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京都府京都市東山区 両足院

(Ryosoku-in Temple, Higashiyamaku, Kyoto City, Kyoto)

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池泉廻遊式庭園
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4つの庭園と長谷川等伯作品
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January 12, 2019 野崎順次 source movie

両足院は、建仁寺の開山・明庵栄西(みんなんようさい)禅師の法脈・黄龍派(おうりょうは)を受け継ぐ龍山徳見(りゅうざんとっけん)禅師を開山とする臨済宗建仁寺派の塔頭寺院です。

 現在の両足院は、開山当時「知足院」と号していました。知足院は、龍山徳見禅師の遺骨が知足院に葬られてからは、徳見禅師の法脈を継ぐ当院3世文林寿郁(ぶんりんじゅいく)の両足院・一庵一麟(いちあんいちりん)の霊泉院などの黄龍派寺院の本院でした。創建された当時の両足院は、知足院の別院、または徒弟院(つちえん)として建仁寺開山堂・護国院の中にありましたが、天文年間の火災の後、「知足院・両足院」両院を併せて「両足院」と称する事となり現在に至ります。

 また、両足院は、室町時代中期まで「五山文学」の最高峰の寺院でありました。江戸時代に入っても10世雲外東竺など当院の住持が、五山の中で学徳抜群の高僧に与えられ最高の名誉とされる「碩学禄」を授与されたこともあり、「建仁寺の学問面」の中核を担いました。

(KYOTO design ウェブサイトより)

年に数回特別拝観できるが、今回は、第53回京の冬の旅非公開文化財特別公開である。

パンフレット

    

閼伽井庭

       

方丈南の庭園

   

府名勝 方丈と書院の東庭(前庭)

今本庭を一覧すると、本庭の地割の特色は北西部が書院の北に流れが入り込み、北東の茶亭付近も入り込んで二又となっているのと、東部山畔がゆるやかに大きく出張っていて、江戸中期の池庭出島の先駆的様相が示されている。すなわち、江戸中期の池庭地割は、必ずと言ってよいほど中央が出島となるが、その度合いが強いほど時代が降るのが例である。このように考えると、本庭はゆるやかな出島であるだけに、中期としては初頭の作庭であることを語っていて、竹心紹智の四十代の作庭と見てよい。それのみでなく、方丈の北東角のところも池中に出島となっていて、池庭の地割というものが、まことに正直に時代を語っているのである。

さらに本庭の築山部の石組や、池庭の護岸石組などを一覧すると、これまた江戸中期初頭らしい手法を見せていて、小石を多数に用いることや、小刈込を多く配することもそれをよく語り、さらにまた、全体の石組がはなはだしく弱くなっていたり、角のある庭石の尠ないこともよく時代を語っている。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」両足院庭園より)

                          

書院とガラス戸越しの庭園

           

毘沙門堂あたり

      


Jan.14, 2012 野崎順次

京都府京都市東山区大和大路通四条下る4丁目小松町591

臨済宗大本山建仁寺塔頭

平成24年度 新春特別拝観 1月1日〜17日

両足院は、建仁寺の開山・明庵栄西(みんなんようさい)禅師の法脈・黄龍派(おうりょうは)を受け継ぐ龍山徳見(りゅうざんとっけん)禅師を開山とする臨済宗建仁寺派の塔頭寺院です。 現在の両足院は、開山当時「知足院」と号していました。知足院は、龍山徳見禅師の遺骨が知足院に葬られてからは、徳見禅師の法脈を継ぐ当院3世文林寿郁(ぶんりんじゅいく)の両足 院・一庵一麟(いちあんいちりん)の霊泉院などの黄龍派寺院の本院でした。 創建された当時の両足院は、知足院の別院、または徒弟院(つちえん)として建仁寺開山堂・護国院の中にありましたが、天文年間の火災の後、「知足院・両足院」両院を併せて「両足院」と称する事となり現在に至ります。

パンフレット

    

建仁寺境内

  

両足院の山門

              

唐門と唐門前庭

                      

庫裏と方丈を結ぶ廊下に面した坪庭「閼伽井庭」

       

桃山時代の枯山水庭園の方丈前庭

         

方丈内部、室中に二重格天井を備え内陣に本尊「阿弥陀如来立像」を安置する。方丈は江戸時代寛永年間(1624-1643)に再建されたもの。竹林七賢図屏風(長谷川等伯筆)が展示されている。

    

方丈東庭園

                 

書院は江戸時代寛永年間(1624-1643)に再建されたもの。雪梅雄鶏図(伊藤若冲筆)などが展示されている。

              

書院前庭は京都府指定名勝の池泉廻遊式庭園である。梅雨の頃には、半夏生が、いきいきと生い茂る。初夏になると徐々に色を変え、まるで白い可憐な花が咲いた様に池辺を彩る。池の北側には織田信長の弟織田有楽斎好みの如庵の写し「水月亭」、その右には六帖席の「臨池亭」が並ぶ。

                

両足院鎮守 毘沙門堂

本尊秘仏の毘沙門天像は、鞍馬寺毘沙門天の胎内仏だった。戦国時代、比叡山が織田信長によって焼き討ちにあった際、鞍馬の僧が尊像の安全を危惧し、比喜多養清(室町将軍の茶家、筑前黒田家京都御用達)のところへ、尊像を疎開させた。関が原の会戦に黒田長政が、関東方として出陣する際、この尊像を内兜に収めて奮戦し、勝利を収めたといわれている。そのあと尊像は代々黒田家で信仰されたが、維新の変革で明治10年ごろ当院に寄進された。

                   

参考資料

両足院HP

京都風光・京都鴨川風光HP


事務局用

 

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