京都府京都市中京区 革堂(行願寺)
Kodo(Gyoganji) ,Nakagyo-ku, Kyoto city
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Oct.2012 中山辰夫
京都府京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17
天台宗延暦寺派に属する。
古色蒼然たる門戸を構えている。
西国三十三ケ所の観音霊場の一つとして有名。
寺伝によれば、当寺の開山行円上人は壮年の時は常に山野で狩猟し、殺生を繰り返していた。射止めた雌鹿の腹の中にいた子鹿が
生きているのを見て改心し、仏門に入ったと伝わる。その後、諸国の霊山を修行して京都に来住し、寛弘元年(1004)上京区一条
小川辺りに一体の千手観音像を安置し、行願寺と称したのが起こりと伝える。
上人は、常に頭に仏像をいただき、身には鹿皮の着物を着ていたので、世の人々は上人を皮聖(、かわのひじり)とも革上人とも呼び
寺を革寺と称した。
中世には六角堂と相並ぶ大寺となるも、秀吉の市区整理で寺町荒神口に移り、次いで大火に出会い、現在の地に三転するに至った。
山門
古色蒼然たる門戸を構えている。革堂は市街地の中にある寺で、それだけに境内は狭く建造物が建て込んでいる。
「山門」も一般の家に挟まれた状態でこぢんまりしている。
本堂
≪京都市有形文化財≫
現存の本堂は規模の小さい寺に似合わず重厚な造りである。文化12年(1815年)に建てられたものとされる。
本堂に安置されている本尊「千手観音像」は行円上人の作と伝えられており、秘仏になっているが年に一回開扉されるようである。
外陣は吹き放し、入母屋造、正面屋根の手前に軒唐破風の向拝、その奥に三角の千鳥唐破風になっている。
手前の兎毛通( うのけどおし、唐破風の懸魚)に鳳凰の彫刻がある。その下の蟇股に龍、木鼻に獏が施されている。
近世、天台宗本堂の建築様式として注目されている。
内陣格天井に171面の円形の花鳥彩色彫刻がある。黒漆の下地に透かし彫りの手法で鳥と草花がそれぞれ彫り出されている。
須弥壇、脇壇の格狭間に獅子の浮彫。頭貫(柱上部を連結する貫)、組物も極彩色。
本堂内部
本堂正面には「革堂観音」と書かれた「大提灯」が下がっており、盛り上がる。
幽霊絵馬
革堂の寺宝の一つに、毎年8月20日過ぎに公開される。
その昔、革堂に遊びに来ていた子守娘が浄土宗の御詠歌を子供に教えているのを見た法華信者が、娘を殺し土中に埋めた。
娘の両親は革堂の千手観音に願をかけ、娘の死の真相を知る。両親は絵馬に若い女性の幽霊を描き奉納したという。これが「幽霊絵馬」である。
庫裏
鎮宅霊符神堂
「衆星守護をつかさどる神」とされる
愛染堂(左)と寿老人神堂(右)
「寿老人神堂」は京都七福神巡りの一つになっている。安置されている寿老人像は桃山時代の作とされ、秀吉が万人快楽のため、ここ行願寺に祀ったと伝えられているようである。
七福人
鐘楼
京都市有形文化財
文化元年(1804年)に造営されたとされている。7
百体地蔵
五輪石塔
境内の西北隅にある。高さ3m余、花崗岩製、水輪の正面に穴をあけ、中に不動小石仏を安置している。
火輪の軒反りも厚く、形のいい反りを示している。さらに、下部の地輪(基礎)が上部に比べて極めて低いことが、この塔を一層大きく見せる。
その他境内
建築
本堂(市指定文化財)は、江戸時代、1815年に再建された。外陣は吹き放し、入母屋造、正面屋根の手前に軒唐破風の向拝、その奥に三角の千鳥唐破風になっている。手前の兎毛通( うのけどおし、唐破風の懸魚)に鳳凰の彫刻がある。その下の蟇股に龍、木鼻に獏が施されている。近世、天台宗本堂の建築様式として注目されている。
内陣格天井に171面の円形の花鳥彩色彫刻がある。黒漆の下地に透かし彫りの手法で鳥と草花がそれぞれ彫り出されている。須弥壇、脇壇の格狭間に獅子の浮彫。頭貫(柱上部を連結する貫)、組物も極彩色。
江戸時代、1804年に建立の鐘楼(市指定文化財)がある。
所在地 京都府京都市中京区寺町通竹屋町上る行願寺門前町17
霊ゆう山(「ゆう」は「鹿」の下に「匕」)行願寺は、革堂の名で知られており、西国三十三ヵ所観音霊場の第19番札所です。
京都御所の東南、寺町通と竹屋町通の交差点の東側にあります。
開山の行円が出家前は猟師であり、射殺した身重の雌鹿から子鹿が誕生したことで殺生の罪業を悟って出家し、その雌鹿の皮を身に着けていたことから行円は皮聖、行願寺は革堂と呼ばれるようになったそうです。
もとは上京の一条小川にありましたが、豊臣秀吉により寺町荒神口に、その後宝永5(1708)年の大火で現在の地に移りました。
本堂と鐘楼は京都市指定有形文化財で、ともに江戸末期、文化年間の建築です。
寺町通を南に下がれば、煎茶の一保堂茶舗や洋菓子の村上開新堂があります。
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