京都府京都市右京区 弘源寺
(Kogenji,Ukyoku,Kyoto City, Kyoto Pref.)
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October 14, 2019 野崎順次 source movie
京都府京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町65
大本山天龍寺塔頭
西山 弘源寺
パンフレット
山門あたり。山門と本堂は「京都府暫定登録文化財」の登録を受けている。
毘沙門堂
国重文 毘沙門天像 平安時代
祀られている毘沙門天像はインドの仏師によって作られたもので、中国を経て日本に伝えられ、最初は比叡山の無動寺にありましたが、弘源寺に迎えられました。左手で宝塔を捧げ右手で戟を執る毘沙門天像です。袖や裳裾が長く、肥満を感じさせる大振りな体躯が興福寺東金堂四天王像(国宝)を想起させますが、腰を極端なほど捻り、袖や裳裾が激しく翻る動的表現において比類を見ません。兜から炎髪が立ち上がるのは着衣の翻りに対応する表現で、天部形においてこれらが見られるのは九世紀後半からですが、本例はその一古例です。
(本寺ウェブサイトより)
境内いろいろ
本堂
寛永年代
虎嘯の庭 枯山水
虎嘯(こしょう)とは、「龍吟雲起、虎嘯風生」(龍吟じて雲起こり、虎嘯きて風生ず)と言う語句から名付けられております。この出典は『碧巌録九十九則』によるもので、「龍吟」は枯れ枝の間を抜ける風の音を表し、「虎嘯」は大地より涌出る朗々たる響きを表す、すなわち禅の悟りの境涯を表しています。
嵐山を借景にした枯山水庭園が、春の桜、秋の紅葉と調和する景色は嵐山屈指です。
(本寺ウェブサイトより)
池田屋事件がきっかけになり、その後に起こる蛤御門の変(1864年8月20日)の際に、長州藩士が天龍寺、弘源寺などへ逗留いたしました。その際の長州藩士の試し切りなどの傷跡が、当寺の柱のあちらこちらに残っております。
(本寺ウェブサイトより)
帰途
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