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京都府京都市中京区 誠心院

(Seishin-in Temple, Nakagyoku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
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November 1, 2020 野崎順次 source movie

京都市中京区新京極六角下る中筋町487
真言宗泉涌寺派 華厳山東北寺
誠心院

華獄山東北寺誠心院と号する真言宗泉涌寺派の寺で、以前は「誠心院(じょうしんいん)」の呼び名で親しまれていましたが、戦後、先代住職の頃から「せいしんいん」と呼ばれるようになりました。
関白藤原道長が、娘の上東門院彰子(藤原彰子)に仕えていた和泉式部のために法成寺の中、東北寺に建立したお堂(小御堂)が「誠心院」の起りとされています。
初代住職の和泉式部は、才色兼備としても有名な平安中期の代表的な歌人であり、勅撰集に収められている和歌は、実に二七四首にも及んでいます。
本堂内には、道長公が建立した本尊阿弥陀如来像をはじめ、和泉式部、藤原道長のそれぞれの像を安置しており、境内には式部の墓と伝える宝篋印塔(ほうきょういんとう)および式部の歌碑が建てられています。
その他境内には、天正年間誠心院の移築再建を担当した山口甚介一族の墓石、江戸時代の有名な俳人である池西言水の墓石と句碑が並んでいます。
初代住職の和泉式部にちなみ、知恵授け・恋授けにご利益があるといわれています。
(本寺ウェブサイトより)


      


小御堂(本堂)
   


重美 宝篋印塔 鎌倉後期 高さ約4m/3.4m、幅2.4m、花崗岩
和泉式部の墓(供養塔)といわれる。基礎は複弁反花、塔身正面に阿弥陀三尊の梵字を刻む。笠石の隅飾突起は輪郭付三孤別石、宝珠は追補になる。塔心背後の基礎に、鎌倉時代、「正和二年(1313年)」の銘がある。発願者12人の尼僧の名が刻まれている。
(京都風光ウェブサイトより)

                  

神変大菩薩像、山口甚介一族の墓、長唄 杵屋六左衛門の歌碑、二十五菩薩像、式部千願観音像
      


和泉式部の歌碑
  


阿弥陀石仏
   


帰途(寺町通)
         

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