京都府京都市山科区 天智天皇陵
(Imperial Tombs of Emperor Tenji, Yamashinaku, Kyoto City, Kyoto Pref.)
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April 8, 2023 野崎順次
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京都府京都市山科区御陵上御廟野町
御廟野古墳(ごびょうのこふん)は、京都府京都市山科区にある古墳。形状は八角墳。古墳時代終末期の古墳である。宮内庁により「山科陵(やましなのみささぎ)」として第38代天智天皇の陵に治定されている。
本古墳は、被葬者の実在性にも、天皇陵古墳に比定することにも問題がない、つまり、「天智天皇陵」と呼称してもほぼ間違いのない古墳である。
(ウィキペディア「御廟野古墳」)
宮内庁が天智天皇陵として管理する京都市山科区の御廟野(ごびょうの)古墳(7世紀後半)を20日、日本考古学協会など考古学、歴史学関係の団体の研究者16人が立ち入り調査し、墳丘の様子などを観察した。
調査した日本考古学協会理事の新納泉岡山大教授は「八角形の墳丘の保存状態が良好で、方形壇の構造もよく分かった」と話した。
陵墓は天皇や皇族の墓として立ち入りが制限されているが、御廟野古墳は1970~80年代に宮内庁が外形を調査し、実測図や写真を公表。それまで方形壇の上に円丘を築いた「上円下方墳」と考えられていたが円丘部は八角形だったことが判明している。
同庁発行の書陵部紀要などによると、方形壇は一辺70メートル以上。墳頂部には切り石が八角形に並び、斜面や裾部には葺石や張り石とみられる石が多数あった。墳丘南側に長方形の大石(東西3メートル、南北2メートル)があり、学界では礼拝の施設や埋葬後に墓道をふさいだ石とみられている。
(日本経済新聞 2015年2月20日 21:39)
現地説明板と墳丘概略図(平成28年度 陵墓関係調査報告 宮内庁陵墓調査室 89ページ)
入口に日時計があるそうだが気が付かなかった。静寂な参道を進む。
ここからは宮内庁の管轄地
参拝所あたり。この奥に上八角下方の墳丘がある。
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