京都市右京区 愛宕念仏寺
Otagi Nenbutsudera,Ukyoku,Kyoto city
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京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5 愛宕念仏寺本堂 重文 近世以前/寺院 鎌倉後期 文保2(1318) 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺 18971228
Nov.21,2018 瀧山幸伸
April.24.2018 中山辰夫
愛宕念仏寺 (おたぎ ねんぶつてら)
京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2−5
小雨承知で出かけた。水を含んでしっとりとした苔を見るのも楽しみの一つ。
念仏寺は愛宕参道わきにある。
宗派:天台宗 本尊:十一面千手観世音菩薩(厄除け千手観音)、ほかに火伏地蔵を安置している。開基:称徳天皇 創建:空海
アプローチ
仁王門
江戸中期の建造 鎌倉時代作の仁王像は京都市指定文化財 京都市内では最古の仁王像
受付・社務所・ほか
羅漢堂
先代住職西村公朝による蓮華蔵世界の天井画、釈迦の壁画、十大弟子像が祀られている。
受付を済まして境内に入るといたるところに羅漢が立ち並ぶ。
三宝の鐘
仏法僧の三鐘としその音律によって仏の心を自然界に伝えるとされる。
ふれあい観音
ふれ愛観音堂に安置の「ふれ愛観音」は、視覚障害のある人心の目と手で触れることができる。
地蔵堂
平安時代作の「火除(火伏)地蔵菩薩坐像」が安置されている。「火之要慎(ひのようじん)」のお札で知られる。
火伏の神として信仰されている愛宕山の本地仏が、地蔵菩薩であることに由来するという。
右には、「吉祥天女像」、左右の脇檀に「二十八部衆像」などが安置されている。「木造千観内供坐像」(重文)は、鎌倉時代作になる。彩千観の肖像彫刻で、口を開け念仏を唱える姿になる。彩色、寄木造。現在は、京都国立博物館に寄託
本堂
1318年建立 方五間、単層入母屋造。内部の天井は小組格天井。本尊の位置は二重折上げ格天井。堂は鎌倉時代の作で美しい曲線を留めている。
本尊は鎌倉時代作の厄除千手観音、御面の眼差しが左右対称でなく、厳しさと優しさという仏の慈悲の二面性を、顔の左面右面に分けて表現されていることから「慈面悲面の千手観音」と称されている。
多宝塔
1200躰もの石造羅漢
1981(昭和56)年から10年間、参拝者自身の手で彫られた。1991(平成3)年に「千二百羅漢落慶法要」が営まれた。
手作りの温かみのある石仏、好みの像を見つけるのが楽しい。
参考資料
愛宕念仏寺のはじまりは、奈良時代末期の8世紀初頭に称徳天皇の命によって建立されたとされる。場所は現在の東山松原通の地であった。
愛宕の地に建てられたので愛宕寺と名付けられた。この寺は平安時代に、鴨川の洪水で全て流れ廃寺となった。復興を命じられたのが天台宗の僧「千観内供」で、千観は生涯念仏を絶やさず「念仏上人」と称されたことから、寺名も「愛宕念仏寺」といわれるようになった。
その後寺は荒廃を繰り返した。
現在ある鎌倉中期建築の本堂は、1922(大正11)年に堂宇保存のために移築されもので、嵯峨の愛宕念仏寺として復興された。
その後戦時中に無住となり、1950(昭和25)年の台風災害により境内・堂宇・仏像等が多大な被害を受け廃寺となった。
1955(昭和30)年に、仏師・仏像修理技師・僧侶・東京芸術大学名誉教授の西村公朝氏が住職を拝命し再興が始まった。
山門の解体復元修理をはじめ、境内全域の本格的な復元事業が行われ、この復興祈願に賛同した参拝者の手で羅漢が彫られた。
西村公朝氏は、1937(昭和12)年から始まった京都・三十三間堂の千体千手観音像【国宝に指定】の仏像修理(毎年50躰の修復)に加わった。
修理事業は戦前、戦後にわたり、1958(昭和33)年、延べ21年をかけて1000躰(正確には1001躰)全ての千手観音像の修理が完成した。
この事業に当初から参画した西村公朝氏は、1000躰のうち、600躰の修理を行ったとされる。
現在の住職、西村公栄氏は、公朝氏の息子さんです。
参考資料≪説明は、パンフレットよりの引用です≫
November 24,2014 大野木康夫 source movie
愛宕念仏寺は山あいに位置しており、紅葉はオレンジ色が勝った色づきとなっていました。
所在地 京都府京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5
2010.11.26撮影
愛宕山の入り口、嵯峨鳥居本の愛宕念仏寺の紅葉風景です。
夕刻で、紅葉が山陰ににじんでおり、何とも言えない風情でした。
本堂(重要文化財)
文保2(1318)年の建築
桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺
東山の六波羅近辺にあった愛宕寺を大正時代に鳥居本に移したのが愛宕念仏寺で、本堂も六波羅から移築されたものです。
Nov.2005 瀧山幸伸 HD(1280x720)
愛宕(おたぎ)念仏寺(重文)
愛宕神社の鳥居の奥に、大正11年、東山区から移築された。
重要文化財の本堂は、鎌倉時代中期の建築。
山門から本堂への坂道景観が美しい。かえでと建築とのコントラストを楽しもう。
境内の千二百に及ぶ羅漢像は、一体ずつの表情に個性が強く出ている。
ユーモア豊かなもの、趣味の楽器を携えているものなど多数あり、見飽きない。
無表情な日本的パーソナリティではないところが珍しい。
鐘楼に鐘が三つ架けられており、それぞれ音色が異なる。これも珍しい。
本堂(重文)
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