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京都府京都市上京区 相国寺

(Shokokuji Temple, Kamigyo-ku, Kyoto city,Kyoto)

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京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701 相国寺本堂(法堂)附玄関廊 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長10(1605) 桁行五間、梁間四間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺 玄関廊1棟 19100829


February 12, 2023 野崎順次  source movie

総門(府文)と玉龍院、光源院
         

建築伽藍配置は南から勅使門、放生池がある。その北に法堂、方丈が直線状に建ち並ぶ。さらにかつては三門、仏殿があった。現在の境内に広がるアカマツ林(般若林)付近になる。かつてはここに学林寮なども建てられていた。仏殿は、室町時代後期、1536年の天文法華の乱以後、再建されていない。現在は土壇が残る。三門は江戸時代後期、1788年の天明の大火で焼失後は再建されていない。現在は、三門跡の礎石、石積み基壇も残る。
(京都風光サイト)
        

養源院
    

府文 経蔵
       

後水尾帝歯髪塚、天響楼(鐘楼)
       


国重文 法堂(はっとう)
本堂とも呼ばれる。仏殿を兼ねる。当初の建物は室町時代前期、1392年に建立された。建物は4度焼失し、過去に5度再建されている。現在の建物は江戸時代前期、1605年、豊臣秀頼の寄進による。現存する法堂しては日本最古であり、京都五山禅院中最大になる。鏡天井(高さ10.79m)には、狩野光信(1561/1565-1608)筆の「蠕(ばん)龍図」が描かれている。堂内で手を叩くと音が反響し「鳴き龍」といわれている。円相外の龍雲は剥落している。
上層の軒の斗棋(ときょう)は詰組。中央5間に桟唐戸、両脇に花頭窓。床は瓦敷、裳階のため単層、入母屋造の唐様、禅宗様建築、5間4間(外見は7間6面)、正面28m、側面22m、高さ22m。切妻造、本瓦葺、左右に本瓦葺の玄関廊付。
(京都風光サイト)
                


浴室、方丈勅使門、庫裡(いずれも府文)
             


承天閣美術館 曝涼展 冬 目録
ほとんどが初公開の作品である。もちろん撮影禁止。
    


庭園に挟まれた美術館への路
               


三尊らしき石組、その奥には十牛の庭
      


美術館内部(ごく一部)
       


府文 鐘楼 江戸時代後期、1844年/1843年再建
「洪音楼(こうおんろう)」「袴腰付鐘楼」ともいわれ、花商岩の壇上に建つ。和様と禅宗様(唐様)の折衷様であり、大型の建物として有数という。鐘は、江戸時代前期、1629年に鋳造された。
       


再び、経蔵(府文)
   


塔頭 瑞春院、「雁の寺」と呼ばれるが、癌で早世した中学校時代の友人の告別式で来たっけ。
      


December 8, 2019 野崎順次  source movie

都府京都市上京区今出川通烏丸東入

大本山 相国寺

秋の特別拝観 令和元年9月25日(木)- 12月15日(日)

法堂・方丈・開山堂

いずれも内部は撮影禁止なので、方丈と開山堂の庭園を主に撮影した。

パンフレットと現地説明板

      

烏丸通とカラス

   

相国寺庫裏

     

方丈南庭

     

方丈と象の絵

     

裏方丈庭園

                      

坪庭

  

開山堂前庭

                     


November 25,2017 大野木康夫

境内の紅葉風景

                           


Oct.25.2017 中山辰夫

京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701

正称を相国承天寺 開山: 夢窓疎石 宗派:臨済宗相国寺派総本山 本尊:釈迦如来、脇士に阿難・迦葉の両尊者、足利義満像を安置する。

1382(永徳2)年、室町三代将軍足利義満が坐禅修行として一寺の建立を発願し、花の御所と呼ばれた室町幕府の東側に建てた。

相国寺の名称は創建時足利義満が左大臣(相国)であったことに由来するとされる。

工事は強引で、近隣の邸宅・寺院・家屋が強制的に移転させられた。「ミヤコニハ、ヒノ木スギノ木ツキハテテ、ナゲキテツクル相国寺カナ」と歌われたといわれる。約10年の歳月をかけて1392(明徳3)年に一大禅苑が、夢窓国師を勧請開山として完成した。

幕府は南禅寺を五山の上とし、天竜寺に次いで、当寺を五山の第二位に坐列した。

その頃の寺観は、拝門・総門・山門・仏殿・土地堂・祖師堂・法堂・庫院・僧堂・方丈・浴室・東司・講堂・鐘楼が整い、20町余周垣が築かれていた。その後、焼失、再建を繰り返し、七重大塔も落雷で焼失した。度重なる災渦にもかかわらず高僧を輩出し、禅文化の興隆に貢献した。

応仁の乱で焼失した後の再建は1584(天正12)年以降で、現在の建物は文化年間(1804〜18)年頃に建てられた建築物である。

  

現在は金閣・銀閣両寺をはじめ94カ寺を数える末寺を有する総本山である。

総門 江戸時代に建立 薬医門

  

総門の左側(西)に構える勅使門 京都府指定文化財 慶長年間(1596〜1614)の創建、 一間一戸の四脚門

   

参道

      

総門をくぐる。参道の左側はそれとわかる社殿跡、右側には塔頭が並ぶ

法堂(はっとう) (雷音堂、今は無畏堂、本堂)国重要文化財 東に玄関廊が付く

            

当初の建物は室町1392年に建立された。現在の建物は江戸時代、1605年豊臣秀頼の寄進による。現存する法堂としては日本最古の法堂建築

正面約28m、側面約22m、高さ約22m、入母屋造 京都五山(天龍寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)の中で最大。(南禅寺は別格)

法堂内陣〜須弥壇と天井図(蟠龍図・ばんりゅうず パンフレットより引用)

      

堂内は撮影禁止。「無畏堂 むいどう」本来恐れることなく説法を聞くお堂 

江戸時代、狩野光信筆の龍図。「鳴き龍」ともいわれ、特定の場所で手を打つと天井に反響するため、「鳴き龍」と呼ばれる。

方丈 京都府指定文化財 中国の書家・張即子の扁額 桟瓦葺、入母屋造

禅宗の伽藍の配置は南北に山門、仏殿、法堂、方丈が同一軸線上に並んで建てられているのが特徴。

相国寺も法堂の北側に方丈が建つ。相国寺方丈は、1807(文化4)年に開山堂、庫裏と共に再建された。

唐門・廊下

        

唐門は1841年に建立、一間一戸、唐破風、奥に書院がある。

表方丈

一重、入母屋造、桟瓦葺、切妻造、桁行25m、梁間16m 方丈としては大規模、京都府文化財

        

表方丈庭園

    

方丈唐門

    

裏方丈

       

西・北(裏方丈)庭園

      

書院付近-坪庭

    

開山堂(塔)京都府指定文化財 五間4間、礼堂、祠堂、広縁、落縁、縁高欄付

             

開山・夢窓疎石の像を祀る堂で、桃園天皇の皇后である恭礼門院の女院御所内の御殿を1807(文化4)年に下賜されたもの。

庭園 (龍淵水の庭)

          

前庭は枯山水式、周囲を葛石で囲んだ長方形の庭。裏庭は室町時代の作。

鐘楼 京都府指定文化財 1844年再建

    

花崗岩の壇上に建つ。和様と唐様の折衷 1629(寛永6」年鋳造の鐘

弁天社 京都府指定有形文化財 弁天さんのお使いである白蛇の額が掛かる。

    

庫裏-宗務本所 京都府指定文化財 1807(文化4)年の再建 切妻造

          

宝塔

    

1653年に建立。後水尾天皇の髪を柱心に納めた。

    

法堂の西側に後水尾天皇御歯髪塚。天皇1631年に旧殿を移し方丈とした。

浴室(宣明)京都府指定文化財 蒸し風呂 室町時代に創建され、安土・桃山時代に再建、2002(平成14)年に復元 

写真180〜183    

格式の高い寺の浴室であるため「宣明 せんみょう」と呼ぶことが許されている。心の垢をも落とす意味がある。

日中友好の鐘

  

塔頭

金閣寺・銀閣寺・真如寺の3ケ寺を山外塔頭、以下の12カ寺を山内塔頭として相国寺一山を構成する。

玉龍院

    

光源院

    

林光院

    

大通院

    

僧堂−専門道場がある。

養源院

    

大光明院

    


December 30,2014 大野木康夫 source movie

足利義満の創建で、義満が左大臣であったことから、左大臣の唐名である相国をとって「萬年山相國承天禅寺」と名付けられました。

かつて寺町から大宮にわたって140万坪ともいわれる広大な境内を有しており、創建時にあった七層宝塔は全高360尺(109.1m)と、日本式としては最も高い仏塔でした。

現在の寺域は4万坪、三門は応仁の乱で焼失以来再建されず、重要文化財である法堂は仏殿を兼ねています。

                                                                                      

 


Feb.2012 野崎順次

京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町

臨済宗相国寺派大本山 相国寺

撮影日: 2012年2月5日 

京都五山第二位に列せられる名刹で、正式名称は萬年山相國承天禅寺。14世紀末、室町幕府三代将軍の足利義満により創建された。幾度も焼失と復興の歴史を繰り返したが、現存する法堂はわが国最古の法堂建築である。夢窓疎石を開山とし、創建当時は室町一条あたりに総門があったといわれ、北は上御霊神社の森、東は寺町通、西は大宮通にわたり、約144万坪の壮大な敷地に50あまりの塔頭寺院があったと伝えられている。現在の境内には本山相国寺をはじめ、13の塔頭寺院があり、山外塔頭に鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、真如寺がある。また全国に100カ寺の末寺を擁している。

総門から境内へ

        

国重文 相国寺本堂(法堂)附玄関廊 桃山 慶長10年(1605)-

桁行五間、梁間四間、一重裳階付、入母屋造、本瓦葺

現存する我が国最古の法堂。堂内は撮影禁止だが、狩野光信筆天井画「蟠龍図(ばんりゅうず)」は、特定の場所で手を打つと反響するため、「鳴き龍」と呼ばれる。

                              

開山堂

開山・夢窓疎石の像を祀る堂で、桃園天皇の皇后である恭礼門院の女院御所内の御殿を文化4年(1807年)に下賜されたもの。内部は撮影禁止だが、開山・夢窓国師像、開基・足利義満像、円山応挙筆杉戸絵などがある。江戸時代中期の枯山水庭園「龍淵水の庭」が名高い。

                                

庫裏 文化4年(1807年)の再建

堂々たる大建築で、玄関に望月玉蟾筆「竹虎図大衝立」がある。

            

方丈(工事中)の門

 

浴室 応永7年(1400年)頃創建、現状は慶長4年(1596年)の再建

蒸気浴をしながら柄杓で湯をかけて入浴を行ったとされる。

    

宝塔

               

参考資料

相国寺HP

ウィキペディア「相国寺」


Feb.2007 瀧山幸伸  source movie

                                  

     


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