京都府京都市右京区 鹿王院
Rokuoin,Ukyoku,Kyoto city,Kyoto
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Nov.24,2021 瀧山幸伸
February 24, 2019 野崎順次 source movie
京都府京都市右京区嵯峨北堀町24
臨済宗系単立
覚雄山 鹿王院
(Rokuo-in Temple, Ukyoku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
鹿王院は、足利義満が建立した宝幢寺という寺の塔頭(禅寺等で歴代住持の墓塔を守るために建立される寺院)であった。
(中略)
宝幢寺は禅寺十刹の第5位に列せられる大寺であったが、応仁の乱で廃絶。塔頭の鹿王院のみが残った。鹿王院は寛文年間(1661年 - 1673年)、酒井忠知(徳川四天王の一人である酒井忠次の子)によって再興され、忠知の子である虎岑玄竹(こしんげんちく)が中興開山となった。
(ウィキペディア「鹿王院」より)
パンフレットと現地説明板
山門から中門
庫裡
市名勝 鹿王院庭園(本庭
本庭は舎利殿前に広がる、嵐山を借景とした庭園で、苔で覆われ、石組と植え込みを配した平庭式枯山水庭園である。舎利殿が建立された宝暦13年(1763年)頃の造園と推定される。
(ウィキペディア「鹿王院」より)
客殿、本堂、舎利殿
その他境内
曇華院
総門前
参道
庫裏付近
庫裏入口から
客殿から見た舎利殿、庭園
舎利殿へ
舎利殿周辺
客殿に戻る
庫裏から
庫裏前
帰路
京都市右京区嵯峨北町
宗派:臨済宗天龍寺派 本尊:釈迦如来
正式には大福田宝幢(ほうどう)禅寺という。寺域は住宅に取り囲まれている。
舗装された道から少し入った所に、風雨で黒ずんだ室町中期の山門が立っている。山門を入ると参道が楓の木立に吸い込まれる。紅葉が素晴らしい。
足利三代将軍 義満が1379(康暦元)年、24歳の時、寿命を延ばすことを祈って建てた禅寺。宝幢(ほうどう)禅師寺 鹿王院と名付けた、京都十刹第五の名刹である。開山は義満の師、普明国師(春屋妙葩)。山門の扁額は足利義満22歳の時の直筆で、600余年の星霧を経ている。
鹿王院の名で呼ばれるのは、開山の普明国師が没し、その塔所を境内に建てたところ境内に野鹿の群れが現われたことによるという。塔所を鹿王院と号したが、その後本寺の宝幢寺が応仁の乱で廃れ鹿王院のみが再興され、それが寺名となった。
現在の建物は、寛文年中(1661〜73)に再建したもので、客殿と庫裏は1891(明治24)の建立である。
山門
規模こそ小さいが、創建時に近い南北朝時代の建造で、禅宗寺院の門としての特色を備えている。切妻造、本瓦葺、唐様とされる禅寺の門であるが、木鼻にみられるように天竺様に属する。同じ例は大徳寺東門に見られるが、禅宗建築に用いられた極めて貴重な遺構である。
山門から奥の中門へは一直線の石畳が続く。両側の庭には寒さに耐えて、元気が出てきた苔が覆う。落ち着いた雰囲気である。敷石も丁寧に積まれている。
境内に自生する竹を使って、石垣上の竹垣づくりに忙しい。使う竹は2年もので、今の時期が最適とか。石畳は結構な長さの路地が続き中門に至る。
延段の参道には、楓、椿、天台烏薬などの植栽が見られ、くの字形の楓並木の紅葉が見事といわれる。
中門周辺
庫裏・玄関
1891(明治24)年の建立 庫裏は禅宗寺院らしい趣が感じられる。韋駄天像がにらみを利かせる。
客殿
正面に扁額「鹿王院」が掲げられている。足利義満の筆である。庫裏から廻ると旧に明るい空間が眼前に広がる。平庭が続く。
客殿の裏は後庭で、茶庭に続いて、茶席「芥室」がある。茶室「芥室」(かいしつ)は 俳優大河内傳次郎の寄進という。非公開。
客殿の縁からカギ型に瓦敷きの歩廊が延びて本堂の開山堂と舎利殿を結ぶ。
本堂(開山堂)
方三間、寄棟造、桟瓦葺。前面に庇を付下ろした穏和なたたずまいの堂で、客殿及び舎利殿とは吹放しの渡廊でつながっている。1676(延宝4)年の建立。
ほの暗い本堂の中央に本尊「釈迦如来像」と「十大弟子像」が安置されている。平安時代末〜鎌倉時代初めにかけての仏師・運慶作という。
本堂には「足利義満木像」・「開山普明国師」の像も安置されている。
本堂から瓦敷の歩廊を進むと舎利殿である。
舎利殿
方三間、外観重層宝形造、桟瓦葺き、裳階付きの堂。1763(宝暦13)年の建立。二層の舎利殿は晩年の義満が北山に築いた金閣の原型だという。
金箔を用いた華やかさはないが、杉ゴケの緑と白砂、そこに石を配した簡素な庭を前にして、嵐山を借景とした佇まいである。
舎利殿(駄都殿)堂内の厨子
裳階があるので二層に見えるが、中に入ると高い天井の単層である。
堂内の厨子には多宝塔を安置する(10月15日のみ公開)。仏牙舎利の説明
寺伝によると、祀ってある仏牙舎利(ぶつげしゃり)、つまりお釈迦様の歯は源頼朝が宋の国から得て鎌倉円覚寺に納めたものを、後光厳天皇が京へ迎え、普明国師へ下されたものという。
仏牙舎利は納められた厨子
滅多に写す機会がないので・・・・。
涅槃図説明
江戸時代前期以前の作。詳細不明
舎利殿細部
内部の柱は円柱、その間に紅梁を架け中央に大瓶束を立て、内陣は小組格天井(和様)を張っている。外側の柱は方柱で、中央間は広く紅梁を架け、頭貫の上に蟇股を置いている。即ち唐様と和様の折衷になり、細部意匠には江戸中期の特色が示されている。
庭園
前庭、本庭、後庭で構成される。舎利殿が建立された宝暦13年(1763年)頃の造園とされる。舎利殿・本道・書院の前面に枯山水庭園が広がる。
前庭
書院の前に広がる
本庭
本堂〜舎利殿前に広がる嵐山を借景とした庭園 舎利殿の右に古びた土蔵と唐門が見える。
苔に覆われ、舎利殿の傍のあまり目立たない立石や臥石の石組と植え込みを配した平庭式枯山水庭園である。
樹齢400年とされる木斛(もっこく)の銘木や奥には大きな楓や沙羅双樹の木が見える。
後庭
客殿の裏にある。茶庭に続いて、茶席「芥室」がある。
嵐山遠景
鹿王院の西隣、曇華院の紅葉
朝の山門
参道
中門付近
庫裏付近
玄関から
方丈から
方丈から法堂に向かう廻廊から
再び方丈から
玄関から
庫裏付近
参道帰路
鹿王院から桂川沿いへ
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