京都府京都市左京区 南禅寺
Nanzenji,Sakyoku,Kyoto city,Kyoto
臨済宗南禅寺派の本山。1291年(正応4)亀山法皇の離宮を賜り、無関普門(大明国師)が開山。室町時代は隆盛を極め、「五山之上」に列せられた。応仁の乱で焼失した伽藍を‘黒衣の宰相’といわれた以心崇伝によって復興。境内には勅使門、三門、法堂、方丈の伽藍が一直線に、その周辺に12の塔頭が並ぶ。三門(重文)は、藤堂高虎の寄進。方丈(国宝)は、大方丈と小方丈に分かれ、大方丈は御所の殿舎を、小方丈は、伏見城殿舎を移築したと伝えられる。小方丈の襖絵、狩野探幽筆「水呑の虎」は名高い。大方丈の前庭(名勝)は伝小堀遠州作で「虎の子渡し」と呼ばれ、江戸初期の代表的な枯山水庭園として知られる。
(京都観光NAVIより)
アプローチ
国重文 南禅寺勅使門 桃山 慶長(1596 - 1614)
四脚門、切妻造、檜皮葺
国重文 南禅寺三門 江戸前期 寛永五年(1628)
五間三戸二階二重門、入母屋造、本瓦葺、両山廊付
山廊 各桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺
南禅寺法堂(はっとう) 明治42年(1909)再建
それから
史跡琵琶湖疏水のうち「水路閣」
疏水事業は,京都府知事北垣国道の発意により.田辺朔郎工学博士を工事担当者として.明治18年に起工され,同23年に竣工した。水路閣は,この疏水事業の一環として施工された水路橋で,延長93.17メートル,幅4.06メートル,水路幅2.42メートル,煉瓦造,アーチ構造の優れたデザインを持ち,京都を代表する景観の一つとなっている。また,ここから西500メートルにあるインクラインは,高低差のある蹴上の舟だまりと南禅寺の舟だまりを結ぶ傾斜地に上下2本のレールを敷き.艇架台により舟を運ぶ施設で,当時の舟運による交通事情がよくうかがえる。いずれも,西欧技術が導入されて間もない当時,日本人のみの手で設計,施工されたもので,土木技術史上.極めて貴重なものであり,昭和58年7月1日に「疏水運河のうち水路閣及びインクライン」として京都市指定史跡に指定された。また,平成8年6月には,この水路閣,インクラインに加え,第1疏水の第1・第2・第3隧道の各出入口,第1竪坑,第2竪坑,明治36年に架設された日本初の鉄筋コンクリート橋(日ノ岡第11号橋),同37年架設の山ノ谷橋などが日本を代表する近代化遺産として国の史跡に指定された。(現地説明板より)
その他参考文献
国指定文化財等データベース
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