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京都府京都市 上京区 法輪寺

Horinji, Kamigyoku, Kyoto city,Kyoto

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December 11, 2022 野崎順次  source movie

京都都府京都市上京区下ノ下立売通西大路東入行衛町457
臨済宗妙心寺派別格地
大宝山 法輪寺 (通称 だるま寺)

夏に拝観して好きになった庭がある。初冬に再訪した。

本堂南枯山水庭園「無尽庭」
昭和後期、庭司植音四代目・奥田龍司による作庭
悟りまでを表した禅宗の「十牛図」をモチーフに作られたそうです。ちなみに法輪寺の庭園の名称では「無尽庭」「十牛の庭」が混在していますが、ご住職に確認したところ現在の庭の名称は「無尽庭」。十牛の庭は過去の名称で、現在の別名でも一区画の名称でもないとのことでした。
(造形礼賛-京都の庭園ウェブサイトより)
                       


右端の苔むした巨石が牛の形をした貴船石「見牛石」
               


本堂と境内
         


お餅つき風景
                



July 16, 2022 野崎順次  source movie

都府京都市上京区下ノ下立売通西大路東入行衛町457
臨済宗妙心寺派別格地
大宝山 法輪寺 (通称 だるま寺)

1718年(享保13年)大愚宗築禅師を開山とし、両替商である荒木光品宗禎が開基となり、万海慈源和尚が10年の歳月を要し、1727年(享保12年)に創建したのである。爾来、春秋260年、三度の天災地変に遭い、寺運もまた盛衰があった。しかし近代にいたり、1933年(昭和8年)、第10代の後藤伊山和尚を迎えるや、檀信徒の帰崇を一身に集め、大書院の建立が成った。伊山和尚は37歳の時に、名著『白隠和尚全集』を刊行している。戦後は起き上がり達磨堂を建立した。開基の荒木氏は両替商であり、武家の開基になる寺院の多い妙心寺派にあっては異色の禅刹である。
(ウィキペディア「法輪寺(京都市上京区)」より」

パンフレットと現地説明板
   


山門から境内へ
      


本堂 
単層、入母屋造、瓦葺、九六の本堂、享保3年(1718年)の建立。そして昭和になって、3年かけて初めて解体修理をして復元し、昭和58年(1983年)4月落慶。
(ウィキペディア)
     


本堂南枯山水庭園「無尽庭」
昭和後期、庭司植音四代目・奥田龍司による作庭
悟りまでを表した禅宗の「十牛図」をモチーフに作られたそうです。ちなみに法輪寺の庭園の名称では「無尽庭」「十牛の庭」が混在していますが、ご住職に確認したところ現在の庭の名称は「無尽庭」。十牛の庭は過去の名称で、現在の別名でも一区画の名称でもないとのことでした。
(造形礼賛-京都の庭園ウェブサイトより)
                         


右端の苔むした巨石が牛の形をした貴船石「見牛石」だと直感したが、違う解説がネットに散見される。
        


左中央の三尊石あたり
                  


庭に下りて、三尊石の横まで行ってみる。
          


衆聖堂 
一階には十六羅漢木像などがあり、階上には仏涅槃木像などと共にキネマ殿があり、阪東妻三郎,田中絹代,市川雷蔵,石原裕次郎,美空ひばり等の位牌が並べられている。衆聖堂は山田無文老師の命名である。
(ウィキペディア)
                                  


達磨堂 
三国一を称する起上り達磨をはじめ、諸願成就に奉納された達磨およそ八千余をまつる。節分は多くの参詣者で賑わう。
(ウィキペディア)
               


その他境内
             


向かいの竹林寺には蛤御門の変(1864)の折、逃亡を恐れられ六角獄舎で未決のまま斬首された「平野国臣以下三十七士の墓」がある。
     



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