京都府京都市左京区 南禅寺 順正書院
Nanzenji Junseishoin, Sakyoku,Kyoto city,Kyoto
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September 26, 2020 野崎順次
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京都府京都市左京区南禅寺草川町60
南禅寺順正
(Nanzenji Junsei Yudofu Restaulant and Garden,
Sakyoku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
順正書院は天保10年(1839)に蘭学医として著名な新宮凉庭によって開設された医学校を起源としています。南禅寺に隣接し、建築と庭園を配した清雅なその姿は、幕末に東山界隈の案内書として作られた『花洛名勝図会』によって広く世に紹介されました。
当時は果樹が生い茂り、広々とした薬草園内には貴重な薬草が栽培されていました。昭和21(1946)年に繊維業を経営する上田堪一郎氏がこの地を購入した際には荒廃していたそうですが、燈籠ほか伽藍石や層塔といった石造品を新たに据えるなど、庭園に手が加えられました。庭園南東にある心字池へは南側と東側より琵琶湖疏水からの流れが注ぎ、それぞれの流れには橋が架けられています。水は心字池から庭園北東に建つ蓮月亭の前を経由し、更に北西の園池へと流れています。
現在の湯豆腐店が開店したのは1962(昭和37)年のことです。
玄関庭や前庭は『花洛名勝図会』に描かれたころから大きく変わっていないように見受けられるほか、現在も医学校時代を偲ばせる石門が露地庭の入り口に残っており、書院とともに国の登録有形文化財となっています。
(植彌加藤造園ウェブサイトより)
庭園を鑑賞し、湯豆腐をたしなむために来たが、江戸末期の医学校跡で、石門と書院が登録有形文化財であることは、後日に知った。そのため、恥ずかしながら、石門と書院の正面全景写真は撮れていない。庭園の改修と管理は植彌加藤造園によるものである。
南禅寺参道に店がある。
国登文 石造冠木門 江戸/1839
書院上段の間を中心に展開される前庭の西側の通路境に設けられた切石積の塀に開かれた門。両脇に板状の大きな切石の親柱を立て、頭部に屋根石を置く簡素な造りになる。内開きの扉は新しいが、斬新なデザインになり、庭への導入部を軽快に演出している。
(文化財オンライン)
名教楽地・回遊式庭園、石門から心字池まわり
国登文 順正書院
江戸/1839 木造平屋建,瓦葺,建築面積279㎡
南禅寺山門の南に位置する書院で、蘭学医新宮涼庭が所司代間部詮勝の勧めで閑静な佇まいの現地に建てたもの。平面は東南に上段の間を置き西側にイロリの間、次の間などを配し、奥に茶室を付設する。改造はあるが、伝統技法になる上質の書院として知られる。
(文化財オンライン)
名教楽地・回遊式庭園、書院東から涼庭閣へ
丹後屋・草々庵で昼の湯豆腐定食をいただく。白ワインは甘すぎた。豆腐は硬めの木綿豆腐のよう。そういえば、近くの奥丹の豆腐も硬めだった。
窓から見た庭園
帰途
Mar.2012 中山辰夫
京都市左京区南禅寺門前
国登録有形文化財
172年前の創設当時からある玄関脇の石門には「名教楽地」という文字が刻まれている。「名教の内、自ずから楽地有り」という晋書(中国の歴史書)の言葉に由来したこの書には、「人の行なうべき道を明らかにする教えを行う中に、おのずから楽しい境地がある」という意味が込められている。
静かで美しい庭園と歴史ある建物に囲まれながら、先人の残した言葉の重みを感じたひとときであった。
南禅寺・金地院の直ぐ近くにある。湯豆腐“南禅寺 順正”の敷地中に建つ。1200坪の広さ。
概説と天保10年(1839)頃の絵図
正面入口
この門を入ると右手に東山を望みゆっくりと庭園が広がる。
左側に向かうと正面玄関である。
国登録有形文化財
裏へ回ると左側に大きな土蔵、右側は書院の庭園である。
正面入口に入って右側に進む。
名教楽地石門
国登録有形文化財
道路境に設けられた切石積の塀に開かれた門。
両脇に板状の大きな切石の親柱を立て、頭部に屋根石を置く簡素なつくりである。
くぐり抜けると書院と庭園があらわれる。
書院の外観
まるみの流れの瓦葺の大屋根に桧皮(ひわだ)をあしらった外観が特徴的な書院本館。
書院内部
凉庭が講義を行った「上段の間」をはじめとして、医塾創設当時のたたずまいを残したまま現在も大切に使用されている
庭
「湯豆腐」コーナーは別棟。
建屋内は多くの凝った意匠が見られる。
目的の「ゆどうふ」
味・量ともに満足!
名教楽地石門
創設当時からある玄関脇の石門には「名教楽地」という文字が刻まれている。
「名教の内、自ずから楽地有り」という晋書(中国の歴史書)の言葉に由来した。この書には「人の行うべき道を明らかにする教えを行う中に、おのずから楽しい境地がある」という意味が込められている。
和辻哲郎著 「古寺巡礼」
大正7年(1918)5月、20代の和辻は奈良付近の寺々に遊ぶため、久しぶりに帰省して京都の実家に泊まった。
実家は順正書院の直ぐ近くであったろう。その夜の情景が書かれている。
『水の音がしきりに聞こえてくる。南禅寺の境内からここの庭へ入って、つつじの間を流れて池になり、それから水車を廻して邸外へ出るのである。
蘭学者新宮涼庭(しんぐうりょうてい)臥、長崎から帰って、ここに順正書院という塾を開いた時、自分が先に立って弟子たちと一緒に加茂河原から石を運んで、流れや池を造ったのだという。
家もその時のままである。頼山陽が死ぬ前12年の間はしょっちゅうここへ遊びに来ていた。この部屋に山陽が寝たこともあるかも知れない。水車はその頃から自分の家で食う米をついていたらしい。
建築は普通の書院づくりであるが、屋根の勾配や縁側の工夫などは、近頃の建築に見られない大様(おおよう)ないい味を見せている。』
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