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京都府京都市北区 上善寺

Jozenji,KItaku,Kyoto city,Kyoto pref.

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味わい深い石仏多数
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February 9, 2020 野崎順次 source movie

 

浄土宗知恩院派
千松山遍照院 上善寺

説明は全て清水俊明著「京都の石仏」昭和52年から引用させていただいた。また、今回は特に本寺の石造物に集中して撮影した。

寺伝によると、平安初期に天台密教の道場として、千本今出川のあたりに創立されたのが上善寺の起こりで、のち、室町中期に真盛派春谷盛信上人が中興し、後柏原天皇より勅願所の宣旨を賜わった。その後、秀吉の時代に現在地に移され、徳川時代は浄土宗鎮西派の大寺院として栄えた。

        

大日石仏 鎌倉中期 高さ1.6m、幅1.1m、奥行65cm 花闘岩
光背を舟形につくり、背後は自然石のままとなっている。表面に座高1.28mの菩薩形像を厚肉彫りしたもので、かなり磨滅した上に、火災にあったようで、各所にヒビ割れがある。像は頭上に宝冠をいただき、垂髪を両肩に垂らし、条帛を身につけ、両手は胸前にあり、指先が欠損して判然としないが、左手人さし指を右手の拳で握る印相で、大日如来知拳印と考えられる。いわゆる金剛界大日如来である。
に通ずるもので、力強い表現が実によい。結珈扶座した膝下は、土にうずもれているが、おそらく立派な蓮華座が設けられていることであろう。

        

前述の大日石仏から少し右手にはいった地蔵堂の横手に、地蔵・観音・十三仏・阿弥陀三尊・石塔残欠などが十数基ならべられている。

       

地蔵立像は、高1.3mの花商岩に、像高1.1mの地蔵像を半肉彫りしたもの。右手に錫杖を持たぬ古式地蔵石仏で、鎌倉後期の造立であろう。

     

つぎは蓮華座に座す像高85cmの聖観音石仏で、前の聖観音石仏ほどの迫力はないが、全体によく古雅を伝えて、鎌倉後期の作風を示している。

   

つぎは自然石表面に地蔵菩薩座像を線彫りしたもので、近年、墨で、その線条をたどった跡が見られるが、この石仏も姿がよくととのっていて中世の造立であろう。

   

そのつぎに板碑形につくった十三仏の碑がある。高さ1.03m、幅52cmで、背面は自然のまま。表面に光背形を彫り込み、十三諸尊を浮彫りしたもので、その尊像と配列は、通常の十三仏と異なっている。(中略)ところが、上善寺十三仏は特殊な像を配列していて、下段三尊と二段目左右の像は、仏名が判然とせず、特殊な本地仏と考えられ、二段目中央が地蔵で、三段目が不動・文殊・阿閥、上段が弥陀・大日(金剛界)・釈迦と思われ、頂上仏は定印の弥陀と考えられる。年号銘文は見あたらないが、像容から見て江戸中期ごろの造立と思える。

      

その他

      

 

 

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