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京都府京都市上京区 妙顕寺

Myokenji,Kamigyoku,Kyoto City,Kyoto

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日像上人と光琳ゆかりの寺
 Nature
 
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 Flower
 
 
 Culture
 
 
 Facility
 
 Food
 


December 27,2025  大野木康夫 source movie


 

阿弥陀堂(京都府指定有形文化財)
江戸前期の建築
桁行一間、梁行一間、一重、宝形造、本瓦葺
【京都の文化財第十六集から引用】
釈迦堂は境内西北に位置し、主要伽藍からは孤立しているため、天明大火の類焼を免れた方一間、宝形造の屋根を持つ建物で、内部に大きな釈迦坐像と千体仏を安置する。妙顕寺の仏堂中では最も古いものであり、細部の様式手法から見て、その建立は十七世紀前半期を降らないものである。

                            

客殿(京都府指定有形文化財)
江戸時代後期の建築
桁行二一・六メートル、梁行一七・六メートル、一重、入母屋造、桟瓦葺
【京都の文化財第十六集から引用】
客殿は京都の日蓮宗寺院中で、現存する最大規模の客殿建築で、内部は前後に分け、前方は中央に四五畳、左右に二七畳、後方中央を仏間とし、その左右に一五畳の各部屋を配置する。

         

附 庫裏一棟

   

附 書院一棟

 

本堂(京都府指定有形文化財)
天保元(1830)年の建築
桁行七間、梁行七間、正面向拝三間、背面向拝三間、一重、入母屋造、本瓦葺
【京都の文化財第十六集から引用】
本堂は桁行七間、梁行七間、正面向拝三間、背面向拝三間の平面を持ち、近世後半の日蓮宗本山本堂の標準的な規模を持つもので、その平面形式と外回りの立面構成も伝統的な手法を踏襲したものである。

                               

三菩薩堂(京都府指定有形文化財)
文化元(1804)年の建築
桁行正面五間、背面六間、梁行四間、一重、入母屋造、正面向拝三間、背面向拝一間、銅板葺
【京都の文化財第十六集から引用】
三菩薩堂は祖師堂にあたる建物であるが、宗祖日蓮の他に開祖日像とその兄日朗を合祀しているので、特に三菩薩堂と称されている。天明大火の後、直ちに仮本堂として再建された桁行正面五間、背面六間、梁行四間、正面向拝三間、背面向拝一間の建物で、平面構成は祖師堂に通例的なものであるが、他の日蓮宗寺院の祖師堂と比較すれば立ちが高く、建立の時期を表すものと言える。なお、近年の修理によって屋根は本瓦葺から銅板葺に変更されている。

                       

表門(京都府指定有形文化財)
弘化3(1846)年の建築
高麗門、本瓦葺
【京都の文化財第十六集から引用】
表門は寺ノ内通りに開く高麗門で、頭貫端の大振りの木鼻彫刻が特徴的である。

               

鐘楼(京都府指定有形文化財)
寛政2(1790)年の建築
桁行一間、梁行一間、一重、切妻造、本瓦葺
【京都の文化財第十六集から引用】
鐘楼は、棟札から寛政二年(一七九〇)に上棟されたことが判明するもので、創建時は総門東側にあったものを、昭和四〇年に五重塔の旧地に移してきたものである。

        

鬼子母神堂(京都府指定有形文化財)
天保14(1843)年の建築
鬼子母神堂、相の間、礼堂からなる
鬼子母神堂 桁行五・三メートル、梁行五・三メートル、一重、宝形造、本瓦葺
相 の 間 桁行二間、梁行一間、一重、両下造、桟瓦葺
礼 堂 桁行三間、梁行四間、向拝一間、一重、入母屋造、桟瓦葺
【京都の文化財第十六集から引用】
鬼子母神堂は、礼堂、相の間、鬼子母神堂からなる複合建物で、鬼子母神堂は土蔵造となる特徴がある。

                         

御真骨堂(鍾真窟)

          

附 十一重石塔
前田利家の側室寿福院が建立した逆修塔

           

 


November 21, 2020 野崎順次 source movie

京都府京都市上京区
具足山 妙顕寺


パンフレットと現地説明板
       


玄関・庫裏
            


勅使門
    


四海唱導の庭
                  

孟宗竹の坪庭
    

仏殿
               


光琳曲水の庭
                                


書院
     


五色椿と松の庭
           


大本堂
                 


尊神堂と三菩薩堂
       


鐘楼
  


山門
       


妙顕寺墓地の丈六の阿弥陀如来坐像
          


帰途
       


December 1,2019 大野木康夫 source movie

秋の特別公開に行きました。

堀川通のイチョウ

   

宝鏡寺の紅葉

    

門前から参道の紅葉

        

境内

    

本堂西側の紅葉

      

庫裏から特別拝観区域

  

四海唱導の庭

                         

坪庭

  

光琳曲水の庭

        

水琴窟

  

再び四海唱導の庭

   

展示

 

勅使門付近

          

本堂廊下から

                   

帰路

        


March 31,2018 大野木康夫 source movie

出町の本満寺のシダレザクラが散りはてていたので、急遽、妙顕寺に行きました。

道中、相国寺境内を横切った時の桜

     

新町寺之内の新さくら広場

          

妙顕寺門前

         

境内

             

本堂裏手へ

        

書院付近

                           


Apr.3,2015 中山辰夫

上京区寺之内通新町西入る妙顕寺前町514

宗派:日蓮宗大本山

1321(元亨元)年日蓮の法孫、日像上人が今小路に創建し、1582(天正10)年現在地に移った。

社殿や大客殿の前庭や書院の前庭は野崎さんのページをご覧ください。

■■■境内の桜

途中に見えるお会式桜(おえしきさくら)

寺の内幼稚園の漆喰塀の上に咲いている。

   

山門周辺

   

本堂周辺

      

三菩薩堂と尊神堂、御真骨堂周辺

     

勅使門と寿福院塔周辺

    

大玄関

   

庫裏

   


March 15, 2015 野崎順次 source movie

京都府京都市上京区寺之内通新町西入妙顕寺前町514

具足山 妙顕寺

琳派を代表する 尾形光琳ゆかりの寺

鎌倉時代、日像上人が京都初の日蓮宗道場として創建した大本山。伽藍の中心には、天井に信徒の家紋をあしらった総欅造の荘厳な本堂が建つ。琳派を代表する尾形光琳の屏風絵を元に作られたという「光琳曲水の庭」、客殿前の「龍華飛翔(りゅうげひしょう)(四海唱導(しかいしょうどう))の庭」、孟宗竹の坪庭と、風情ある三つの庭が残る。今回は、光琳筆「寿老松竹梅三幅対(じゅろうしょうちくばいさんぷくつい)」、江戸琳派の祖・酒井抱一筆「観世音菩薩像」など琳派の絵画のほか、狩野山楽筆「楼閣山水図」屏風など寺宝も特別展示される。

(京都市観光協会「第49回今日の冬の旅 非公開文化財特別公開」ウェブサイトより)

パンフレットと現地説明板

      

山門あたり

      

鐘楼(梵鐘は京都市指定文化財)

     

「四海唱導之霊蹟」の石碑

 

本堂

            

三菩薩堂と尊神堂

    

御真骨堂

              

納骨堂

 

慶中楼

  

龍神廟

  

寿福院塔と勅使門

         

大玄関

        

庫裡

      

第49回京の冬の旅 非公開文化財特別公開

大客殿と龍華飛翔四海唱導の庭

                 

孟宗竹の坪庭

      

光琳曲水の庭

           

妙顕寺近くに置かれている「百々橋の礎石」

     

市バス「堀川下立売」前のラーメン店「笑麺」、背脂醤油ラーメン系、テレビに外部路面の映像が映っており、駐車状態を確認しながら安心してラーメンが食べられる。通常ラーメンに煮卵と海苔を付けたデラックス版が「笑麺」で店の名前と同じ。

       


Feb.2013 野崎順次 source movie

妙顕寺の墓地

Graveyard of Myokenji

四海唱導妙顕寺は山号を具足山、又の名を龍華といって、日蓮大聖人の孫弟子になる、日像聖人が六百六十余年の昔、創建(1321)された関西法華宗団の根本をなす由緒ある寺で、大本堂の両柱に掲げられた聯に「宗祖直授の大導師として、妙法の教を弘め、法華宗号の発祥をなし、勅願寺として四海唱導の公許を誇る、日本国中の宗門の棟梁の零場である」(文意)とある通り、創立以来法華下第一の誉れを伝え、都の法華門下派廿一本山(現在は十六)の正に草分けであり、中心的存在として今日に至っているが度々の法難をうけ、殊に天文の法乱では破壊的な打撃を受け、信長秀吉等の弾圧もあり、寺地も変ること四度と伝えられる。

明治に入って法華各宗派が大合同し、身延山を祖山と仰いで日蓮宗が結成されてからは、その大本山として全国に三百余の末寺を統率していたが、昭和十六年の制度改革によって、全ての末寺を教団に解放し、今は名称のみを伝えているのが現状である。

(妙顕寺HPより)

妙顕寺の北西に広い墓地があり、真ん中に小さなお堂がある。うろこ雲が出ていた。

                   

中には大きな仏像がある。とても良いお顔をされた丈六の阿弥陀如来坐像で、印相は施無畏与願印である。お堂にお参りに来た若い男の人は由来を知らなかった。

                   

墓地をうろうろ。織田信長の頃からある古い墓地だそうだ。

                


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