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京都府京都市東山区 尊勝院

Sonshoin,Higashiyamaku,Kyoto city,Kyoto

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Jan.2012 中山辰夫

京都市東山区粟田口三条坊町

宗派:天台宗

本尊:元三大師

京都府指定文化財:本堂

尊勝院は平安神宮が見下ろせる東山の山裾にある。

青蓮院とは深いかかわりを持ち、その境内地の中にある。青蓮院の門を出てすぐ右側にある脇道をすすむと小さなお堂に出あう。

そこが尊勝院で、元三大師を本尊とする寺院で天台宗に属する。

本堂

桁裄三間、梁間三間の主屋の前面に一間通りの前庇をつけた建築で、主屋は一間四面堂の形式となっている。

主屋を内陣、前庇を外陣として、両者を格子戸で結界する。本瓦葺

造営年代を確定する史料はないが、「華頂要略」によると文禄5年(1596)には存在していたとされる。

主屋内陣の意匠は桃山期の特色をよく示し、剥落はあるものの彩色も残っている。

現在、屋根は入母屋造の庇葺きおろしであるが、小屋組の構造から、もとは宝形造の庇葺きおろしであった

とされる。

天台系の法華三昧堂、常行三昧堂の流れを汲む建築として高く評価される。

尊勝院境内からみる京都市内は素晴しい。平安神宮が見下ろせる。

また、道なりの急坂を下りて行くと京料理・粟田山荘があって、先は三条神宮道に続く。粟田神社にも近い。

由緒

保延2年(1136)、陽範阿闍梨(ようはんあじゃり)が鳥羽天皇の勅を奉じ比叡山横川で尊勝法を修し、恩賞として

横川に尊勝坊を賜ったことに始まる。

青蓮院の院家であり、慈恵大師(元三大師)を本尊とし、元三大師・庚申信仰の寺院として広く知られる。

応仁の乱で荒廃したが、豊臣秀吉により再建され、江戸時代には、お堂が南を向いていた事から南面大師堂

あるいは本尊から元三大師堂と呼ばれた。

大正4年(1915)に現在地へ移設され、今に至っている。

尊勝院は、比叡山千日回峰の行者が修行の報告に来る寺でもあり、その時に白川を渡る橋が行者橋である。

元三大師像

木造、寄木造、玉眼、彩色 像高:86cm 

納衣に袈裟を着し、左手に独鈷杵、両手に念珠を執り座しておられます。

元三大師とは、比叡山第十八代座主であった良源上人の事で、叡山中興の祖と言われ、数々の伝説とともに

降魔大師、角大師、豆大師などの異名を持つ。

おみくじ

元三大師は、おみくじの開祖ともされる方で、大師が観音菩薩に祈念して偈文を授かった観音籤が起源とされる。

江戸時代、家康の信任の厚かった天海僧正が信州戸隠山の神前にある観音籤で吉凶を占えとの元三大師のお告げ

を感得おみくじは大師信仰の広がりによって普及し、全国の神社仏閣で行われ現在に至っている。

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