京都府京都市右京区 妙心寺 桂春院
Myoshinji Keishunin ,Ukyoku,Kyoto city,Kyoto
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Feb.19,2020 瀧山幸伸
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June 23, 2019 野崎順次 source movie
妙心寺塔頭 桂春院
パンフレット、アプローチ、庫裡へ
清浄の庭
書院内部
本堂(方丈)内部
桂春院庭園 江戸時代中期 枯山水および露地
本庭は、本院の門を入って南に出て、方丈の下を東に回る付近に、七五三式の小石を配した軽い枯山水がある。ここは方丈の下崖地となり、崖地にはサツキなどの大刈込があって軽妙な庭となり、その中を通って東に出て、さらに北または西に入り、方丈の東側または庫裏の書院既白軒に飛石で渡り、あるいはまた、既白軒書院の裏の茶室に至る露地に達する。
そこで方丈東部の庭は、一種の外露地というべきもので、飛石を中心とし、多くの植栽や小石の庭であり、カエデ、サザンカ、アセビなどの庭木が繁茂している。さらに既白軒の露地は、飛石本位のもので、蹲踞があり、刀掛石、踏石その他の役石がある。躙り口が裏にあるから、その方へ飛石が続き、草庵式の露地となっている。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」桂春院庭園より)
真如の庭(方丈南庭)
思惟の庭(方丈東庭、外露地)
侘の庭(露地)
帰途
■■■ 妙心寺塔頭
23−桂春院 通年公開 国重要文化財所有する
1598(慶長8)年の開祖。織田信忠(信長の長男)の2男・織田秀則(津田秀則)が水庵宗掬(すいあんそうきく)を開祖として見性院(けんしょういん)を創建。秀則死後、美濃の豪族・石河貞政(いしこさだまさ)が寛永9年(1632年)に父の50年忌の追善供養のために桂南守仙(けいなんしゅせん)を請じて建物を整備し、父の法名「天仙守桂大禅定門」・母の法名「裳陰妙春大姉」から1文字ずつをとり桂春院と改めた。
アプローチ〜山門〜玄関
山門は京都府指定文化財
方丈(本堂)
京都府指定有形文化財。
1631(寛永8)年に建立された、単層、入母屋造・桟瓦葺の建物。 庫裏も京都府指定文化財
内部は中央に仏間と室中の間を設け、正面に本尊薬師如来像を安置する。楯上にかかげる「桂春院」の額は、天間独立の筆である。
内部は狩野山楽の弟子である狩野山雪による襖絵で飾られている。
このうち「金碧松三日月図」は狩野山雪の筆によるもので襖絵へと改装された。
庭から見た方丈
書院
既白庵茶室(きはくあん) 非公開
書院の背後の東北隅のかくれるようにしてある。石河貞政が寛永8年(1631年)に城主を務めていた長浜城から書院ともに移築した茶室。
深三畳台目、?葺、東側を切妻造として出庇をつける。藤村庸軒流の茶室と伝えられる。
妙心寺では詩歌・茶道などは修行の妨げになるため厳禁だったが、建物の隅に隠れるように茶室を建て,ひそかに茶を楽しんでいた。
庭園
国の史跡・名勝
清浄(しょうじょう)の庭付近
方丈北側の壺庭で、片隅には紀州の巨岩・奇石を直立した枯滝の石組と白砂で流れを表現している。(六根清浄・・・)
侘(わび)の庭付近
書院前庭より飛石つたいに既白庵茶室に通じる露地庭で、梅軒門と猿戸によって内露地と外露地に分けられ,狭い中につられている。苔に覆われた蹲踞が隠れるように置かれている。1799(寛政11)年刊の「林泉名所図会」にも記された。
思惟(しい)の庭付近
方丈の東側に広がる庭で、梅軒門より飛石が延び,露地風の趣きある庭園である。
真如(しんにょ)の庭付近
方丈南側の庭園で、サツキ・霧島ツツジ・馬酔木などがバランスよく植えられている。
真如の庭の奥にも広い庭園が広がっている。
November 3, 2014 野崎順次 source movie
パンフレットと現地説明板
表門から庫裡(共に府文)
清浄の庭
府文 方丈 江戸初期 寛永八年(1631)
単層入母屋造、桟瓦葺
侘の庭
思惟の庭
真如の庭
南の庭
桂春院
keishun in
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