京都府京都市西京区 桂離宮
Katsura Rikyu(Imperial Villa), Nishikyoku, Kyoto city
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所在地 京都府京都市西京区桂御園
桂離宮は、桂川のほとり、八条通の桂大橋西詰の北側にあります。
一時豊臣秀吉の猶子であった八条宮(後に桂宮に改称)智仁親王が、元和元(1615)年からこの地に桂山荘を造営されました。
親王の没後、山荘は荒廃しますが、二代智忠親王が増築、改修を行い、寛文2(1662)年頃までにほぼ現在の形になりました。
その後も、桂宮家の別荘として維持されてきましたが、明治16(1883)年に宮内省の所管となり、桂離宮と改修し、今日なお江戸初期の姿をとどめています。
面積6万9千㎡あまり、回遊式庭園や数寄屋風の建築物は、洗練された美意識で貫かれ、内外で高い評価を受けています。
現在も皇室用財産として宮内庁京都事務所が管理しており、参観は、インターネット及び往復はがきで3箇月前から申し込みます。
参観当日は快晴でした。車で参観者用駐車場に行き、外側を歩きました。
桂垣
建仁寺垣に竹の穂を差し込み、生えたままの淡竹を捻じって折り曲げ、編み下ろしてあります。
桂川沿いに250mほど築かれています。
穂垣
真竹の穂を集めて、斜めに切った真竹で押さえ、棕櫚縄で編んであります。
離宮の北面に100mあまり続いています。
離宮入り口付近
表門は皇族の出入りなど特別な場合以外は使われず、閉ざされたままです。
マンホールの鉄蓋は京都御苑内と同じ「宮」の字が入っていますが、年代が違うらしく、字体が異なっています。
普段の出入り口である黒御門から入ります。
一旦、参観者休所で集合し、参観ビデオを見た後、説明の職員さんについて中に入ります。
1回当たりの参観者は50人ほどです。
入口脇には臣下控所が見えています。
離宮内に入り、土橋を渡って御幸門に向かいます。
この道を御幸道といい、小石を「霰こぼし」という技法で敷き詰めてあります。
右手には広大な庭園が広がり、青もみじや真っ赤なツツジ、松琴亭などが見え、期待で胸がいっぱいになります。
御幸門
茅葺屋根、棈(あべまき)の皮付丸太が用いられており、門扉は割竹が簀状になっています。
御幸門から北、表門に向かって広い砂利道が青もみじと竹林の中を延びています。
この道は、表門よりが細く、奥に向かって広く作られており、表門からは御幸門が近く、御幸門からは表門が遠く見えます。
これは、招かれた客が、表門を入ったらすぐ庭先に入り、出るときは少しでも庭園内に留まるような印象を与えるように考えられているということでした。
御幸道を半ばまで戻り、南の池に沿って少し進みます。真っ赤なツツジが池に映えて美しかったです。
少し脇にそれて、蘇鉄山に向かいます。蘇鉄は薩摩の島津家の寄贈のもので当時の流行ですが、ブルーノ・タウトが桂離宮で唯一お気に召さなかったそうです。
御腰掛
蘇鉄山の前には、離宮のメインの茶室松琴亭の待合である御腰掛が建っています。
御腰掛は寄棟造茅葺で、柱、梁、束は皮付のクヌギの丸太を使っています。
垂木は竹です。
向かって左側の小室は「飾り雪隠」と呼ばれていますが、茶室に行く前に身づくろいをする場所だそうです。
御腰掛の前の延段は「行の飛石」と呼ばれています。
切石と自然石を組み合わせて約16mの長さに仕上げられています。
延段の端には二重桝形の手水鉢が置かれていますが、国賓などがお見えになる時以外は水の代わりに砂が入れられています。
行の飛石から、飛石伝いに松琴亭に向かいます。
飛石の周りには苔が生えているため、足を踏み外さないようにしなければなりません。
近年、温暖化が進み、苔の生育が大変悪くなっているそうです。
御幸門の北側の一部などでは、苔がはげてしまっています。
また、参観順路の多くが飛石であるため、歩きながらのビデオ撮影は、足を踏み外す危険性があるので禁止されています。池の中に転落する人もたまにあるようです。
松琴亭の手前の池中にある中島と石橋の連続は、「天橋立」と呼ばれており、松が植えられています。
智仁親王の妃が宮津藩主京極家の出であったため、妃のために築かれたということでした。
池の反対側から流れてくる小さな流れに小さな滝口が設けられ、「鼓の滝」と呼ばれています。
このあたりからは、松琴亭や書院群を望むことができ、大変良い眺めです。
平石をちりばめた洲浜が築かれています。
灯台に見立てた小さな燈籠がかわいいです。
池の向こう側に、御殿群や月波楼を望みます。
松琴亭に渡る手前の石組を撮影したら、奥に四つ腰掛が写っていました。
四つ腰掛は非公開で、松琴亭の中立ちに使われたものです。
松琴亭に渡る石橋は、白川石でできており、白川橋と呼ばれます。
松琴亭に向かって、右側の池中にある4個の飛石は、「流れの御手水」又は「流の飛石」と呼ばれています。
配置の絶妙な曲線がなんともいえませんが、見返りで撮影するのを忘れてしまいました。
松琴亭
冬の茶屋とも呼ばれる離宮で一番格式が高い茶室です。
扁額「松琴」は、智仁親王の兄である後陽成天皇の御宸筆(掛かっているのは複製)です。
白川橋を渡って正面が八窓の茶室になっています。
躙口から覗けば、点前座が正面にしつらえてあり、床の間は廻り込んで二の間の方から見えます。
点前座が正面に配されるのは、小堀遠州作の茶室の特徴ですが、この離宮の造営に遠州がかかわったという証拠がないので、「遠州好み」とされています。
また、壁面の色が高さ1.5mほどのところで変わっているのは、かつて桂川が氾濫し、浸水した跡です。
茶室から北側に回り込むと、二の間が見えます。
違い棚の上の藍染の壁紙と、瓢箪型の下地窓が特徴です。
天袋の小襖は狩野探幽筆です。
見えにくいですが、小襖の引き手は貝の形をしており、緑色の七宝で彩られています。
縁側には囲炉裏が設えてあり、オープンキッチンのようです。
外の柱は御腰掛同様、クヌギの皮付丸太になっています。
土壁は黄土色の大坂土壁です。
一の間の奥にある青と白の市松模様の襖と壁紙(奉書紙)は、離宮を代表する斬新なデザインとして有名です。
紙が日に焼けて退色しているのを、説明の方が襖を開けて見せてくれました。
一の間は12畳で、市松模様の襖のほかに、麻の茎を用いた欄間、石炉とその上の袋棚の小襖(狩野探幽筆)、薄い杉板を編んだ引違戸など、凝った作りになっています。
袋棚の小襖の引手は結び紐型です。
松琴亭を過ぎ、池に沿って進みます。
向こう岸に書院群が見えます。
蛍橋を渡り賞花亭に向かいます。
途中の坂になっているところで松琴亭を見返しました。
賞花亭
離宮の最高点に位置しており、花に囲まれているところから、春の御茶屋とよばれています。
囲炉裏を囲んで座れるようになっています。
前の手水鉢は鉄鉢型になっています。
下地窓は竹や萩を組んでおり、一部に藤が絡ませてあります。
賞花亭の前から御殿の方向に下りていきます。土橋の周りには真っ赤なツツジが咲き誇っていました。
土橋は渡れませんので、逆方向の園林堂に向かいます。
園林堂
本瓦葺宝形造の持仏堂で、宮内省に移管されるまで、宮家代々の位牌と、智仁親王の師細川幽斎の画像が安置されていました。
宮家や公家の屋敷の建物の屋根は、たいてい反りがなく、逆に丸みを帯びて作られています。
ここで、特徴的な飛石の配置を撮影するのを忘れてしまいました。
土橋が二つ連なり、真っ赤なツツジが咲いている様は見事でした。
南側にある笑意軒に向かいます。
笑意軒
離宮の南端に位置する、最大の茶屋です。
内部の造作では、杉戸の実物大の矢をかたどった引き手、襖の櫂形の引手、袋棚の雲形模様の小襖が目を引きますが、一番有名なのは、中の間の窓の下の腰張です。
南蛮渡来の格子柄のビロード地と金箔を斜めに並べています。
窓の外の農地は、景観保全のために国が買い取り、地元の農家に耕作してもらっています。
船着場にも個性的な燈籠が配されています。
ここでも、御茶屋前の延段「草の飛石」を撮影できませんでした。
最後に書院群に向かいますが、ツツジに越しの園林堂や新緑の木々を見ながら進みます。
手前から新御殿、楽器の間、中書院、古書院と並んでいます。
かつては中に入って参観できたそうですが、今では外観のみ参観できます。
従って新御殿一の間の桂棚(天下三名棚)や中書院一の間から三の間の狩野三兄弟の障壁画など、江戸初期の文化の粋を集めた幾多の名品は見ることができません。
書院群はすべて180㎝ほどの高床となっています。
なお、新御殿は後水尾上皇を迎えるために増築されたため、書院ではなく御殿といわれています。
古書院の縁側に月見台が設けられています。
その付近から見るツツジは鮮やかでした。
書院群から月波楼に向かいます。
月波楼
寄棟造こけら葺で秋の茶屋と呼ばれています。
秋には窓越しに紅葉山を望むことができます。
池越しに松琴亭を望むことができます。
古書院御輿寄
月波楼から御輿寄前庭に進みます。
前庭の延段は切石を集めたもので、「真の飛石」と呼ばれています。
また、御輿寄の沓脱石は、幅2mの大きな御影石で、「六つの沓脱」と呼ばれています。
住吉の松
出入りする御庭口門の正面に、池に張り出した堤があり、生垣と住吉の松で視界が遮られています。
御庭口門に戻りました。
参観は通常1時間ですが、ゆっくり見て撮影を行う外国人観光客なども混ざっていたため、1時間20分かかりました。
ちなみに最後尾は、皇宮警察の警察官が歩きます。
団体行動のため、写真撮影やビデオ撮影をする人は遅れて歩きますが、庭園や建物の細かい部分まで、係の方が丁寧に説明されます。
1時間20分はあっという間に感じられました。
難しいですが、何度も訪れたいと思いました。
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