和44年(1970)ゆかりの吉野門の辺に建てられられた。

塚石は四国吉野川産の自然石で珍しい帯状をなす。作庭は中根金作氏。鷹峰三山を表現している。

宝蔵

本堂

本堂の周りには蓮が沢山育ててあった。が、最近はイノシシに食われることが多いようだ。

現在の本堂は、創建時の講堂を改築したもの。扁額は日潮上人の筆

書院

霊鷲の庭園

中庭にあって、釈迦が説法を説いた霊鷲山山頂にあるという翼を広げた鷲の姿の巨石に似いてることから名付けられた。

茶席 遺芳庵

吉野太夫の好んだ大丸窓(俗に吉野窓)を配した遺芳庵は墓地の北側の谷を望むところにあって毎月佳人を偲んで釜がかけられる。

吉野太夫花供養

4月の桜の季節に慰霊のため島原の大夫道中による墓参、供茶法要が営まれ、京の名物行事となっている。

≪資料≫

壇林

学室、庠(まなびや)とも呼ばれる僧の学舎であり、鷹峰壇林は山城六壇林の一つとされた。かつては広大な敷地に衆妙堂、玄義寮

など30数棟の伽藍が建ち並んでいた。

学僧は13年以上も入寮し、学業のみならず、勤行、日常の礼儀作法、立振る舞い、給仕、掃除などの教育を受けた。

これらは厳しい「山門永則」に定められていた。

吉野太夫

灰屋紹益

江戸時代前期の豪商・灰屋紹益(佐野、1610-1691)の父は本阿弥光悦の甥・光益。のち佐野紹由の養子となる。

光悦に親しみ、松永貞徳、烏丸光広らに和歌を学んだ。第108代・後水尾天皇、八条宮智忠親王らと交わる。

茶の湯、蹴鞠、文筆にもすぐれ随筆「にぎはひ草」を著す。墓は立本寺(上京区)にある。

紹益は吉野の死を嘆き哀しみ、火葬にした彼女の骨を食べてしまったことが伝わる。

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