京都市左京区 詩仙堂
Shisendo,Sakyoku,Kyoto city
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November 18, 2018 野崎順次 source movie
京都府京都市左京区一乗寺門口町27
詩仙堂 丈山寺
詩仙堂は徳川家の家臣であった石川丈山が隠居のため造営した山荘である。名前の由来は、中国の詩家36人の肖像を掲げた詩仙の間による。 詩仙は日本の三十六歌仙にならい林羅山の意見をもとめながら漢晋唐宋の各時代から選ばれた。肖像は狩野探幽によって描かれ詩仙の間の四方の壁に掲げられている。
詩仙堂は正確には凹凸? (おうとつか) という。凹凸?とはでこぼこの土地に建てられた住居の意味であり、建物や庭園は山の斜面に沿って作られている。 丈山は詩仙の間を含め建物や庭の10個の要素を凹凸?十境と見立てた。
(中略)
「小有洞」という門をくぐり、竹林の中の道を行くと、石段の上に「老梅関」という門があり、その先に詩仙堂の玄関がある。玄関上は3階建の「嘯月楼」となっており、その右手 (西側) には瓦敷の仏間と六畳、八畳の座敷、左手には四畳半の「詩仙の間」、「読書の間」など多くの部屋がある。このうち嘯月楼と詩仙の間の部分のみが丈山当時の建築で、他は後世の改築である。
(ウィキペディア「詩仙堂」より)
パンフレット、小有洞から老梅関
嘯月楼のある建物
詩仙堂庭園
全庭約三百三十坪の面積があり、近年その下部をさらに拡張されている。書院の東部は刈込本位の庭とされ、東部に滝の石組が見られるが、これはまさしく丈山時代のまま保存されていて、よく寛永期の手法が見られる。
大刈込中には、五層の塔燈籠が見られる。もとよりこの時代の石造品であるが、このような塔燈籠を配したものを「唐様の庭」といっている。「余景作り庭」にそのことを述べているが、要するに丈山が唐宋の詩を愛した人であり、彼の趣味から出た庭であり、いかにも中国南宗画に見られる風物として、楼閣山水があり、五重塔の石造塔燈籠を入れて、そうした風景を見せたことから、唐様といったのであるが、別に確立した一様式というのではない。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典」詩仙堂庭園より)
その他
Nov.12,2017 瀧山幸伸
詩仙堂丈山寺は、江戸初期の武人であり、文人としても知られる石川丈山が、隠棲のために造営した住まいである。丈山、59歳の時移り住み、90歳で亡くなるまでここで余生を送った。
詩仙堂の庭園を作庭したのは、丈山本人とされる。
白川通りから坂道を上がると住宅街の一角に「宮本武蔵・吉岡決闘之地」と記された石碑に出合う。剣豪・宮本武蔵が吉岡道場一門と戦った、一乗寺下り松の場である。
石碑から坂道をさらにのぼった所が詩仙堂である。
山茶花に覆われたが質素な山門(小有洞 しょうゆうどう)
参道石道の参道を上りつめた所に老梅関の門がある。
石段を登る途中、竹林越しに垣間見える躍淵軒
老梅関の周辺
凹凸窠( おうとつか )と名付けられた萱葺の山荘。 凹凸窠はでこぼこした土地に建てられた住居を意味する。
拝観入口。詩仙の間には趣向をこらした雲形の窓が並ぶ。
嘯月楼(しょうげつろう)
詩仙堂のシンボル的な存在。 堂の上に目立つこの楼閣は、石川丈山が月を見・庭を見て詩歌の世界に浸り、また京の街を一望し時の流れを感じたと謂われている。
詩仙堂庭園
平面図
形式:唐様庭園 作庭:石川丈山 江戸期 安土桃山後期から江戸期にかけてよく見られる「刈り込の庭」
室内は撮影禁止のため、庭園のみの撮影となる。
詩仙の間・書院から庭園のながめ
洗蒙瀑周辺
庭に下り、蒙昧を洗い去る滝と、その滝が流れ込む浅い池
山荘の庭園は三段構成になっている。一段目は皐月が主である。
二段目・三段目の庭園は、広々とした空間に小さな池と刈込の皐月、藤棚や沢山の草花が植えられ回遊式庭園となっている。
二段目に下りる石段の石に惹かれた。
残月軒周辺
少し離れた所にある。残月軒の襖絵は満月である。
鹿おどし
鹿おどしは別名「僧都(添水)」とも呼ばれ、庭園に据えたのは詩仙堂が最初とか。鹿や猪の害を防ぐ効果と、澄んだ音色の心地よさを楽しんだと思われる。
参考
石川丈山は1583年三河で生まれた。石川家は代々徳川家に仕える武勲の家柄。丈山自身も18歳の時に関ヶ原の戦いで奮戦し、その働きが認められ、家康の近習に召し抱えられた。大坂夏の陣で、禁令を破って先鋒隊に加わり、敵将を討つ等の見事な働きをしたが、禁令を破ったことから蟄居を命じられた。
これを機に33歳で剃髪し、妙心寺に入った。その後、紀伊・浅野家に仕え、勉学にも励み漢詩人としても才能を発した。58歳で隠棲生活に入った。
座敷や庭は多くの人で埋まっていました。
2011.12.5撮影
修学院離宮からの帰り、鷺森神社、圓光寺を経て詩仙堂に寄りました。
門の上の山茶花が盛りでした。
参道から建物入り口まで
建物内は撮影できません。
一階の座敷から庭園を見ます。
紅葉は終わりかけでした。
庭園に下ります。
以前と経路が変わったような気がします。
庭園
ススキや残った紅葉、ししおどしを眺めました。
紅葉の時期には遅い平日でしたので、人も少なかったです。
July. 2006 瀧山幸伸 source movie
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