京都府京都市左京区 白河疏水通
Shirakawa Sosui Dori,Sakyoku,Kyoto City, Kyoto
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April 19, 2025 野崎順次 source movie
京都府京都市左京区
白川疏水通
高野川から賀茂川まで
「第二疏水分線」は、松ケ崎浄水場正門前付近より地表に現れ、西方面へ流れる水路です。
本水路は、蹴上で琵琶湖疏水から分岐し北上・迂回して流れてきたもので、松ケ崎浄水場を始点として賀茂川東岸に至る区域が第二疏水分線とされています。
(左京区ウェブサイト)
第2疏水分線の両側に道があり、共に白川疏水通と呼ばれている。
そすいさんぽパンフレット
高野橋から上流を見る。桜の咲くあたりの地下に疏水が流れている。
高野橋は北大路通にかかる。少し西に行ってから北に入る。
松ケ崎浄水場の洗浄水槽給水塔、建築設計者不明
地表に現れた疏水、ここから第2疏水分線で両側の道が白川疏水通である。見事な桜並木だが、もう遅すぎる。ときどきモミジの巨木があり、紅葉もよさそう。
「琵琶湖から17km」の標識から泉川合流地点
閑静な住宅街を進み、大通りに出た。下鴨本通である。賀茂川までちょうど中間地点。
気分転換と昼食を兼ねて下鴨本通をぶらぶら。
洛北橋から北大路通(琵琶湖から18km)
北大路通を渡ると、疎水は暗渠になり、断続する中央分離帯のある白川疏水通が賀茂川まで続く。
賀茂川河畔
March 30, 2025 野崎順次
source movie
琵琶湖疏水分線は蹴上で本線と分岐して、南禅寺水路閣やトンネルを経て、若王子神社から銀閣寺方面に流れる。その疏水沿いの道は哲学の道である。今回は銀閣寺前から高野川までたどるのであるが、疏水沿いの道はほぼ全長にわたり一貫して白川疏水通と名付けられている。
そすいさんぽパンフレット
銀閣寺前、哲学の道と呼ばれるが、正式には白川疏水通の起点と思われる。ソメイヨシノは三分咲きか。
白川西田橋。疏水はサイフォンにより白川の下をくぐる。
疏水は銀閣寺道から次第に北へカーブする。
志賀越道、ここまで京都市上下水道局が疏水を管理している。
ここから京都市建設局管理の第1疏水分線となり閑静な住宅街を北上する。
御陰通あたり
喜多源逸邸
京都・北白川に現存する、藤井が大学の同僚だった喜多源逸氏のために設計した邸宅。およそ300坪の敷地に建つ木造瓦葺き2階建ての住宅。施工は聴竹居や八木市造邸と同じ大工の酒徳金之助。1926年・大正15年の竣工。1階の茶の間、納戸は改造され、北側奥の台所・水廻り・女中室は建替えられているが、主な部分は竣工当時のまま残されている。
藤井厚二が設計した邸宅のなかで京都市内に現存する数少ないもののひとつであり、一部改造されてはいるものの保存状態は極めて良好で、藤井の「日本の住宅」にこめた想いを現在に伝える貴重な歴史的・文化的資産といえる。
(住宅遺産トラストウェブサイト)
市文 駒井家住宅
大正末期から昭和初期に形成され、「学者村」といわれた北白川の閑静な住宅地にあって、比叡山が一望される東に庭を広く設けた洋館建築です。わが国の動物遺伝学、動物分類学に大きな功績を残した、京都大学名誉教授・駒井卓博士(1886~1972)の私邸として、昭和2年、ヴォーリズ建築事務所の設計により建てらた住宅です。
(叡山電車ウェブサイト)
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それから
銀月アパートメント
ヴォーリズ設計で有名な駒井邸を見に行ったときに偶然見つけた建物。帰ってから色々調べましたが建築年や設計・施工者など一切不明です。戦前の建物であることは間違いないようです。青幻舎の「京都の洋館」に紹介されているところによれば
{銀閣寺にもほど近い、北白川の疎水沿い。もう何年も取り壊しのうわさが立つ、古びた白い木造の洋館がある。四畳半一間の部屋が全部で二十戸ほどある二階建て長屋。白い木枠の大きな窓は波打ちガラス、入り口はグリーン瓦のとんがり屋根、手書きらしき看板には{銀月アパートメント」とある。近隣の人の話では、戦前にはすでに在ったらしい。誰にも詳しいことは分からない。分からないから噂が交々、いつも増えつづけている。}
(レトロな建物を訪ねて)
東鞍馬口通を過ぎて
左手の住宅街に満開のシダレザクラがあった。
白河疏水通に戻り、さらに進んで、北大路通と叡山電鉄を横切る。
以上
高野川まで
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