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京都府京都市東山区 泉涌寺 善能寺

Sennyuji Zennoji, Higashiyamaku,Kyoto city,Kyoto

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January 12, 2019 野崎順次 source movie

さて昭和四十六年七月三日に、北海道横津岳で遭難した飛行機の「ばんだい号」には、その遺族として、京都の谷本庄蔵氏がおられ、遭難した子息を初め全遭難者のため、あるいはまた、従来の遭難者の冥福を祈り、さらに今後の事故絶無を祈って本堂「祥空殿」の建立があったこのような関係で、祥空殿を中心とし、善能寺全域にわたる作庭と整備のことを著者に依頼されたので、その設計と指導とを著者が行ない、十月には全庭が完成された。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」善能寺庭園より)

現地説明板と山門付近

         

四方正面の三尊石組と萩原井泉水の句碑

       

雲紋築山

      

祥空殿あたり

      

仙遊苑

この庭園は祥空殿に因み、飛行機が幾千万の山海上空を飛翔し、窓外に各地の山岳や平野や海島を俯瞰する景観を全庭に畳み、池庭の地割に州浜形を用い、築山あり、竜門瀑あり、鶴亀兼用の石組や岩島、さらには石橋を配し、善能寺としての古典を一方に意図し、しかも他方で飛行機をいう現代を意図し、かつまた遭難者の霊を慰め、霊魂の永遠に蓬莱神仙の境に再生を乞うて、全庭の構想としたのであった。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」善能寺庭園より)

祥空殿壇上から北から西へ俯瞰する。

      

水の無い池中に入る。鶴のような飛行機のような石組

      

石橋を越えて北西の方へ

            

竜門瀑

     

西の端へ

        


Feb.2013 野崎順次

京都府京都市東山区泉涌寺山内町27

真言宗御寺泉涌寺塔頭 善能寺

撮影: February 10, 2013

大同元年(806)弘法大師の創建といわれ、元西八条猪熊二階堂町に在り、平城天皇の勅願寺であった。天文24年(1555)、後奈良天皇の叡慮により泉涌寺山内に移された。本尊は観世音菩薩で、また、「だきに尊天」を祀る最初の寺ともいわれ、国稲荷神の本地仏としての信仰がある。戦後、ばんだい号をはじめ航空殉難者のみ霊をお慰めする祥空殿を建律し、御回向を続けている。

(泉湧寺HPより)

山門から入ると右手に稲荷大神を祀る「日本最初稲荷神石社」という祠社がある。

   

祥空殿

   

「南無観世音 藤は揺落空に散る」、俳人・荻原井泉水(1884-1976)の句碑が立つ。四方正面の三尊石組は重森三玲の作である。

   

池泉式庭園の「遊仙苑」は、昭和47年(1972)、重森三玲の作である。池泉式庭園の作庭は三玲として珍しいという。

雲紋築山、雲とも飛行機の形とも云われる。木の根で形が崩れている。

   

森を背にして、池、築山、龍門瀑、石橋、白砂、苔地、飛石、植栽などで構成される。池庭の地割は州浜型になっている。三玲は、「飛行機が幾千万の山海上空を飛翔し、窓外に各地の山岳や平野を俯瞰する景観を全庭に畳んだ」と述べている。

                      

参考資料

京都寺社案内HP


Apr.3,2016  中山辰夫

鎮守社の下段にあって、806(大同元)年弘法大師の創建といわれル。1555(天文24)年、後奈良天皇の叡慮により泉涌寺山内に移された。

戦後バンダイ号をはじめ航空殉難者のみ霊をお慰めする祥空殿を建律し、御回向を続けている

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