京都府京都市上京区 相国寺
(Shokokuji Temple, Kamigyo-ku, Kyoto city,Kyoto)
Category
|
Rating
|
Comment
|
General
|
||
Nature
|
||
Water | ||
Flower | ||
Culture | ||
Facility | ||
Food |
京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701 相国寺本堂(法堂)附玄関廊 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長10(1605) 桁行五間、梁間四間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺 玄関廊1棟 19100829
August 17,2024 大野木康夫
source movie
参道
総門(京都府指定有形文化財)
寛政9(1797)年の建築
一間薬医門、切妻造、本瓦葺、潜附属
勅使門(京都府指定有形文化財)
慶長年間(1596-1615)の建築
四脚門、切妻造、本瓦葺
境内図
鐘楼(京都府指定有形文化財)
天保15(1844)年の建築
桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺
弁天社(京都府指定有形文化財)
江戸中期の建築
一間社春日造、檜皮葺
開山堂(京都府指定有形文化財)
文化4(1807)年の建築
祀堂、相の間及び昭堂より成る
祀堂 桁行正面一間背面二間、梁間二間、一重、入母屋造、本瓦葺
相の間 桁行四間、梁間一間、一重、両下造、桟瓦葺
昭堂 桁行15.8m、梁間10.8m、一重、入母屋造、、北面、東面仏壇附属、桟瓦葺
庫裏(京都府指定有形文化財)
文化4(1807)年の建築
桁行14.8m、梁間18.7m、一重、切妻造、北面、東面下屋附属、桟瓦葺
方丈(京都府指定有形文化財)
文化4(1807)年の建築
桁行27.4m、梁間18.7m、一重、入母屋造、桟瓦葺
附 玄関1棟
桁行二間、梁間三間、一重、唐破風造、桟瓦葺、北面直廊附属 桁行三間、梁間一間、一重、唐破風造、桟瓦葺一部こけら葺
方丈勅使門(京都府指定有形文化財)
文化年間(1804-1818)の建築
四脚平唐門、桟瓦葺
本堂(法堂)附玄関廊(重要文化財)
慶長10(1605)年の建築
桁行五間、梁間四間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺
附 玄関廊
桁行四間、梁間一間、単層、屋根切妻造、本瓦葺
浴室(京都府指定有形文化財)
桁行六間、梁間三間、一重、切妻造、井戸屋形附属、本瓦葺
経蔵(京都府指定有形文化財)
万延元(1860)年の建築
桁行三間、梁間二間、二階二重、宝形造、本瓦葺
February 12, 2023 野崎順次 source
movie
総門(府文)と玉龍院、光源院
建築伽藍配置は南から勅使門、放生池がある。その北に法堂、方丈が直線状に建ち並ぶ。さらにかつては三門、仏殿があった。現在の境内に広がるアカマツ林(般若林)付近になる。かつてはここに学林寮なども建てられていた。仏殿は、室町時代後期、1536年の天文法華の乱以後、再建されていない。現在は土壇が残る。三門は江戸時代後期、1788年の天明の大火で焼失後は再建されていない。現在は、三門跡の礎石、石積み基壇も残る。
(京都風光サイト)
養源院
府文 経蔵
後水尾帝歯髪塚、天響楼(鐘楼)
国重文 法堂(はっとう)
本堂とも呼ばれる。仏殿を兼ねる。当初の建物は室町時代前期、1392年に建立された。建物は4度焼失し、過去に5度再建されている。現在の建物は江戸時代前期、1605年、豊臣秀頼の寄進による。現存する法堂しては日本最古であり、京都五山禅院中最大になる。鏡天井(高さ10.79m)には、狩野光信(1561/1565-1608)筆の「蠕(ばん)龍図」が描かれている。堂内で手を叩くと音が反響し「鳴き龍」といわれている。円相外の龍雲は剥落している。
上層の軒の斗棋(ときょう)は詰組。中央5間に桟唐戸、両脇に花頭窓。床は瓦敷、裳階のため単層、入母屋造の唐様、禅宗様建築、5間4間(外見は7間6面)、正面28m、側面22m、高さ22m。切妻造、本瓦葺、左右に本瓦葺の玄関廊付。
(京都風光サイト)
浴室、方丈勅使門、庫裡(いずれも府文)
承天閣美術館 曝涼展 冬 目録
ほとんどが初公開の作品である。もちろん撮影禁止。
庭園に挟まれた美術館への路
三尊らしき石組、その奥には十牛の庭
美術館内部(ごく一部)
府文 鐘楼 江戸時代後期、1844年/1843年再建
「洪音楼(こうおんろう)」「袴腰付鐘楼」ともいわれ、花商岩の壇上に建つ。和様と禅宗様(唐様)の折衷様であり、大型の建物として有数という。鐘は、江戸時代前期、1629年に鋳造された。
再び、経蔵(府文)
塔頭 瑞春院、「雁の寺」と呼ばれるが、癌で早世した中学校時代の友人の告別式で来たっけ。
December 8, 2019 野崎順次 source movie
都府京都市上京区今出川通烏丸東入
大本山 相国寺
秋の特別拝観 令和元年9月25日(木)- 12月15日(日)
法堂・方丈・開山堂
いずれも内部は撮影禁止なので、方丈と開山堂の庭園を主に撮影した。
パンフレットと現地説明板
烏丸通とカラス
相国寺庫裏
方丈南庭
方丈と象の絵
裏方丈庭園
坪庭
開山堂前庭
November 25,2017 大野木康夫
境内の紅葉風景
Oct.25.2017 中山辰夫
京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701
正称を相国承天寺 開山: 夢窓疎石 宗派:臨済宗相国寺派総本山 本尊:釈迦如来、脇士に阿難・迦葉の両尊者、足利義満像を安置する。
1382(永徳2)年、室町三代将軍足利義満が坐禅修行として一寺の建立を発願し、花の御所と呼ばれた室町幕府の東側に建てた。
相国寺の名称は創建時足利義満が左大臣(相国)であったことに由来するとされる。
工事は強引で、近隣の邸宅・寺院・家屋が強制的に移転させられた。「ミヤコニハ、ヒノ木スギノ木ツキハテテ、ナゲキテツクル相国寺カナ」と歌われたといわれる。約10年の歳月をかけて1392(明徳3)年に一大禅苑が、夢窓国師を勧請開山として完成した。
幕府は南禅寺を五山の上とし、天竜寺に次いで、当寺を五山の第二位に坐列した。
その頃の寺観は、拝門・総門・山門・仏殿・土地堂・祖師堂・法堂・庫院・僧堂・方丈・浴室・東司・講堂・鐘楼が整い、20町余周垣が築かれていた。その後、焼失、再建を繰り返し、七重大塔も落雷で焼失した。度重なる災渦にもかかわらず高僧を輩出し、禅文化の興隆に貢献した。
応仁の乱で焼失した後の再建は1584(天正12)年以降で、現在の建物は文化年間(1804〜18)年頃に建てられた建築物である。
現在は金閣・銀閣両寺をはじめ94カ寺を数える末寺を有する総本山である。
総門 江戸時代に建立 薬医門
総門の左側(西)に構える勅使門 京都府指定文化財 慶長年間(1596〜1614)の創建、 一間一戸の四脚門
参道
総門をくぐる。参道の左側はそれとわかる社殿跡、右側には塔頭が並ぶ
法堂(はっとう) (雷音堂、今は無畏堂、本堂)国重要文化財 東に玄関廊が付く
当初の建物は室町1392年に建立された。現在の建物は江戸時代、1605年豊臣秀頼の寄進による。現存する法堂としては日本最古の法堂建築
正面約28m、側面約22m、高さ約22m、入母屋造 京都五山(天龍寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)の中で最大。(南禅寺は別格)
法堂内陣〜須弥壇と天井図(蟠龍図・ばんりゅうず パンフレットより引用)
堂内は撮影禁止。「無畏堂 むいどう」本来恐れることなく説法を聞くお堂
江戸時代、狩野光信筆の龍図。「鳴き龍」ともいわれ、特定の場所で手を打つと天井に反響するため、「鳴き龍」と呼ばれる。
方丈 京都府指定文化財 中国の書家・張即子の扁額 桟瓦葺、入母屋造
禅宗の伽藍の配置は南北に山門、仏殿、法堂、方丈が同一軸線上に並んで建てられているのが特徴。
相国寺も法堂の北側に方丈が建つ。相国寺方丈は、1807(文化4)年に開山堂、庫裏と共に再建された。
唐門・廊下
唐門は1841年に建立、一間一戸、唐破風、奥に書院がある。
表方丈
一重、入母屋造、桟瓦葺、切妻造、桁行25m、梁間16m 方丈としては大規模、京都府文化財
表方丈庭園
方丈唐門
裏方丈
西・北(裏方丈)庭園
書院付近-坪庭
開山堂(塔)京都府指定文化財 五間4間、礼堂、祠堂、広縁、落縁、縁高欄付
開山・夢窓疎石の像を祀る堂で、桃園天皇の皇后である恭礼門院の女院御所内の御殿を1807(文化4)年に下賜されたもの。
庭園 (龍淵水の庭)
前庭は枯山水式、周囲を葛石で囲んだ長方形の庭。裏庭は室町時代の作。
鐘楼 京都府指定文化財 1844年再建
花崗岩の壇上に建つ。和様と唐様の折衷 1629(寛永6」年鋳造の鐘
弁天社 京都府指定有形文化財 弁天さんのお使いである白蛇の額が掛かる。
庫裏-宗務本所 京都府指定文化財 1807(文化4)年の再建 切妻造
宝塔
1653年に建立。後水尾天皇の髪を柱心に納めた。
塚
法堂の西側に後水尾天皇御歯髪塚。天皇1631年に旧殿を移し方丈とした。
浴室(宣明)京都府指定文化財 蒸し風呂 室町時代に創建され、安土・桃山時代に再建、2002(平成14)年に復元
格式の高い寺の浴室であるため「宣明 せんみょう」と呼ぶことが許されている。心の垢をも落とす意味がある。
日中友好の鐘
塔頭
金閣寺・銀閣寺・真如寺の3ケ寺を山外塔頭、以下の12カ寺を山内塔頭として相国寺一山を構成する。
玉龍院
光源院
林光院
大通院
僧堂−専門道場がある。
養源院
大光明院
December 30,2014 大野木康夫 source movie
足利義満の創建で、義満が左大臣であったことから、左大臣の唐名である相国をとって「萬年山相國承天禅寺」と名付けられました。
かつて寺町から大宮にわたって140万坪ともいわれる広大な境内を有しており、創建時にあった七層宝塔は全高360尺(109.1m)と、日本式としては最も高い仏塔でした。
現在の寺域は4万坪、三門は応仁の乱で焼失以来再建されず、重要文化財である法堂は仏殿を兼ねています。
Feb.2012 野崎順次
京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町
臨済宗相国寺派大本山 相国寺
撮影日: 2012年2月5日
京都五山第二位に列せられる名刹で、正式名称は萬年山相國承天禅寺。14世紀末、室町幕府三代将軍の足利義満により創建された。幾度も焼失と復興の歴史を繰り返したが、現存する法堂はわが国最古の法堂建築である。夢窓疎石を開山とし、創建当時は室町一条あたりに総門があったといわれ、北は上御霊神社の森、東は寺町通、西は大宮通にわたり、約144万坪の壮大な敷地に50あまりの塔頭寺院があったと伝えられている。現在の境内には本山相国寺をはじめ、13の塔頭寺院があり、山外塔頭に鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、真如寺がある。また全国に100カ寺の末寺を擁している。
総門から境内へ
国重文 相国寺本堂(法堂)附玄関廊 桃山 慶長10年(1605)-
桁行五間、梁間四間、一重裳階付、入母屋造、本瓦葺
現存する我が国最古の法堂。堂内は撮影禁止だが、狩野光信筆天井画「蟠龍図(ばんりゅうず)」は、特定の場所で手を打つと反響するため、「鳴き龍」と呼ばれる。
開山堂
開山・夢窓疎石の像を祀る堂で、桃園天皇の皇后である恭礼門院の女院御所内の御殿を文化4年(1807年)に下賜されたもの。内部は撮影禁止だが、開山・夢窓国師像、開基・足利義満像、円山応挙筆杉戸絵などがある。江戸時代中期の枯山水庭園「龍淵水の庭」が名高い。
庫裏 文化4年(1807年)の再建
堂々たる大建築で、玄関に望月玉蟾筆「竹虎図大衝立」がある。
方丈(工事中)の門
浴室 応永7年(1400年)頃創建、現状は慶長4年(1596年)の再建
蒸気浴をしながら柄杓で湯をかけて入浴を行ったとされる。
宝塔
参考資料
相国寺HP
ウィキペディア「相国寺」
Feb.2007 瀧山幸伸 source movie
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中