京都府京都市西京区 大原野神社
Oharanojinja, Nishikyoku, Kyoto
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April 13,2019 大野木康夫
境内各所
満開の千眼桜
April 11, 2015 野崎順次 source movie
京都府京都市西京区大原野南春日町1152
大原野神社
(Oharanojinja Shrine, Nishikyo-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
大原野神社鎮座の一帯は山城地方でも古くから 開けたところで一萬年も以前の有柄尖頭器が 山の手から発見されている。人皇五十代桓武天皇が都を奈良から京都向日市を中心とした長岡京(七八四−七九四)に遷された時 鷹狩を愛した天皇はしばしば大原野に足を運んで鷹を放たれた。
萬葉集の編者大伴家持が
「大原やせがいの水を手にむすび 鳥は鳴くとも遊びてゆかん」
と詠んだのも狩に供奉した時のものであろう。 またこの風景を賞で藤原氏の人達は氏神春日 大社の御分霊を遷し祀ることにした。これが當 社の起こりである。御祭神は
第一殿 建御賀豆智命
第二殿 伊波比主命(経津主命)
第三殿 天之子八根命
第四殿 比咩大神
がお祀りされている。文徳天皇は仁壽元年(八五一) 祖父藤原冬嗣が生前果せなかった壮麗な社殿を創 建され春秋二季勅使をつかわし勅祭を行なわれた。 應仁亂後は社運おとろえ祭儀さえ中絶したが後水 尾天皇(一六四八)が再建された今の本殿四棟春日造 はこの時のものである。慶應元年十一月加茂、石 清水の勅祭に次いで官祭が復興され近くは大正十一 年十一月十四日時の皇后(貞明皇后)が當社に行啓 遊ばされた。御例祭は櫻花満開の四月八日に執行、 特殊神事として御弓祭と御田刈祭の二私大祭が ある。
(境内案内板より)
由緒略記と現地説明板
一の鳥居、二の鳥居、鯉沢の池
瀬和井
散り急ぐ千眼桜。数日しか咲かず、幻の桜と云われているそうだ。
三の鳥居を通って本殿へ
市文 大原野神社本殿・中門・東西廊 江戸後期 文政五年(1822)
本殿は,同規模・同形式の四棟の一間社春日造社殿であり,各社殿間は板塀で連結されている。身舎の平面は,170センチ四方の正方形である。擬宝珠に文政5年(1822)の銘があり,この頃に再建されたと考えられる。この本殿は,奈良の春日大社同様に一間社春日造の社殿が四棟並立する形式である。本殿前の中門・東西廊とともに,春日社系社殿の形態をよく伝えるものとして価値が高い。(京都市ウェブサイトより)
その他境内
勝持寺への近道
一の鳥居〜参道
本殿周辺は今一つでしたが、鯉沢の池や二の鳥居の周辺は見事に色づいていました。
A camera
B camera
2011.6.10撮影 source movie
Nov.2010 撮影:大野木康夫
所在地 京都府京都市西京区大原野南春日町1152
延暦3(784)年、長岡京遷都にあたり、桓武天皇が、皇后藤原乙牟漏の氏神である春日明神を分祀したのが大原野神社の起こりとされています。
850年(嘉祥3)には文徳天皇により壮麗な春日造の社殿が造営され、藤原氏の一族の尊崇を受けて大いに栄えたそうです。
六国史、大鏡、源氏物語等の古典にもしばしば登場します。
阪急東向日駅から阪急バスに乗ると、15分ほどで終点の南春日停留所に着きます。
大原野神社は、バス停から南春日の集落を抜け、10分ほど歩いたところにあります。
正面の石鳥居をくぐると、両側を木立に覆われた参道が北に続いています。
木立を抜けると御茶屋があり、茶屋の北側に猿沢の池を模したといわれる鯉沢池があります。
さらに進むと、閼伽井や手水所の向こうに朱塗りの鳥居が見え、その奥に本殿があります。
鳥居の手前は、真っ赤に紅葉したモミジが、散り始めていました。
本殿前にも、左右にモミジの木があり、それぞれ違う色に紅葉していました。
本殿四棟、中門及び東西廊は京都市指定有形文化財です。
春日大社の分社なので、一間社春日造の本殿(文政5(1822)年の建築)が4棟並んでいます。
また、中門手前には、雌雄一対の「狛鹿」が並んでいます。
参道を引き返し、隣接する勝持寺に向かいました。
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