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京都府京都市東山区 都ホテル

Miyako Hotel,Higashiyamaku, Kyoto city, Kyoto

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September 24, 2023 野崎順次  source movie

京都府京都市東山区粟田口華頂町1
ウェスティン都ホテル京都
数寄屋風別館 「佳水園」


ホテル7階の専用通路の先にある数寄屋風別館「佳水園」は、昭和34年(1959年)、建物と中庭が日本モダニズム建築を代表する村野藤吾によって設計された。2020年7月リニューアルオープンしたが、美しくリズミカルな外観や、渡り廊下・ロビーなどの内部デザインは継承されている。
自然の岩盤を生かした庭園は、7代目小川治兵衛の長男 白楊により、大正14年(1925年)に作庭された。
「佳水園庭園」として京都市文化財(名勝)に指定されている。

アプローチ
      

重厚な檜皮葺の門
   


白陽による佳水園庭園
     


村野藤吾による数寄屋風建物と中庭
      


参考資料
(本ホテル公式ウェブサイト)



July 5, 2020 野崎順次 source movie

 京都府京都市東山区
ウェスティング都ホテル京都
葵殿庭園


葵殿庭園は葵殿の南斜面にひろがり、三段の滝で構成された雄大な回遊式庭園です。この庭は、日本の近代庭園の先覚者として有名な、京都の庭師・七代目小川治兵衛(万延元年~昭和8年)によって、昭和8年に作庭されました。池や流れを「沢飛び」で渡る手法、琵琶湖西岸から疏水船で運ばれてきた縞模様のはっきりした守山石の配置などに特徴が見られます。殊に、急斜面の自然地形を活かしてデザインされた「雲井の滝」と呼ばれる三段の滝は、小川治兵衛の作品の中でも傑作といわれています。
(ホテルウェブサイトより)

ホテルのロビーに入ると、客はほとんどいない。ボーイさんが近づいてきたので、お庭が見れますかと聞くと、エレベーターで5階の庭園入り口まで案内してくれた。

      

現地説明板と庭園入り口あたり

          

下を見ると、4階稔りの間で会議中だった。その横が宴会場の葵殿でそこから庭園全体を見上げるのがいいのだが、下への道は立ち入り禁止。

     

奥へ進む。庭はまさに突然現れた深山幽谷である。

              

童橋と雲井の滝

         

さらに奥へ、陶製葛屋型灯籠、石幢型石灯篭などがある。

            

石抱きの椎の木あたり

             

同じ道を戻る。

       

 


May.24.2015 中山辰夫

ウェスティン都ホテル京都 佳水園庭園・葵殿庭園

京都市東山区粟田口華頂町1(三条蹴上)

両庭園はウェスティン都ホテル京都の中に所在する。 庭園のみは公開されている。

京都市指定名勝

 

ウェスティン都ホテル京都外観

     

庭園の概要

作庭年代

佳水園庭園:大正14〜15年(1925〜1926年) 作庭者:小川保太郎(白楊) 様式:流の庭 敷地面積: 335㎡( 同上 )

葵殿庭園:昭和8〜9年(1933〜1934年) 作庭者:小川治兵衛(植治) 様式:池泉式 敷地面積:1,225㎡(指定部分のみ)

歴史経過

南禅寺や岡崎に近い華頂山のふもと、蹴上(けあげ)にあるウェスティン都ホテル京都は、1世紀以上の歴史がある京都の代表的なホテルである。

1890(明治23)年に開設された保養所・吉水園(よしみずえん)に始まり、1900(明治33)年、洋式の宿泊施設「都ホテル」となった。

近代から現在に至るまで、徐々に建物の拡充が図られ、合わせて植栽や作庭が行われてきた。葵殿庭園と佳水園庭園は、そのホテルの歴史を反映している。

●佳水庭園

佳水園の庭は、葵殿の庭園から斜面を南に上がった場所にある。庭はもともと「喜寿庵」(きじゅあん)と呼ばれ、大正期に総理大臣を務めた清浦奎吾(きようらけいご)の京都での別荘として、大正14〜15年(1925〜1926年)に造られたものである。

この地に別荘の造営を勧めたのは、清浦内閣で逓信大臣を務め、後に都ホテルの社長に就任した藤村義朗らであったと、清浦は後に述懐している。

アプローチ

         

佳水園

1959(昭和34)年に宿泊施設の佳水園が新たに造られた。設計は、後に文化勲章を受章した建築家・村野藤吾。

庭園の平坦部は、岩盤の裾に流れを設け、白砂の平庭とする再整備を村野が指導したが、岩盤の流れ自体は白楊のものが残された。

               

佳水園庭園

佳水園の前身である「喜寿庵」の時にこの庭は作庭された。作庭は植治の息子の小川保太郎(白楊)によって行われたが、清浦の意向は、あまり大規模な工事にしないというものであった。

         

現地は天然のチャートの岩盤が斜面に露出した岩山であり、白楊は大胆に岩盤をそのまま利用した。

白楊は、石造品や石の扱いについては、父の植治を凌ぐほどの技量をもっていたようで、喜寿庵の作庭にはうってつけの人材であった。

白楊はこの岩山の凸凹を利用して2筋の水を流した。岩盤に取り付くように生えていたマツなどもあえてそのままにして、山中の急峻な滝流れを表現することに成功した。

●葵殿庭園

佳水園庭園からは葵殿庭園まで歩いて行ける。

写真

葵殿庭園は葵殿の南斜面にひろがり、三段の滝で構成された雄大な回遊式庭園。葵殿・稔りの間に面している。

この庭は、日本の近代庭園の先覚者として有名な、京都の庭師・七代目小川治兵衛(通称植治・万延元年〜昭和8年)の手で1933(昭和8)年に作庭された。

             

葵殿の庭は、いくつかの段階を経て現在の姿になった。

1904(明治37)年に最初の作庭は華頂山の斜面を植栽し、建物からの眺めを整える程度の簡素なものだった。その後、1915(大正4)年にも造作が行われた。

             

今見るような姿にほぼ整えられたのは、1933(昭和8)年の茶室の造営の際で、簡素な庭が大きく変貌した。一番の大きな変化は、琵琶湖疏水の水を使い、華頂山の斜面を大きく使って流れる2筋の滝流れと、流れを受ける池を造ったことである。

池や流れを「沢飛び」で渡る手法、琵琶湖西岸から疎水船で運ばれてきた縞模様のはっきりした守山石の配置などに特徴が見られる。

殊に、急斜面の自然地形を活かしてデザインされた「雲井の滝」と呼ばれる三段の滝は、小川治兵衛の作品の中でも傑作といわれている。

                         

滝石組などには、琵琶湖西岸に産する褶曲の目立つ独特の模様の石が多く使われているが、植治はこの石を他の京都の庭園でもよく用いた。

また、高木ではモミジが、低木ではサツキツツジの刈り込みが多く植えられ、植治様式ともいえる、近代に特徴的な軽快な雰囲気の庭園が完成した。

参考資料≪説明の部は、ホテルHPより抜粋≫

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