京都府京都市東山区 積翆園庭園
(Shakusuien Garden, Higashiyama-ku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
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平安末期の池泉回遊式庭園遺構 | |
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京都府京都市東山区妙法院前側町445-3妙法院前側町445-3
フォーシーズンズホテル京都内
積翆園庭園
妙法院境内の北に、平安時代末期の数少ない庭園遺構ともいわれる積翠園(しゃくすいえん)がある。
歴史年表
平安時代末期、現在地に、武将・公卿の平重盛(1138-1179)の別邸「小松殿」があったともいう。
安土・桃山時代、1595年頃、豊臣秀吉による大仏殿(方広寺)建立に伴い、妙法院が「大仏経堂」として現在地に移された。その際に、境内に庭園が造られたという。
江戸時代、元禄期(1688-1703)、庭園は改修されたという。1665年、妙法院の堯恕(ぎょうじょ)の日記に「積翠」の名が記されている。当時は「積翠亭」「積翠軒」と呼ばれた。
現代、1954年、積翠園は妙法院より専売公社が買収し、京都専売病院が管理した。歴史学者、造園関係者の要望により、池泉、築地塀が保存される。
2005年、東山武田病院の所有になる。
2011年、12月、東山武田病院は閉鎖された。
2016年、10月、フォーシーズンズホテル京都の開業に伴い、数寄屋造の茶室より庭園を望む形で庭園は存続された。
(京都風光ウェブサイト)
積翆園庭園 平安末期
今本庭を一覧すると、面積は約二千九百坪ほどあって、小松谷の渓谷地をそのまま利用して作られた大池庭である。
この時代の池庭は、本園のように、渓谷の沼池などを利用して作庭されることが多かった。それは言うまでもなく、当時にあっては、これほどの大池庭を新しく作るための人夫が必要であったから、利用できるものを利用することは、作庭上の有利な条件であり、そうして立場でできた池庭が多かった。
さて本園の特色は、作庭記流のもので、池中に二島があり、さらにまた池中に一種の夜泊石が保存されている。そしてまた、この夜泊石の手法は、弘仁期にできた嵯峨大沢池庭園の庭湖石の手法と酷似していて、各石が二個づつ組み合わされて、しかも人字形の手法が示されていて、これは作庭記流の手法であることが解る。
あるいはまた、作庭記流の中島の位置が、本園でもよく示されている。「作庭記」に
法として島のさきを寝殿のなかばにあて、
うしろに楽舎あらしめんこと用意あるへし。
とあるように、中島の南に寝殿と思われる位置が確認される。あるいはまた、上部に滝の荒廃した跡が保存されているが、この滝の手法は、荒廃されながらも、よく平安期の手法を一部に見せている。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」積翆園庭園より)
なお、フォーシーズンズホテル京都は宿泊料約10万円の超一流クラスであるが、庭園を無料で見ることができるし、庭の見えるレストランでランチを食することもできる。
ホテルから見た庭園
石橋より東側の小さな池、島を表す一個の石や滝の石組みが残る。
西側大池の大島、仙人の住むという蓬莱山を表す。それに沿って、五つの夜泊石がある。
もう一つの小さい島は亀島
茶室「積翆亭」あたり。夕暮れにはシャンパンバーにもなるという。
少し高いところに不動明王
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