京都府京都市右京区 高山寺
Kozanji,Ukyoku,Kyoto city,Kyoto
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京都市右京区梅ケ畑栂尾町8 高山寺如法経塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 鎌倉後期 石造一重塔 19550202
京都市右京区梅ケ畑栂尾町8 高山寺宝篋印塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 鎌倉後期 石造宝篋印塔(九輪上部を欠く) 19550202
November 21, 2020 野崎順次 source movie
京都府京都市右京区
栂尾山 高山寺
今回は紅葉が見に来たが、昨日の雨で、「見頃」が「見納め」になったようである。それなりに「シブイ」感じもする。裏参道から上り、石水院だけ拝観した。
栂ノ尾バス停あたり
高山寺裏参道を上り、境内を進む。
国宝石水院に入り、西庭を見る。
善哉童子像
南庭と向こうの山
ご住職のご説明
国宝(明恵上人樹下座像と鳥獣戯画)のレプリカ
September 26,2020 大野木康夫
source movie
裏参道
石水院
石水院五所堂(国宝)
参道からの差し上げ撮影
部分撮影
庭園
開山廟付近
宝篋印塔、如法経塔(重要文化財)
June 13, 2020 野崎順次 source movie(June 13) source movie(June20)
雨の日である。ゆっくり鎌倉時代の石塔を拝観したい。
パンフレットと現地説明板
裏参道を登り、まっすぐに進み、開山堂を行き過ぎた。 足元にオレンジ色のカエルが跳んできた。体長は4cmくらいかな。
明恵上人御廟、入り口近くの笠塔婆二基は、手前が明恵が詠んだという歌碑「山のはにわれも入りなむ月も入れ夜な夜なごとにまた友とせむ」、奥が明恵の遺訓「阿留辺幾夜宇和」。
国重文 高山寺宝篋印塔 鎌倉中期 高237cm 花崗岩
基礎低く、塔身の背が高く、笠の別石作りになっている隅飾は特に大きいので雄大感にみちている。籾塔形から出た原始的な形武であって、隅飾が大きく馬耳状で直立していることは、早期の様式である。「高山寺縁起」に明恵上人の髪爪塔として.暦仁二年(1239)に供養塔を造立し、その形は大唐阿育王塔を模したとするものに相当するというのが通説であるが、それは高山寺外の外畑に建てられたもので、それと高山寺開山堂脇のこれとが同一物かどうか明らかでない。しかしこの高山寺塔は、旧善妙寺にあった為因寺塔と共に、それに近い古い形式の宝篋印塔である。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典、1998年」より)
国重文 高山寺如法経塔 鎌倉後期 高134cm 花崗岩
古式宝篋印塔と並んでいる一重塔である。基礎の上に四角型一重の塔身とおき、宝形造の笠と宝珠とで構成する何の飾りもない塔であるが、かえって荘重の感じがする。笠の軒反りは鎌倉時代の様式を示し、宝珠は形よく下の露盤と一石で作ってある。塔身正面に「如法経」の三字を刻む。これによって、石塔は如法供養した法華経を埋納した上に立てたものであることが知られ、珍しいものである。昭和一五年に左京区下鴨半木町の塚から、高120cm位の同じ形式の一重塔が二基出土し、その一の正面に如法経の文字を表し、弘安元年(1278)の年号があった。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典、1998年」より)
高山寺宝篋印塔 南塔 鎌倉中期 花崗岩
文化財指定はない。相輪が別の石であるが、それなりに重厚である。
その他の石造物
雨は続いている。来た道を下り、石水院へ。
重美 石水院笠塔婆 鎌倉後期 高170cm 花崗岩
高山寺本坊の東に建つ石水院の入口に立っている塔婆で、石水院はもと山の中腹にあったという。明恵上人の住んだところである。大きな基礎石の上に、塔身、笠、宝珠までを一石で作って建てたもので、笠の軒幅は小さい。正面上部に小さく梵字を三字彫り、その下に「石水院、建保五季(1217)以後数箇季、住此処後山、号楞伽山」と上人が住んだことを刻し、向って左側面に「天福元季(1233)癸巳十月三日造立之」と刻むが、背面に三行にわたり、「天福季中所造立板率都婆朽損、(仍)元亨二年(1322)十二月一日、以石造替供(養)、於梵漢之字者任古畢、願主比丘尼明(雲)」とあり、元亨二年にもと木造であったのを石で作り替え、当初の文字を残し先師の遺跡を永久に伝えんとしたものである。塔身下部一字分を切り取られているので、近年発見の他の遺跡の分によって欠字を補ったのが()内の三字である。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典、1998年」より)
国宝 石水院
モリアオガエルの生息する池と木にぶら下がった卵塊
善哉童子像と富岡鉄斎筆扁額「石水院」
庭園
子犬像(重文、鎌倉、明恵上人愛玩、伝湛慶作)
帰途
June 20, 2020
前回は雨の日で、高山寺全域をじっくりと撮影できなかった。で、一週間後、晴れ時々曇りの時に再訪した。
裏参道を登る。途中の吾妻屋は「間雲亭」という。
日本最古の茶園
高山寺は日本ではじめて茶が作られた場所として知られる。栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を明恵につたえ、山内で植え育てたところ、修行の妨げとなる眠りを覚ます効果があるので衆僧にすすめたという。最古の茶園は清滝川の対岸、深瀬(ふかいぜ)三本木にあった。中世以来、栂尾の茶を本茶、それ以外を非茶と呼ぶ。「日本最古之茶園」碑が立つ現在の茶園は、もと高山寺の中心的僧房十無尽院(じゅうむじんいん)があった場所と考えられている。現在も、5月中旬に茶摘みが行われる。
(本寺公式ウェブサイトより)
茶室遺香庵 昭和6年(1931)
設計は高橋箒庵、数寄屋大工は3代目木村清兵衛、作庭は小川治兵衛。遺香庵庭園は平成7年(1995)に京都市名勝に指定された。平時は非公開である。
坂を上る。
開山堂 江戸時代享保年間(1716-36)再建
宝形造、明恵の肖像彫刻(国重文)を安置する。開山堂に隣接した土蔵で鳥獣人物戯画全4巻が発見された。
聖観音像 彫刻家・赤堀信平(1899-1992)作。その前に綾部(キリシタン)燈籠(東大寺、仁和寺より寄進)。その横に茶畑で発見された阿字石。
周囲
仏足石
金堂 桁行三間 梁間三間 一重入母屋造 銅板葺。
御室仁和寺真光院の古御堂(桃山-江戸期の建物)を、江戸・寛永年間(1624~44)当地に移築。
宝塔 1981年建立、写経が納められている。
金堂への階段と参道
表参道の17枚の正方形敷石
石垣の上に石水院
鐘楼
May 30,2015 大野木康夫
参道
石水院
石水院周辺
帰路
門前、とが乃茶屋
May 4,2014 大野木康夫 source movie
青もみじの季節
2012.11.16撮影
槇尾周辺の高雄川
国道沿いに高山寺表参道へ向かう。
表参道
石水院
御廟、金堂へ
帰路、裏参道から市営駐車場
所在地 京都府京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8
2011.5.14撮影
青葉の季節の高山寺です。
終わり掛けですが山藤も咲いていました。
駐車場から石水院に向かいます。
石水院(五所堂)(国宝)
鎌倉前期の建築
桁行正面三間、背面四間、梁間三間、正面一間通り庇、一重、入母屋造、妻入、庇葺きおろし、向拝一間、こけら葺
高山寺中興の明恵上人が後鳥羽院から賜ったもので、元はもっと上の金堂の東側にありましたが、明治22(1889)年に現在の場所に移築されました。
南面に掲げられている「日出先照高山寺」の額は後鳥羽院の勅額、西面の「石水院」の額は富岡鉄斎の揮毫です。
石水院からさらに登っていきます。
御廟
明恵上人の御廟です。
宝篋印塔(重要文化財)
如法経塔(重要文化財)
4基並んでいる石塔のうち、向かって左から2番目が重文の宝篋印塔、その右側の一重塔が重文の如法経塔です。
いずれも鎌倉時代後期のものです。
御廟の右側にも古い宝篋印塔があります。
金堂は仁和寺の金堂を移築したものですが、見るのを忘れてしまいました。
帰りに、石水院北側の庭園を覗きました。
駐車場へ戻る道から、石水院を振り返りました。
Nov.2008 瀧山幸伸 source movie
石水院
Sekisuiin
門前
Apr. 2006 瀧山幸伸 source movie
石水院
Sekisuiin
開山堂
Kaizando
霊廟
Reibyo
金堂
Kondo
茶園
Chaen
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