京都府京都市上京区 仙洞御所
Sento Imperial Palace, Kamigyoku, Kyoto city
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Dec.5,2020 柴田由紀江
March 1, 2020 野崎順次 source
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仙洞御所庭園 江戸初期 池泉回遊式
北池の西北部には阿古瀬という小池があって、これには六枚橋という石橋が架かり、橋を渡った右手には軽快な流れと滝があって美しい景となっているが、この付近はずっと後になってできたのであった。
この北池は大池庭で、かなり深く掘られていて、桃山期の様相を示しているから、秀吉頃にその一部ができたのではないかと考えられる。もとより、後になって、この付近は大宮御所の池庭となったり、また改造されて仙洞の池庭となってので、たびたび変化している。東部には大きな中島が一島あって、これに土橋が架けられているし、北部の築山上には鎮守社三社があり、その付近の森林の景と、赤い鳥居や玉垣の景も美しい。六枚橋のところから北部の築山下を通って大島の東に回る。この付近の笹の刈込はこれまた雄大で美しい景となっている。
南に出て一応西に向かうと、東西の大きな出島となり、中央に紅葉橋が架かっている。西の出島には紅葉山という築山があり、その西南部には蘇鉄山がある。この付近の崩石組の景も美しい。元来この東西の出島は、後になって、南部の池庭を作るために、北池の水を引く必要から切り開いたので出島となったのである。
一応出島の東部に戻って、その辺の景を一覧すると、ここに雄滝と雌滝とがある。築山の上部から流れを設け、上部に雄滝、下部池畔に雌滝がある。この付近から出島全体は、大体に遠州作庭の部分がよく保存されているが、それでもこの出島の西部から中島の橋殿址に架けられていた大きな土橋は今はなく、その土橋を架けたころに改造されたものと思われる。この出島の東側を南に出て、船着石のある付近までは、いかにも遠州らしい石組手法が窺える。
この付近から中島に出ると、東の島の北部は橋殿跡で、南側に釣殿跡がある。この付近はもとの御所のあった場所で、このような名称が残っている。西の小島には滝殿跡があり、この両島から雄滝付近の景観が美しく見られる。西には八ッ橋が架かるが、これは明治二十八年頃に完成し、以前は木橋であり、藤棚はなかった。この八ッ橋を西に出ると、有名な小石の浜である。この栗石の浜は、小田原藩主大久保駿河守忠真が、文化年中に京都所司代であった関係から、小田原海岸の小石を米一升で一個を拾い集めさせて敷き詰めたので、小田原の一升石という。その景観はまことに美しい。さらに園内には醒花亭、又新亭等の茶亭もあり、老大木が一層の美観を見せている。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」仙洞御所庭園より)
パンフレット
アプローチ、京都御所清和院門から大宮御所北門
大宮御所正門と御車寄
通路の両側は苔が美しい。
京都大宮御所御常御殿と南庭
北池
阿古瀬淵と六枚橋
北池の北岸を東へ
北池の中島を行く。
東の出島から紅葉橋を渡って西の出島へ、南池が現われ、対岸に滝と護岸石組が見える。
一升石の洲浜が見え、八ッ橋を渡る。八ッ橋からの眺望もよい。
中島を渡り、南へ。孤立した島は葭島。
一升石を敷き詰めた洲浜
八ッ橋、反り石橋を遠望する。
醒花亭
古墳跡そして桜の馬場を行く。
西の出島あたり
待合
又新亭
垣の竹の先っぽがピンとしている。
Feb.18,2020 瀧山幸伸
A camera
B camera
February 16, 2020 野崎順次
source
movie
最初に行った時は小雨が降っていた。コントラストが弱く、しっとりとして、おつなもんだ。
大宮御所北門から入る。
大宮御所正門と御車寄
通路の両側は苔が美しい。
京都大宮御所御常御殿と南庭
北池へ
阿古瀬淵と六枚橋あたり
北池の北岸を東へ
北池の中島を行く。
東の出島から紅葉橋を渡って西の出島へ、南池が現われ、対岸に滝と護岸石組が見える。
一升石の洲浜が見え、八ッ橋を渡る。八ッ橋からの眺望もよい。
中島を渡り、南へ。孤立した島は葭島。
一升石を敷き詰めた洲浜
醒花亭
古墳跡そして桜の馬場を行く。
西の出島あたり
北池に戻ってきた。
待合と又新亭
Aug.3,2017 中山辰夫
最近は当日受付で余裕があれば参観が可能となっております。仙洞御所の紅葉の美しさは既に報告されています。
真夏の庭園は樹木が青々と茂り新緑を思わせる雰囲気で満足できました。
仙洞御所は、皇位を退かれた天皇の御所。明正天皇に譲位された後水尾上皇の御所として1630(寛永7)年に造営されたのが始まり。
仙洞御所の建築群は1854(寛永7)年の大火で京都御所と共に焼失、その後再建されず、その跡地は現在、庭園のみが残されています。
1867(慶応3年)以降は唯一残った御常御殿が大宮御所に組み入れられ、皇室の京都における邸宅として整備されました。
庭園は北池、南池という二つの大きな池が中心となっており、北池は女院御所の庭、南池は仙洞御所の庭でした。
御所の改変、拡張などで二つ池は紅葉谷の掘割で通じ合い、一体感を形成しています。このため築庭した小堀遠州の面影が見られないとされます。
しかし、桂離宮や修学院離宮と深い関りを持ち、17世紀前半から中葉にかけて完成した宮廷の庭園であり、後水尾上皇を中心とする宮廷文化を伝えるものとして、貴重な文化遺産とされています。
位置図と平面図
正門・表門・外回り 入口は表門から
大宮御所表門〜御正門付近
大宮御所御車寄と大宮御所付近
京都大宮御所御常御殿と南庭
御常御殿は後水尾天皇が皇后・東福門院のために造営された大宮御所の御殿で、歴代の皇后が日常生活を過ごした場所。
大正年間にガラス戸や窓にレースのカーテンなど現代的な洋室への改装が行われ、近年までは国賓の宿泊所としての役割も担っていた。
庭には紅梅・白梅・竹林、松が植樹され松竹梅の庭とも称せられる。
お庭口門から北池へ
御常御殿の南庭の東側に仙洞御所の庭園に出る潜り戸がある。潜りを抜けると、左手には大宮御所との結界である白壁、右側には茶室・又新艇(ゆうしんてい)、正面は広々とした池である。南庭にたいして北庭と呼ばれ、造営の当初は女院御所の庭だった。
北池全景
対岸は中島。石橋や淵が見える。左が鎮守社の杜、右が舟着と紅葉山
全景を左から右に見る
小堀遠州が造営に着手したのは1627(寛永4年)、その後折々に改変されて行く。
御舟着・・・舟遊び用、切り石で直線に構成され、庭園の景観上でも重要
阿古瀬淵と六枚橋、紀氏遺跡の石碑
古びた趣のある入江は阿古瀬淵と呼ばれる。北湖と入江の境に六枚橋が架かる。由緒あるヤマブキがその時期に乱れ咲く。
笹が密集する小山に石碑が立ち、紀貫之の邸宅跡とされるが不詳。明治になってからの建立。
緩やかな汀線に沿って東へ進む。
鎮守社
中島への土橋
北岸から中島へかかる橋。中島は「鷺島(さぎ)」ともいわれ、西岸から見える樹木の茂みは「鷺の森」とも呼ばれる。
石橋
三條白川橋石材を短冊に切り出し、二枚をずらせて並べた石橋。
雌滝(めたき)
滝というより鑓水で、北池に流れ込む。南池の雄滝に対する名称。
掘割と紅葉橋〜紅葉山
紅葉山は東西に長く伸びて北池と南池とを隔てる。その中程を切り開いて二つの池をつないでいるのが堀割。北と南の運河で舟が往来できる唯一の場。
割堀に掛かる橋が土橋。土橋を渡ると南池となる。北池側は低い竹の手摺りまで紅葉が垂れている。
北池の東岸から南池の西岸まで紅葉山の山裾を縫うように苑路が延びる。紅葉山の新緑・紅葉の頃は見事である。
紅葉橋を過ぎるといよいよ南池となる
雄滝と草子洗いの石
紅葉山の下、出島の西岸の付け根の辺りに落ちる巾80cm、高さ180cmほどの滝。八つ橋から正面に見える。
小野小町が盗作和歌を見破ったとする故事に由来する草子洗いの石とされる平らな石。後世のつくり話とか。
土佐橋と山神社
出島の東に掛かる石橋。土佐の山内家が献上したもの。上方の小山の頂に山神社がある。小さな祠である。土佐橋は参観のコースには入ってない。
小堀遠州造営の残り
東岸の一部に切り石を直線に畳んだ護岸があり遠州の名残とされる。、当初は切石を二段に積んだ直線の汀線が多用されていたという。
出島西側の石組 巧みな造形
雄滝のごく近くから南に出島西岸の石組が続。一面芝を張った緩い曲線の出島を水際で守っている。
南池
池の中ほどに八ツ橋、反橋の二つの橋がある。
中島の反橋
南池の中ほどに二つの中島がある。その一つに、西岸から藤棚で覆われた八つ橋が架けられ、中島二つを小さな石橋でつなぎ、東岸に掛けて反橋が架かる。
八つ橋
全面に藤棚を架け渡した石橋、藤は西半分が「下がり藤」、東半分が「上がり藤」である。かっては水田があった場所に菖蒲やツツジが花をつける。
葭島付近
州浜 (南池南部)
一升石を敷き詰めた面積は約1000㎡、岸辺から池水の中まで敷き詰めてある。
楕円形に丸くやや平宅粒のそろった石(1升石)を11万1000個、小田原城主大久保忠真が献上した。石一個を米一升と交換して集めた石。
苑路
州浜に沿って直線に広い道がある。この道は桜の馬場と呼ばれ、1747(延享4年)に桜町上皇が歌人に選ばせた仙洞十景の一つに選ばれている。
醒花亭(せいかてい)
全景、書院、
南池の南端に北向きに建つ茶室、庭を眺めるに最適の場所。?葺き、ベンガラ色壁の数奇屋造、土間、寄付、入側、書院、水屋、台所,厠からなる。
入側東面の長押上に醒花亭の典拠となった漢詩文の拓本の扁額が掲げてある。
栄螺山(さざえやま)
栄螺の殻を伏せた形に似ることから命名された。鉢巻上に石で円が造られており、古墳ともいわれる。御所内で一番高い所にあった物見の小亭悠然台の跡地。
柿本社
祭神:柿本人麻呂。人麻呂は「ひとまる」と呼ぶこともあるため、「ひとまる(人丸)=火止まる」渡海して防火の神として信仰されている。京都御所や仙洞御所は度々か賽に遭っておことから御所の守護神として勧請された。
又新亭(ゆうしんてい)
1884(明治17年)近衛家から献上された茶室。茅葺の複雑な屋根と大きな丸窓がある。中門からにじり口までが内露地である。
燈籠、蹲踞、飛び石、植込みなどで侘びの小世界を形づくる。茶室と露地は四つ目垣で仕切っている。
≪参考資料:公益財団法人菊葉文化協会発行冊子、および宮内庁HPより抜粋≫
大宮御所正門受付付近
大宮御所車寄付近
大宮御所
北池、紅葉山
阿古瀬淵、北池北汀
土橋
北池中島
北池と南池の間
南池
八橋
中島
南池東汀
醒花亭
南池南汀、洲浜
柿本社へ
洲浜に戻る
南池
紅葉山
北池
大宮御所
仙洞御所も当日受付が始まりました。
この日は11時受付開始で、13時30分、15時30分の2回分、各35人が拝観できるようです。
なお、一度に申し込めるのは4人までとなっています。
京都府京都市上京区 仙洞御所
Sento Imperial Palace, Kamigyoku, Kyoto city
宮内庁管理
建物:大宮御所
庭園:仙洞御所庭園
庭園の紅葉の景観は非常に美しい。訪問時は丁度見頃の時期に当たった。
庭園は小堀遠州がもともと造ったものとされるがその後改修を重ね殆ど原型は残っていないと言われる。
Dec.2011大野木康夫 source movie
仙洞御所の紅葉
Sentogosho
2012.12.2撮影
紅葉の盛りとなった12月初め、仙洞御所の一般参観に行きました。
あいにくの曇り空でした。
仙洞御所の土塀
正門をくぐった広場
松の木の剪定
「御所すかし」と呼ばれる剪定方法です。
手で松の葉をむしり、枝を残したまま見通しをよくします。
大宮御所の御車寄
御常御殿へと向かう通路
御常御殿南庭
いよいよ仙洞御所に入ります。
北池の西に出ると、右手の紅葉山は一面色づいていました。
時計回りに北池の周りを廻って行きます。
参観者が感嘆の声を上げるほどの紅葉ですが、説明の方は、「今年はもう一つです。」とおっしゃっていました。
土橋を渡って中島に渡ります。
東側から紅葉山や阿古瀬淵を眺めます。
石橋を渡って鷺の森に行きます。
北池と南池の両方が見えます。
八ツ橋の藤も黄色く色づいています。
もみじ橋を渡って紅葉山に行きます。
視界全体がオレンジ色に染まったようです。
南池に出ました。
本来の仙洞御所のエリアです。
紅葉山、もみじ橋や雄滝を眺めながら八ツ橋を渡ります。
反対側には州浜が広がります。
八ツ橋を渡り、中島を通って行きます。
南池東側から対岸を見ると、イチョウが黄色く色づいています。
南池南岸の州浜は、相模真鶴の吉浜石が敷き詰められています。
南岸には仙洞御所で唯一残った建物である醒花亭があります。
八ツ橋の藤とイチョウの黄色と、モミジの赤やオレンジ色が綺麗です。
醒花亭から八ツ橋方面に戻ります。
このあたりで説明も一段落し、参観者はしばらく写真撮影等で過ごします。
紅葉山から北池に戻ります。
茶室又新亭は明治期に近衛家から献上されたものです。
北池の御舟着付近の紅葉が綺麗でした。
所在地 京都府京都市上京区京都御苑
2011.5.9 撮影
仙洞御所とは上皇や院の御所のことです。
現在参観できる皇室財産の仙洞御所は、京都御苑内の京都御所東南に寛永7(1630)年に造営された御水尾上皇の御所ですが、嘉永7(1854)年の大火でほとんどの建物が焼失しています。
また、築地塀の内側には、慶応3(1867)年に孝明天皇の女御であった英照皇太后の御所として造営された京都大宮御所があります。
京都大宮御所は、皇族や国賓が京都で宿泊される際の宿所として使用されています。
京都御苑の東、清和院御門から御苑に入ります。清和院御門からは大文字山が望めます。
左手に仙洞御所の築地塀、正面右手に京都御所の築地塀を見ながら大宮御所に向かいます。
参観受付は京都大宮御所にあります。
大宮御所の建物は慶応3(1867)に建てられたものをベースにしていますが、中は様式に改造されているようです。車寄からの三重になった屋根が印象的です。
皇族や国賓の使用時には、車寄の階段に絨毯を貼ることができるようになっています。
かつてダイアナ妃が京都に見えられた際、大宮御所で宿泊された写真が新聞に載っていました。
大宮御所前の受付や木々を撮影しました。
参観は一日二回、各回30名ほどです。
宮内庁管理の他の参観場所と同様、往復はがきかインターネットで申し込むことになっています。
参観口から中に入ると、大宮御所御常御殿南庭に出ます。
大宮御所の場所には、仙洞御所が建てられた際、東福門院のための女院御所が造営されました。
慶応3(1867)年に大宮御所が造営され、その後、明治期や大正天皇の即位の礼の際に改造が施されて今日に至っています。
警備上の都合により、間取りなどは明らかにされていません。
御常御殿の南庭には、紅梅白梅、松、竹林が配されているところから、「松竹梅の庭」とも呼ばれています。
このあたり、カラスが多く、鳴き声が無粋に響きます。
南庭から潜戸を抜ければ、仙洞御所の北池が広がります。
北池付近は、かつては女院御所の庭園として造営されましたが、現在は一体的に管理されています。
北池
広々とした池で、モミジを中心とした木々に囲まれています。
秋の紅葉の時期は絶景となりますが、11月の参観受付が始まる8月1日付けの申込往復はがきは、1日分ですべての回の定員を上回るほどの人気だそうです。
ここで、御舟着を撮影するのを忘れてしまいました。
北池の汀線
なだらかな曲線になっています。
阿古瀬淵と六枚橋
北池の北西隅に入江が設けられ、阿古瀬淵と名付けられています。
入江の境には六枚橋という石橋が架かっています。
北池と南池をつなぐ掘割を見ながら池の周りを廻っていきます。
束橋と呼ばれる土橋を渡って中島(鷺島)に進みます。
出入口である潜戸や又新亭を望むことができます。
さらに進むと鷺の森です。
雌滝と呼ばれる遣水が流れています。
掘割に架かる紅葉橋から南池を望むと、藤に覆われた八つ橋が見えます。
ちょうど藤の花が咲き誇っていました。
南池
本来の仙洞御所の池です。
雄滝とよばれる高さ180㎝の滝の手前の平石は、草子洗いの石と呼ばれています。
八つ橋
もとは木造でしたが、明治28(1895)年に石橋に改められました。
全面に藤棚が施されていますが、西半分が下がり藤、東半分が上がり藤だそうです。
八つ橋を渡った滝殿跡の汀に、菖蒲が咲いていました。
北側の出島の汀は、切石で直線的に整えられており、小堀遠州が造営した当時のままの姿を伝えているそうです。
南側は中島が二つ設けられ、大きいほうの島は葭島と呼ばれています。
小さいほうの島には鷺が止まり、カメが日光浴をしていました。
中島の向こうには、茶屋である醒花亭が見えます。
船着場には船も浮かんでいます。
ここから青もみじの中を南池南岸に進みます。
南池南岸の汀は州浜になっており、握りこぶし大の丸い平石で覆われています。
この石は吉浜石と呼ばれ、小田原藩主大久保忠真が、領内湯河原の吉浜海岸から採取して運んだとされています。
その際、石1個につき米1升を与えたことから、「一升石」とも呼ばれています。
醒花亭
仙洞御所で現存する唯一の茶屋ですが、文化5(1808)年に再建されたものです。
赤壁で、書院の障子の稲妻形の意匠が特徴的です。
悠然台跡
物見のための小亭が設けられていました。
亭からは京の町が一望できたそうです。
お冷やし
氷室です。
上屋は失われています。
柿本社
八つ橋に戻ってきました。
ここで撮影時間が設けられます。
南池の各所を撮影できますが、行動範囲は限られています。
紅葉山
南池と北池を区切る丘は紅葉山と呼ばれ、モミジの木で覆われています。
北池の汀ではモミジが水面近くまで茂っています。
又新亭
明治17(1884)年に近衛家から献上された茶室です。
参観所要時間は約1時間、比較的ゆっくりと回ることができます。
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