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京都府京都市伏見区 大橋家

Ohashike,Fushimiku,Kyoto city,Kyoto

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Mar.2,2015 中山辰夫

大橋家庭園

京都市伏見区深草開土町45−2

大橋家庭園は、道を隔てて伏見稲荷大社社務所と向かい合って建ち、稲荷大社近辺の喧騒とは比べようもない閑静な環境にある。

現当主・大橋亮一氏の曾祖父・大橋仁兵衛氏が隠居屋敷(別荘)の庭として、親戚で親しかった七代目・小川治兵衛(植治)氏の監修を得て1913(大正2)年に完成した、露地風の個人宅庭園である。既に百年を経過している。

大橋家は鱧をはじめとする瀬戸内海の鮮魚の元請を家業とされており、庭園名『苔涼庭 たいりょうてい』は親交の深かった各地網元の『大漁』を祈念して名付けられた。

庭園内はモッコクやモチ、カシ類、マツ類など常緑樹が多く、近代の庭園によく見られる落葉樹の多い庭とは異なった雰囲気を持っている。

また、灯篭を中心とした石造品の数も多いのが特徴で、100坪ほどの庭にもかかわらず12基も据えられている。しかし、雑然とすることはなく、植栽やほかの景石などとよく調和して独特の景観を作り出している。

大橋家庭園で特筆されるのは「水琴窟」。百年余、同じ音色を奏でているのには驚かされ、現在も素晴らしい響きが味わえる。正に「生きている」感じである。

水琴窟は、蹲の排水装置として地中に埋めた甕に工夫を加え、手洗い時に涼しげな音を響かせるもので日本庭園最高の音響装置と称されている。

上から滴らせた水が落ちる時、甕に反響する深く澄んだ音を楽しむというもので、寺社巡りの中で、所々で見かけはするが、音色に接する機会は殆どない。

一般的な水琴窟断面模式図

大橋庭園には2箇所、蹲踞(つくばい)に設けられた水琴窟があって、それぞれ特徴がある。

一つは、周囲より一段低く作られて「降り蹲踞(おりつくばい)」に設けられ、蹲踞の底には鮮やかな色彩の砂利が敷き詰められており、実用というよりは観賞用に作られたようである。この蹲踞は客間に面して、景石、石灯篭、クロマツが植えられている築山とセットになっており、この庭一番の見所といえる。

もう一つの水琴窟は、客間と待合の間の縁先手水鉢(えんさきちょうずばち)に設けられており、この手水鉢は実用が主となっている。

何れも水には敏感で、やり水の量や間隔で音色が変わる。金属音に似た澄んだ響きは癒しになる。二つの水琴窟はさほど離れていないため、音の微妙な違いを聞き比べることができるのもこの庭の面白いところ。百年余も鳴り響く内部の構造は残念ながら解らない。

仁兵衛氏がこの土地を求めたのは1911(明治44)年で、付近には人家もほとんどなく、周囲は木々に囲まれた森であった。現当主・亮一氏のお父さんの若い頃の写真もまだ森が続いていた。水琴窟のこころよい音色は森の中にも響き渡ったと思われる。その時と同じ音色を今味わっていると思うと不思議な感じがする。

水琴窟は江戸時代に考案され、明治時代から昭和の初めまでは各地で多くつくられていたが、戦中・戦後の混乱期は忘れ去られたようで、昭和50年代には全国で音が聞こえる水琴窟は7〜8か所残っただけときく。

1983(昭和58)年頃、朝日新聞の天声人語やそのすぐ後、NHKのTVで取り上げられたことが復活の契機となり、現在では京都市内だけでも40数カ所を数えるとのこと。広辞苑に記載されたのはその後でまだ日が浅い。

亮一さん自身も、「音が出ることは知っていたが、水琴窟であることは、天声人語の記事を見て初めて知った」と話されていた。それまでも、その後も手入れは一切行っていないとお聞きし驚いた。一般に、水琴窟は地中にあるため、甕に泥がたまり早ければ10年程度で音が出なくなる。その点、大橋家の水琴窟は貴重。

七代目・小川治兵衛氏は、明治・大正時代を代表する造園家で、京都では『平安神宮の神苑』『無鄰菴(山形有朋の別荘)』『有芳園(住友家別荘)』などの国指定の名勝を含めた名園を手掛けており、これらの庭園には琵琶湖疏水の水が引き込まれていた。

「疏水の水にかわる水の景色として水琴窟が考えられ、水琴窟の音を聞いて庭の水・流れを想像したのでないか」、仁兵衛さんは雅楽を趣味とされていたので音を楽しむ水琴窟をつくったのかも・・。何一つ資料が残されていないので、掘り返すこともできない。現在、庭の管理を委託している十一代目や十二代目小川治兵衛さんとも語らいの中で想像を膨らませているとのこと。

待合

庭園の隅に茶室としてつくられたが、『家相』の面から待合とされた。なかなかの出来栄えである。

灯籠(順不同)

七代目・小川治兵衛に『この広さに十二基の灯籠は余りに多すぎる』と助言を受けたが、仁兵衛氏は『私は灯籠が好きなんや』といって受付けなかったと言われている。多過ぎるとした灯籠も百年の歳月を経て苔で青みがかり落ち着いた風情を見せる。

灯籠は常盤型・雪見・朝鮮・葛家型・春日・三重塔・善導寺・明石・その他12基で、門の外に巴飾りのでんでん太鼓型灯篭が配置されている。

集めるのは大変。今となっては貴重である。

善導寺型灯篭

善導寺型燈籠は江戸時代作。火袋の面に茶碗、炭斗(さいろ、炭入れ)、火鉢、火著、茶釜、柄杓(ひしゃく)、五徳が彫られている。

宝珠、笠、中台などが膨らみ全体的に厚みがある。茶人に摸し愛玩するものが多かったといわれる。

庭石

鞍馬石を始め京都の石が中心と聞く。今は入手困難な石ばかりである。大きい伽藍石が使われていた。

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